第五十二章 魔王の策
剣と剣が激しくぶつかり合う。
鋼が悲鳴を上げるたび、王城の最上階が揺れた。
男の剣はなお冴えていた。
斬るべき場所だけを狙い、最短で振るう。
肩。
喉。
肘。
膝。
急所を狙った斬撃が、嵐のように魔王へ降り注ぐ。
そのすべてを、魔王は紙一重で受け流した。
完全には防げない。
黒い鎧には、すでに幾筋もの傷が刻まれている。
一方、男の身体にも深い裂傷が増えていた。
だが傷はゆっくり塞がる。
まるで時を巻き戻すように。
「不気味だな。」
魔王は小さく笑った。
「その呪い気に入ったか。」
男は答えず、再び踏み込む。
速い。
剣技だけなら、なお男が勝っていた。
だが。
魔王は最初から剣だけで勝負をしてはいなかった。
「なるほど。」
激しく剣を打ち合わせながら、魔王は静かに呟く。
「昔と変わらぬな。」
男は黙ったまま斬り込む。
「守るためにしか剣を振れない。」
その言葉も、男は聞き流した。
しかし魔王は続ける。
「だから読みやすい。」
次の瞬間だった。
魔王はあえて大きく体勢を崩す。
男の目には、決定的な隙に見えた。
迷わず踏み込む。
喉を狙う。
――その瞬間。
魔王の口元が僅かに歪んだ。
(誘われた……)
気付いた時には遅かった。
黒い剣ではない。
左肘。
鎧の肘当てが、男の剣を大きく弾いた。
同時に。
魔王の膝が男の腹へめり込む。
「ぐっ……」
息が止まる。
さらに黒き拳が顔面を打ち抜いた。
男の身体が床を転がる。
石畳へ激突し、壁まで吹き飛ばされた。
「剣では敵わぬ。」
魔王はゆっくり近付く。
「だから剣では戦わぬ。」
男は血を吐きながら立ち上がる。
折れた肋骨が元へ戻る音が響いた。
「戦いとは、相手が得意な土俵へ立たぬことだ。」
再び激突する。
男は魔王の腕へ浅く傷を負わせる。
魔王は避けない。
その代わり。
拳で男の肩を砕く。
男は左腕が垂れ下がる。
しかしゆっくりと元へ戻る。
魔王はその様子を見ながら頷いた。
「やはりそうか。」
「お前の再生は僅かな私に劣る。」
男の表情が曇る。
魔王の魂のかけら。
魔王ほどの強力な再生能力は無い。
「その一瞬。」
「そこがお前の死角だ。」
それから魔王は戦い方を変えた。
急所を狙わない。
腕。
脚。
肩。
膝。
再生する場所だけを狙い続ける。
斬る。
砕く。
潰す。
治る。
また砕く。
男は立ち続ける。
だが。
身体が治る、その一瞬を狙われ続けることで、攻撃の流れを作れない。
初めてだった。
剣技では勝っているのに、押されていく。
「どうした。」
魔王が笑う。
「攻められぬか。」
男は息を整える。
荒い。
傷は治る。
だが疲労は消えない。
賢者の言葉が蘇る。
――腹は減る。
水も必要だ。
疲れもする。
不死とはそういうものではない。
何日も戦えば思考も鈍る。
今まさに、それだった。
「……なるほど。」
魔王は納得したように笑う。
「お前は死なぬ。」
「だが。」
「疲弊はするようだ。」
その事実へ辿り着いてしまった。
「終わりだ。」
魔王は剣を構える。
黄金の瞳が妖しく輝く。
自らへ掛けた強化のチャームは、なお身体を満たしていた。
男は剣を握り直す。
指先は震えている。
足も重い。
それでも構えを崩さない。
王女との約束。
それだけが身体を支えていた。
魔王はゆっくり歩き出す。
追い詰めるように。
逃げ道を塞ぐように。
「お前は強かった。」
「我が認めよう。」
「だが。」
「強い者と勝つ者は違う。」
その言葉と同時に。
黒き剣が、今までで最も速く振り下ろされた。
男は受ける。
轟音。
鋼が悲鳴を上げる。
ついに。
長年使い続けた鋼の剣が、大きくひび割れた。
男の表情が初めて揺らぐ。
その一瞬を見て、魔王は勝利を確信した。
「終わりだ。」
その声には、疑いがなかった。
王城の外では、まだ鐘が鳴り続けている。
しかし、この部屋だけは静まり返っていた。
男は砕けかけた剣を握り締める。
呼吸は乱れ。
膝は震え。
それでも一歩も退かない。
その姿を見た魔王は、小さく笑った。
男はゆっくりと剣を構え直す。
もう、この剣は次の一撃に耐えられないだろう。
それでも。
前へ出るしかない。
約束を果たすために。
その時だった。
部屋の外から、かすかに誰かの足音が聞こえた。
男も魔王も、その音にはまだ気付いていなかった。




