第十九章 密航者
船は西へ向かっていた。
昼も夜も。
ただひたすら海を進む。
男は貨物倉の隅に身を潜めていた。
積み荷は大量の物資。
農具。
種子。
そして家畜達。
牛。
羊。
山羊。
豚。
そして騎兵隊の馬達。
獣達の匂いに紛れれば見つかりにくい。
そう考えて潜り込んだのだが。
三日目には見つかった。
「おい」
男が振り返る。
そこには若い男が立っていた。
薄汚れた服。
無精髭。
眠そうな目。
家畜番だった。
男は黙っていた。
家畜番も黙っていた。
数秒後。
家畜番は言う。
「飯食うか?」
男は少し驚いた。
「通報しないのか」
「面倒だし」
即答だった。
「それに」
家畜番は周囲を見回す。
「牛小屋の掃除が減るなら助かる」
男はしばらく沈黙した。
そして頷く。
「手伝おう」
「よし決まりだ」
その日から奇妙な共同生活が始まった。
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家畜番の名はロウ。
兵士ではない。
農民の三男坊だった。
遠征で新しい土地を貰えるかもしれない。
そんな理由で志願したらしい。
真面目ではない。
むしろかなり怠け者だった。
仕事は最低限。
昼寝は最大限。
しかし悪人ではなかった。
「お前、馬の扱いうまいな」
ある日ロウが言った。
男は馬の蹄を磨いていた。
「昔やっていた」
「なるほどな」
ロウは納得した。
それ以上は聞かない。
男も助かった。
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朝。
家畜の世話。
昼。
掃除。
夕方。
餌やり。
夜。
見張りを避けて眠る。
その繰り返し。
船旅は退屈だった。
男は船底の暗がりに腰を下ろし、膝を抱えていた。
鼻をつく家畜の臭い。
湿った藁。
波に揺られる木材の軋み。
どれも慣れたものだった。
むしろ心地よいとさえ感じる。
監獄の腐臭に比べれば遥かにましだった。
隣では牛が反芻し、奥では羊が眠っている。
馬たちは時折こちらを見る。
男はその視線に気づくたび小さく頷いた。
昔から馬は賢い。
人よりもずっと。
「お前たちも大変だな」
返事の代わりに鼻を鳴らす。
男はわずかに口元を緩めた。
裂けた唇が痛んだ。
・・・
――ドンッ!!
突然。
船体が大きく揺れた。
男は即座に立ち上がる。
家畜たちもざわめき始める。
船員たちの怒鳴り声が聞こえた。
続いて鐘が鳴る。
警戒を知らせる鐘だった。
嵐か。
違う。
波は穏やかだ。
ならば。
男はわずかな隙間から外を見る。
夜だった。
満月が海面を照らしている。
その先。
何かが見えた。
巨大な影。
島ではない。
山でもない。
動いている。
ゆっくりと。
海の上を。
男は目を細める。
次の瞬間。
船上から悲鳴が響いた。
「怪物だ!!」
「舵を切れ!!」
船が大きく傾く。
男の表情が険しくなった。
西の大陸へ近づいている。
魔王軍の支配地域だ。
怪物がいてもおかしくない。
しかし。
あれは大きすぎた。
海面から現れた首だけでも船より大きい。
月光を反射する黒い鱗。
巨大な眼。
蛇にも竜にも見える怪物。
巨大海蛇・・・。
海が盛り上がり。
巨体がうねる。
船員たちの絶望が伝わってきた。
男は剣の柄を握る。
だがすぐに手を離した。
ここで戦うべきではない。
正体が知られる。
なにより。
あの怪物は大きすぎる。
ー 船ごと沈むのか。
その時だった。
馬たちが一斉に鳴いた。
一頭。
また一頭。
騎兵隊の軍馬たちが海へ向かって叫び始める。
男は違和感を覚えた。
怯えているのではない。
怒っている。
威嚇している。
そして。
海中の巨大な影が動きを止めた。
まるで何かに操られるように。
長い首がこちらを向く。
男を見ていた。
正確には。
男の胸の奥。
魔王の魂が刻まれた場所を。
ぞくりと背筋が震える。
怪物の眼が細くなる。
次の瞬間。
海の怪物は静かに沈んでいった。
何事もなかったかのように。
暗い海の底へ。
船上では歓声が上がる。
奇跡だ。
助かった。
神の加護だ。
そんな声が聞こえる。
だが男だけは理解していた。
違う。
あれは逃げたのではない。
気付いたのだ。
この船に何が乗っているのかを。
男は海を見つめる。
西の大陸は近い。
そして。
魔王との戦いもまた。
確実に近づいていた。




