第二十九章 魔王の城
長い夜は始まったばかりだった。
男は人々の流れから離れ、静かに路地裏へ身を隠した。
幻魔王国の王都。
かつて西の王国と呼ばれた場所。
その中心にそびえる巨大な城を見上げる。
遠い昔。
男が命を懸けて守ろうとした国の王城。
今は黒い旗が掲げられ、魔王の居城となっていた。
胸の奥が鈍く痛む。
しかし怒りは湧かなかった。
長い年月が感情を削り取っていた。
残っているのは使命だけだった。
魔王を討つ。
それだけである。
男は外套の襟を上げる。
鉄仮面の奥から城を観察した。
王都の警備は厳重だった。
だが違和感がある。
城門には人間の兵士。
見回りも人間。
市場にも人間。
街中にも人間。
魔族の姿はほとんど見えない。
魔物もいない。
表向きは以前と何も変わらない王都だった。
「気味が悪いな……」
独り言が漏れる。
かつて魔王軍は怪物の群れだった。
略奪。
虐殺。
破壊。
それが奴らだった。
しかし、今目の前にあるのは。
機械の様に動く秩序だった世界。
まさに理想の王国。
だが男は知っている。
魔王は善人ではない。
王子でもない。
人の命に価値を感じない怪物だ。
ならば。
なぜこんな国を作る。
男は答えを探し続けた。
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数日後。
男は王都で荷運びの仕事をしながら情報を集めていた。
幸い顔を隠している者は少なくない。
旅人。
労働者。
傭兵。
誰も鉄仮面の男など気にしなかった。
分かったことがある。
時々、いなくなる人がいる。
しかも少なくない。
盗賊。
浮浪者。
犯罪者。
異端思想の者。
王国を批判した者。
そういった人々が突然いなくなる。
だが民は気にしていない。
「治安維持だろう」
「王子様が悪人を処罰してくださっている」
そう考えていた。
誰も疑わない。
王子を。
魔王を。
男は嫌な予感を覚えていた。
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その夜。
男は城へ向かった。
外壁は高い。
しかし不可能ではない。
かつて親衛隊長だった男には容易だった。
城壁を登る。
影から影へ。
音もなく進む。
真名石の護符が胸元で微かに揺れた。
魔王の気配。
遠くに感じる。
だが反応はない。
気付かれていない。
男は確信した。
賢者の言葉は正しかった。
真名石は魔王の感知を鈍らせている。
これなら近づける。
男は慎重に進んだ。
そして見つける。
地下へ続く階段を。
兵士二人が守っている。
こんな時間に。
城の地下。
何かある。
男は気配を消した。
兵士達の会話が聞こえる。
「また今日もか」
「気が滅入るな」
「仕方ないだろ」
「命令だ」
「見たことは忘れろ」
男の目が細くなる。
やがて兵士達が地下へ消えた。
男は後を追う。
地下通路は暗かった。
奥へ。
さらに奥へ。
やがて。
鉄格子が見える。
牢獄だった。
数十人。
いや百人近い。
人間達が閉じ込められている。
皆やせ細り、怯えた目をしていた。
その時。
男はある匂いを嗅いだ。
忘れるはずがない。
地獄の監獄。
あの場所で何十年も嗅ぎ続けた臭い。
薬品。
血。
腐敗。
人体実験の臭いだった。
男の背筋に冷たいものが走る。
まさか。
奥から悲鳴が響く。
男は反射的に駆けた。
そして見た。
実験室。
拘束された人間。
魔族の術師。
机の上に並ぶ器具。
瓶の中に浮かぶ怪物の臓器。
そして。
壁に刻まれた古い傷跡。
男の呼吸が止まる。
それは。
自分がかつて閉じ込められていた監獄で見たものと同じだった。
魔王はやめていなかった。
今も続けている。
人知れず。
人々の見えない場所で。
あの日と同じ地獄を。
男は拳を握り締める。
裂けた唇の奥から血が滲んだ。
そして理解する。
この国は平和なのではない。
巨大な幻だ。
美しい仮面の下に。
かつて以上の地獄が隠されている。
魔王は変わっていなかった。
何一つ。
その瞬間だった。
地下深く。
さらに奥。
重い扉の向こうから。
聞き覚えのある笑い声が響いた。
男の全身が凍り付く。
間違えるはずがない。
あの声を。
何度も聞いた。
魔王だった。
男はゆっくりと扉へ視線を向け。
息を潜めた。




