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怪物勇者   作者: Toooji
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第十五章 観察者


男の旅支度は驚くほど質素だった。


黒い外套。


鋼の剣一本。


腰袋一つ。


それだけである。


黒い外套は兵舎から拝借してきた物だった。


裾は長く、手足まですっぽり隠れる。


戦闘では相手に距離感を悟らせず、不意を突くことができる。


剣もまた兵士用のありふれた鋼の剣だった。


肩掛けの鞘に収め、背から左脚に沿わせるように吊るしている。


そのため外套の上からでは剣を携えていることが分かりにくい。


荷物は最小限。


腰袋の中には僅かな路銀。


干し肉などの保存食。


そして使い古した布切れが数枚。


鎧は持たない。


必要がないからだ。


男は死なない。


どれほど斬られても。


骨を砕かれても。


水底へ沈められても。


苦痛はある。


恐怖もある。


だが死だけは訪れない。


魔王にかけられた呪い。


それが男を生かし続けていた。


もちろん万能ではない。


食べなければ思考は鈍る。


水を飲まなければ身体も動かなくなる。


だから男は最低限の食事だけは欠かさなかった。


生きるためではない。


常に戦えるようにするためだった。


そして今。


男は永遠の森を彷徨っていた。


目的は一つ。


エルフの賢者。


チャームを解除する術。


魔王を倒すための知識。


それらを求めていた。


だが森は広大だった。


何日歩いたかも分からない。


目印のない森の中。


男は唯一見つけた小川を頼りに上流へ進み続けた。


水の流れには源がある。


人もまた水辺に集まる。


そんな僅かな期待だった。


数日後。


ようやく小川の終着点へ辿り着く。


そこには小さな泉があった。


透き通った水。


苔むした岩。


柔らかな木漏れ日。


まるで森そのものが眠っているような静かな場所だった。


そして。


泉の向こう側。


大きな切り株の上に誰かが座っていた。


男は立ち止まる。


人影だった。


尖った耳。


長い銀髪。


若い女性にも見える。


しかし目だけが異様だった。


何百年もの時間を見続けた者の目だった。


相手も男に気付いていた。


いや。


最初から待っていたようだった。


その人物は男を見る。


しばらく見つめる。


そして吹き出した。


「ぶふっ」


男が眉をひそめる。


相手は腹を抱えて笑い始めた。


「なんじゃその仮面は!」


男は無言。


「いやいやいや!」


「それ!」


「エルフの真似じゃろ!?」


「憧れておるのか!?」


「そうかそうか!」


「エルフになりたかったのか!」


大笑いしている。


男は静かに鉄仮面へ手を添えた。


確かに。


言われてみれば似ている。


尖った耳。


整った輪郭。


金の瞳を模した意匠。


仮面の部族が家宝としていた仮面は。


古い伝承に登場する森の悪魔を模して作られたものだった。


そしてその森の悪魔とは。


目の前にいるエルフ本人だった。


「ふふっ……」


「数百年前に少し脅かしただけなんじゃがな」


「まさか子孫代々語り継がれておるとは」


賢者は肩を震わせた。


「わし、人間嫌いじゃったからな」


「森の奥に来るなと言っただけなんじゃ」


「呪いをかけるぞー、とな」


男は呆然とする。


数百年続く伝承の真実がそれだった。


賢者は再び男を見る。


今度は笑わなかった。


じっと。


まるで身体の奥まで見透かすように。


男を観察する。


そして呟いた。


「ふむ」


「なるほど」


「面白い」


男の背筋に冷たいものが走る。


今まで誰にも感じたことのない感覚だった。


まるで心臓の奥を覗かれているような。


賢者は顎に手を当てる。


「魔王の魂」


「再生の呪い」


「怪物の血」


「人の心」


「なるほどなるほど」


男は思わず剣へ手をかけた。


賢者は笑う。


「警戒するでない」


「全部見えとるだけじゃ」


男は初めて口を開いた。


長く使わなかった声は掠れていた。


「……何者だ」


賢者は切り株から飛び降りる。


そして胸を張った。


「わしか?」


誇らしげに笑う。


「妖精国の追放者」


「永遠の森の変人」


「エルフの賢者」


「そして――」


その金色の瞳が細められる。


「世界を眺める観察者じゃ」


少し間を置き。

賢者は楽しそうに続けた。


「それよりも、久しぶりじゃのう」


「王女の剣よ」


男の身体が固まった。


その呼び名を知る者は誰もいないはずだった。


賢者は泉の水面へ目を向ける。


「さて」


「お主は何を知りたい?」


「魔王の倒し方か?」


「チャームの破り方か?」


「それとも――」


賢者は男を見る。


まるで全てを知っているかのように。


「自分が何者なのか、か?」


泉の水面が揺れた。


男の長い旅路は。


この日、ようやく新たな一歩を踏み出したのだった。

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