第五十一章 守るための剣
静寂が消えた。
次の瞬間。
床石が砕ける。
男が一気に間合いを詰めた。
速い。
かつて西の王国で"最強"と呼ばれた剣。
その踏み込みは、十数年という歳月を感じさせなかった。
初太刀。
一直線。
魔王の首を狙う。
――甲高い金属音。
黒き剣が受け止める。
火花が散った。
魔王はそのまま半歩後ろへ滑る。
「なるほど。」
「腕は衰えておらぬようだ。」
男は返事をしない。
二撃。
三撃。
四撃。
連続して放たれる斬撃。
肩。
脇腹。
膝。
喉。
急所だけを狙う。
無駄がない。
戦場で磨き続けた実戦剣術。
魔王は防ぐだけで精一杯だった。
「くっ……!」
黒い鎧へ幾筋もの傷が刻まれていく。
男は止まらない。
剣筋が変わる。
横薙ぎ。
踏み込み。
柄で打ち払い。
逆袈裟。
一瞬たりとも呼吸を与えない。
「……化物め。」
魔王が初めて吐き捨てた。
男は何も答えない。
ただ剣を振るう。
王女との約束だけを胸に。
その姿は、まさしく一本の剣だった。
魔王は距離を取る。
大きく息を吐いた。
「なるほど。」
「剣では勝てぬか。」
その声に焦りはない。
むしろ笑っていた。
「ならば。」
金色の瞳が細くなる。
男は直感する。
来る。
次の瞬間。
魔王は左胸へ自ら手を当てた。
「従え。」
低く呟く。
黄金色の魔力が鎧の隙間から全身へ走る。
男はその光景を見たことがあった。
賢者の言葉が脳裏をよぎる。
――自らへチャームを掛ける。
戦士となる。
筋肉が膨れ上がる。
鎧が軋む。
床石が沈む。
その姿は人ではない。
巨大な戦鬼だった。
「これが。」
「本来の我だ。」
魔王は笑う。
その姿には苦しさも見えた。
身体へ無理やり力を流し込んでいる。
長くは保たない。
だからこそ。
短時間で終わらせるつもりなのだ。
轟音。
魔王が消えた。
いや。
速すぎて見えなかった。
男は咄嗟に剣を構える。
凄まじい衝撃。
吹き飛ばされる。
石壁へ叩き付けられた。
壁が崩れる。
普通の人間なら即死だった。
男はゆっくり立ち上がる。
口から血が流れる。
肋骨も折れている。
それでも倒れない。
「……不死身か。」
魔王は僅かに眉をひそめる。
男の身体はゆっくりと音を立てて修復され始めていた。
「便利なものだ。」
「我の呪いも。」
男は血を拭う。
「違う。」
短く答える。
「これは呪いだ。」
再び踏み込む。
速さではまだ男が勝る。
剣技でも男が上回る。
しかし。
一撃の重さは逆転していた。
互角だった戦いは、少しずつ形を変えていく。
魔王は戦いながら笑っていた。
「貴様は変わらぬ。」
「守るために剣を振るう。」
「だから弱い。」
男は受け流す。
言葉に耳を貸さない。
「守る者は必ず隙を作る。」
黒き剣が振り下ろされる。
男は紙一重で避ける。
床が割れる。
王城全体が震えた。
「我には守るものなどない。」
「だから負けぬ。」
男は静かに息を整える。
その言葉で確信した。
目の前の男は。
最後まで誰も信じない。
誰も愛さない。
だから強い。
だが。
だからこそ。
絶対に負けてはならない。
男は剣を正眼に構えた。
その瞳に迷いはない。
一方、魔王もまた剣を構える。
黄金の瞳が妖しく輝く。
二人は同時に踏み込んだ。
剣と剣が激突する。
轟音が夜の王城を揺らした。
その頃。
遠く離れた書庫で、一冊の日記が机から静かに落ちる。
女王は胸騒ぎを覚え、顔を上げた。
「……始まったのですね。」
誰に言うでもなく呟く。
王城最上階。
約束を守る剣と。
世界を支配する王。
互いの信念を懸けた戦いは、まだ始まったばかりだった。




