第四十二章 城内潜入
夜の王都。
白き王国の中心にして、かつて男が穏やかな日々を過ごした場所。
今は静かだった。
あまりにも静かだった。
城壁の上には衛兵が立っている。
だが、その目はどこか虚ろで、生気が薄い。
巡回の足取りも揃いすぎている。
まるで人形だ。
男は城下町の屋根の上から王城を見つめていた。
隣には頭領。
少し離れた場所には古魔王国反乱軍の精鋭たちが身を潜めている。
「気味が悪いな」
頭領が呟く。
男も小さく頷いた。
王都は生きている。
店も開いている。
人々も歩いている。
笑っている者もいる。
だが――
どこかおかしい。
誰もが同じ夢を見ているようだった。
「賢者の言っていた通りか」
頭領が言う。
「長年のチャームは、人の心に根を張る」
男は真名石の護符を握った。
胸元で淡く光る。
男は王城を見上げた。
そして小さく言う。
「いってくる」
頭領は頷いた。
「こちらも準備を始める」
今回の目的は王都制圧ではない。
まずは情報収集。
そして王城内部への侵入経路の確保。
無理な戦闘は避ける。
そう決めていた。
男は闇へ溶けるように動き出した。
王都の裏路地。
男は迷うことなく進む。
覚えている。
全部だ。
何十年経とうと忘れない。
王女と歩いた場所。
市場。
噴水広場。
花屋。
城下町の裏道。
幼い王女に連れ回わされた。
その度に侍女たちが慌てて探していた。
男は自然と笑いそうになった。
だが、思い出したのは最後の姿。
血を流しながら魔王を庇った王女。
怪物を見る目。
恐怖に染まった瞳。
男は唇を噛む。
今は考えるな。
前を見る。
やがて王城外壁の北側へ辿り着いた。
ここには誰も知らない場所がある。
昔。
王女が見つけた秘密基地。
城壁の蔦をよじ登った先に、小さな物置小屋があった。
さらにその床下。
古い排水路へ繋がる穴がある。
本来は使用されていない古い通路。
大人一人ようやく通れるほどの狭さ。
『二人だけの秘密よ』
そう言って笑っていた。
男は床板を外す。
あった。
変わっていない。
何十年経っても。
男は身を滑り込ませた。
暗闇。
湿った空気。
狭い石の通路。
足音を殺しながら進む。
途中でネズミが走り去る。
昔より崩れている場所もあった。
だが問題ない。
男は前へ進む。
しばらくして。
石壁の向こうから声が聞こえた。
「女王陛下はまた書庫へ?」
「最近ずっとだ」
「国王陛下がお亡くなりになってから変わられたな」
「前はもっとお優しい方だったのに」
「最近は怖い」
「だが国のためだ」
「国王代理殿下もそう仰っていた」
男はさらに奥へ進んだ。
やがて古い鉄格子の隙間から城内を覗く。
そこは地下倉庫だった。
人気はない。
男は静かに這い出る。
久しぶりの王城。
景色は変わっていない。
だが空気が違う。
重い。
息苦しい。
まるで見えない霧が漂っているようだった。
男は慎重に移動する。
衛兵を避ける。
侍女を避ける。
物陰から物陰へ。
そして気付く。
王城の至る所に。
白い花が飾られていた。
見覚えがあった。
王妃が好きだった花だ。
王女も好きだった。
幼い頃。
王女は花を摘みながら言った。
『お母様が好きな花なの』
男は立ち止まる。
なぜ今になって王妃の花を。
その時だった。
遠くの廊下から足音が聞こえる。
複数。
男は柱の影へ身を隠した。
ゆっくりと近付いてくる。
侍女たち。
そして――
その中央を歩く一人の女性。
銀色の髪。
威厳ある姿。
だがどこか疲れた表情。
王冠。
女王の衣装。
王女だった。
幼い少女ではない。
強く。
美しく。
そしてどこか孤独な女王になっていた。
王女はふと立ち止まる。
何かを感じたように。
ゆっくりと振り返った。
男が隠れる柱の方を見つめる。
数秒。
静寂。
だが王女は何も言わない。
やがて視線を戻し、そのまま歩き去っていった。
男は息を吐く。
気付かれなかった。
そう思った。
だが。
王女が去り際。
誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「……いるのですか」
男の瞳が見開かれた。
王女は振り返らない。
そのまま歩き続ける。
だが男の胸は大きく脈打っていた。
本当に気付いていないのか。
それとも――。
長い夜は、さらに深くなろうとしていた。




