第二十二章 山脈の影
冷たい風が吹いていた。
男は馬の首を軽く叩く。
「もう少しだ」
馬は鼻を鳴らした。
魔族達の後を追いながら。
西の王国だった大地を横断し続けていた。
かつて豊かな麦畑が広がっていた平原。
王都へ続く街道。
人々が暮らしていた村。
その全てが消えていた。
あるのは廃墟だけ。
崩れた家々。
朽ちた井戸。
誰も使わなくなった畑。
風だけが吹いている。
男は仮面の奥で目を閉じた。
ここは自分が守れなかった国だ。
だから立ち止まることはできない。
前へ進む。
それだけだった。
やがて地平線の向こうに巨大な山々が姿を現した。
大山脈。
空を支える壁のような峰々。
雪を戴く頂。
黒い岩肌。
まるで世界を二つに分ける境界線だった。
男は思わず息を吐く。
「あそこか」
賢者が言っていた場所。
真名石が眠る場所。
そして――
魔王に逆らう者達が潜む場所。
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夕暮れ頃。
男は山脈の麓へ到着した。
岩場が多い。
木々も少ない。
隠れる場所はほとんど無かった。
二人の魔族は先に仲間の元へと向かった。
男は馬を休ませながら周囲を観察する。
すると――
視界の端で何かが動いた。
反射的に剣へ手が伸びる。
岩陰。
誰かいる。
一人ではない。
二人。
三人。
いや、もっとだ。
男は気配を消す。
相手もこちらを見ている。
沈黙。
風だけが吹いた。
そして。
岩陰から声が響く。
「その仮面」
低い男の声だった。
「どこで手に入れた」
男は答えない。
相手の人数が見えない。
不用意に話す理由も無かった。
再び声がする。
今度は別の者。
女の声だった。
「人間だな?」
男は黙っている。
「答えろ」
弓を引く音がした。
複数。
囲まれている。
男はようやく口を開く。
「それを聞いてどうする」
しばし沈黙。
やがて岩陰から数人が姿を現した。
男は目を細める。
魔族だった。
角を持つ者。
灰色の肌の者。
赤い瞳の者。
様々だ。
しかし共通しているものがあった。
誰も目が死んでいない。
男は知っていた。
魔王に従う魔族の目ではない。
自由な目だ。
魔族達も男を見ていた。
仮面。
黒い外套。
人とも魔族ともつかない異形。
裂けた口。
赤い瞳。
尖った耳。
やがて一人の大男が前へ出る。
頭に折れた角。
全身に無数の傷。
明らかに戦士だった。
「名は?」
男は首を振る。
「無い」
大男は眉をひそめる。
「無いだと?」
「呼ばれなくなって久しい」
魔族達がざわついた。
すると後ろから笑い声が聞こえた。
「ははは!」
小柄な魔族だった。
「面白い奴だな」
「気に入った」
しかし大男は笑わない。
じっと男を見つめている。
やがて口を開いた。
「お前」
その声は重かった。
「魔王を殺しに来たのか?」
男は即答した。
「ああ」
空気が変わった。
全員が息を呑む。
迷いも無い。
嘘も無い。
ただそれだけのために生きてきた男の声だった。
大男はしばらく黙っていた。
そして。
ゆっくり笑った。
「そうか」
その笑みは獰猛だった。
「なら歓迎しよう」
男は初めて気付く。
この者達もまた。
全てを奪われた者達なのだと。
大男は拳を胸に当てる。
「俺達は古魔王国反乱軍。」
「魔王を殺すために生き残った者達だ。」
風が吹く。
大山脈の向こう。
幻魔王城のある方角から。
まるで嵐の前触れのような風だった。
男は賢者の言葉を思い出した。
――真名石だけでは足りん。
――共に戦う者を見つけることじゃ。
その意味を。
今ようやく理解し始めていた。
反乱軍の男は振り返る。
「来い。」
「お前に会わせてやる。」
「俺達の頭領だ。」
男は馬の手綱を握り直した。
真名石。
反乱軍。
そして魔王。
全てが一つに繋がり始めていた。
大山脈の夜は静かだった。
だが確実に。
再び魔王討伐への歯車が噛み合いはじめた。




