第四十四章 書庫の灯
静かな夜だった。
王城の大書庫。
数え切れぬほどの書物が並ぶその部屋には、一人だけ女性がいた。
女王。
誰もがそう呼ぶようになった王女である。
机の上には何冊もの古い本。
歴代国王の記録。
建国史。
各国との条約。
そして、一冊だけ。
革張りの古びた日記。
女王は静かにページをめくっていた。
窓から差し込む月明かりが文字を照らす。
その瞳は真剣だった。
悲しみでもない。
怒りでもない。
何かを確かめようとする目。
「……」
部屋には紙をめくる音だけが響く。
しばらくすると侍女が扉を叩いた。
「王女殿下。」
「もう夜も更けました。」
「お休みになられては。」
女王は顔を上げない。
「ありがとう。」
「もう少しだけ。」
侍女は困ったように微笑む。
「毎晩でございますね。」
「お身体を壊されます。」
「国王様に叱られますよ。」
女王は小さく笑った。
「心配はいりません。」
「少し調べものをしているだけです。」
侍女は頭を下げ部屋を出て行く。
再び静寂。
女王は日記を閉じた。
表紙をそっと撫でる。
「お父様……」
小さく呟く。
誰にも聞こえない声。
その時だった。
部屋の外。
ほんのわずかな物音。
女王は顔を上げる。
静かに扉を見る。
「……」
しばらく見つめたあと、
何も言わず再び本へ目を戻した。
その頃。
書庫の外。
男は壁に身を寄せていた。
気配を殺し、
呼吸すら止める。
今の物音は自分ではない。
廊下の向こう。
衛兵が二人歩いてくる。
「今日は書庫にも巡回か。」
「ああ。」
「あぁ、我らが王配殿下の命令だ。」
男の眉が動く。
書庫。
やはり何かある。
衛兵が通り過ぎるまで待つ。
やがて足音が遠ざかる。
男は音もなく天井近くの梁へ飛び移った。
昔。
王女とかくれんぼをした場所。
「ここなら見つからない」
そう身振りで教えたのは男だった。
王女は得意そうに笑っていた。
その梁は今も残っている。
男は静かに進み、
小さな換気窓から書庫を覗いた。
そこにいた。
女王。
机に向かい、
静かに本を読んでいる。
横顔だけが見える。
以前より少し痩せたようにも見えた。
長い銀髪。
凛とした姿勢。
幼い少女は、
立派な王となっていた。
男は息を呑む。
胸の奥が少しだけ温かくなる。
しかし次の瞬間。
女王は突然口を開いた。
「いるのでしょう」
男の体が固まる。
「出てきて」
静かな声だった。
怒ってはいない。
怯えてもいない。
男は動かない。
数秒。
沈黙。
やがて女王は小さくため息をついた。
「……また、気のせいなのですか」
そう言って視線を下に落とした。
気配を感じ取っただけ。
まだ見つかってはいない。
だが。
女王の気づいているのかもしれない。
男はゆっくりとその場を離れた。
今は会えない。
まだその時ではない。
----
一方その頃。
王城最上階。
執務室。
一人の老人が窓から夜空を見ていた。
黒い燕尾服。
王家に長年仕える執事。
その正体を知る者は、この国にはいない。
老人は静かに笑う。
「……帰ってきましたか。」
誰に言うでもない独り言。
その瞳だけが、
人ではない黄金色に一瞬だけ染まった。
「ずいぶん遅かったですね。」
夜風がカーテンを揺らす。
魔王の帰還まで、
後わずか。
王城には、
人々の知らない二人の来訪者がいた。
一人は王を討つため。
一人は王を迎えるため。
二人の運命もまた。
ゆっくりと交わろうとしていた。




