第三十一章 消えぬ火種
男は地下牢を後にした。
城内は静まり返っている。
深夜。
巡回兵の足音だけが石畳に響いていた。
手の中には小さな紙片。
剣と翼。
そして山脈。
古魔王国反乱軍の印。
まさか幻魔王国の王城の地下にまで。
協力者が潜んでいるとは思わなかった。
男は城壁を越え、夜の王都へ戻る。
そのまま宿へは向かわなかった。
人気のない路地。
崩れた礼拝堂。
廃屋。
数日かけて街中を歩き回る。
印を探すためだった。
そして三日目。
王都南区画。
古い鍛冶屋跡で見つけた。
壁の隅。
煤で描かれた小さな印。
剣と翼。
男は周囲を確認する。
誰もいない。
壁に触れる。
すると背後から声がした。
「その印を知る者は少ない」
男は振り返る。
老人だった。
背中を曲げた炭焼き職人に見える。
しかし目だけは鋭かった。
「地下の者から聞いた」
男が答える。
老人はしばらく黙る。
やがて頷いた。
「支配はされていないようだな」
「ついて来い」
二人は王都の裏通りを進む。
辿り着いたのは古い倉庫だった。
中には十数人。
人間もいた。
魔族もいた。
皆一様に疲れた顔をしている。
しかし目だけは死んでいない。
老人が言う。
「ここは火種だ」
「消されなかった火種」
男は黙って聞いていた。
老人は続ける。
「魔王は賢い」
「賢すぎる」
「だから気付きにくい」
「この国は平和だ」
「飯もある」
「仕事もある」
「治安もいい」
「だが自由は無い」
倉庫にいた者達が顔を伏せる。
「逆らえば消える」
「疑問を持てば消える」
「真実を知れば消える」
「それだけだ」
男は地下牢を思い出していた。
あそこにいた人々。
王都から消えた人々。
行方不明者達。
全て繋がっている。
老人が机に地図を広げた。
幻魔王国全域の地図だった。
そこにはいくつもの印が記されている。
「反乱軍はまだ生きている」
「だが力が足りん」
「魔王が帰還する前に動かなければならない」
男は尋ねた。
「いつ帰る」
老人は答える。
「二十日後だ」
倉庫の空気が重くなる。
思ったより早い。
男もそう感じた。
魔王が帰国すれば。
今度は白き王国が完全に手中へ落ちる。
王位継承も行われる。
そうなれば。
完全に。
老人が男を見る。
「頭領に伝えろ」
「時間が無い」
「今ならまだ間に合う」
男は頷いた。
その時だった。
外から馬のいななきが聞こえた。
男の耳が動く。
聞き覚えがある。
まさか。
倉庫を飛び出す。
外には一頭の馬がいた。
黒毛。
大柄な体。
賢そうな瞳。
かって騎兵馬だった相棒。
男を見るなり鼻を鳴らす。
近寄ってくる。
男は呆然とした。
「お前……」
王都潜入の際に別れたはずだった。
逃がした。
生き延びろと。
だが馬はここまで来た。
主人を探すように。
男の肩へ鼻先を押し付ける。
倉庫の仲間達が驚いていた。
「知り合いか?」
老人が聞く。
男は少し考えた。
そして。
ほんの少しだけ笑った。
「相棒だ」
馬は満足そうに鼻を鳴らした。
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その夜。
男は出発を決めた。
王都に残る理由はない。
必要な情報は手に入れた。
反乱軍へ知らせなければならない。
二十日。
それが残された時間。
夜明け前。
男は馬に跨がる。
首から下がる真名石の護符が淡く揺れた。
魔王はまだ気付いていない。
今なら行ける。
老人達が見送る。
「伝えてくれ」
「火種は残っていると」
男は頷く。
そして馬腹を蹴った。
馬は駆け出す。
闇の中を。
風を裂き。
北へ。
山脈へ。
古魔王国反乱軍の待つ場所へ。
偽りの王国を壊すために。
夜明けの光が、地平線を染め始めていた。




