第四十六章 静かなる女王
夜明け前。
王都にはまだ薄い霧が残っていた。
王城では朝を告げる鐘が鳴り、侍女や兵士たちが慌ただしく動き始める。
女王もまた、その鐘とともに目を覚ました。
侍女が衣装を整え、朝食を運ぶ。
いつもの朝。
何も変わらない。
いや――。
変わってしまったからこそ、変わらぬ日常を演じ続けていた。
謁見の間。
地方貴族からの陳情。
干ばつ対策。
冬支度。
一つひとつを女王は冷静に裁いていく。
「北部への備蓄を増やしてください。」
「橋の修復を優先します。」
家臣たちは顔を見合わせる。
若き女王とは思えぬ判断力だった。
誰も知らない。
夜毎、一人で国王の日記を読み返していることを。
そこに残された父の想いを胸に、眠れぬ夜を過ごしていることを。
昼過ぎ。
執務を終えた女王は、一人、中庭へ向かった。
白い花が咲いている。
幼い頃。
よくここで遊んだ。
あの怪物のような顔をした馬番と。
自分の後ろを困ったようについて歩いていた大きな背中。
「……なぜ、あの時王子を襲ったのか。」
誰にも聞こえないほど小さな声。
すぐに首を振る。
「何を考えているの……。」
もう会うことなどない。
そう思っていた。
その頃。
王城の外壁、そのさらに外。
黒い外套をまとった一人の男が、高台から王城を見つめていた。
鉄仮面の奥。
赤い瞳だけが静かに揺れる。
もうすぐ魔王が戻っってくる。
男は外套の内側から、小さな布袋を取り出した。
中には残された真名石の護符が数枚。
指先で確かめる。
賢者は言っていた。
『本当の自分を取り戻させる。』
『魔王には感じ取れぬはずじゃ。』
男は静かに袋を閉じた。
その夜。
女王は執務室で一冊の書類へ目を通していた。
そこへ兵士が入ってくる。
「失礼いたします。」
「東部より報告です。」
「王配殿下の視察は無事終了。」
「数日後には王都へお戻りになります。」
女王の手が、ほんの一瞬だけ止まる。
「……そう。」
それだけだった。
兵士は退室する。
静かな部屋。
女王は窓辺へ歩いた。
王都の夜景が広がる。
遠く城壁の上。
黒い影が一瞬だけ動いた気がした。
「……?」
目を凝らす。
誰もいない。
気のせい。
そう思い、窓を閉めようとした。
しかし。
その時。
どこからともなく風が吹く。
一枚の紙が部屋に舞い落ちた。
女王はそれを拾い上げる。
淡く光る一枚の紙。
心が落ち着く気がする。
どこから?
疑問に思うも。
その紙を引出にそっとしまった。
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その頃。
城壁の影。
男は窓辺から離れていく。
夜風が外套を揺らす。
決戦まで、あとわずか。
二人はすぐ近くにいながら。
あの頃の様に
手が触れることはなかった。




