74話 戦闘準備
元森精種の集落まで戻ってきた私は、間借りしている家に向かった。扉を開けて室内に入ると、ココノハがぼんやりとしながら天井を見上げていた。
「あ……。お帰りなさい、ホシミさん。クルルさんはお休みになってますよ。ほら、そこで丸くなってます」
ココノハの指の先、ベッドの上にはクルルが膝を抱えて丸まって眠っていた。尻尾が揺れているので完全には寝ておらず微睡んでいるのだろう。
「ただいま、ココノハ。まだ起きていたのか。もう日付も変わる頃だ、そろそろ休んだ方が良い」
「ホシミさんが戻ってきたら一緒に寝ようと思っていましたから」
そう言って柔らかい笑みを浮かべる。
彼女に手招きされるままに近付くと、そのまま抱きつかれてベッドに倒された。
なんとかうまく避けたが、危うくクルルの尻尾を踏みそうになってしまった……。
「おいココノハ……クルルの尻尾を踏むところだったぞ……」
呆れた声でそう言うと、ココノハは舌を出して笑うのだった。
「ごめんなさーい。でも置いてけぼりのわたしを慰めてくれてもいいと思いますよー」
私の右腕を取って枕にするココノハ。空いた左手で頬から喉にかけてのラインを撫でると少しくすぐったそうにする。
「どうしたんですかホシミさん。そんな壊れ物を扱うみたいに優しく撫でて。何かあったんですか?」
「あまり気分の良くないものを見てしまったのでな。ココノハで癒されているんだ」
「気分の良くないもの?」
ココノハが問い返してくる。言うべきか迷ったが、堕が居た以上伝えた方が良い気がした。
「シンの軍隊の夜営地に、おそらくだが堕と思われる男がいた。黒い肌に白い髪……ほぼ間違いないだろうと思われる。その男が、軍の指揮官らしき男と共に森精種を……嬲って、殺していた」
「……そう、ですか」
ココノハは私の言葉を聞いて目に見えて落ち込んだ。
彼女が悪い訳ではないのに、かつて暮らしていた集落から生まれた堕ちた男の所業に責任を感じているようだった。
「ココノハが気に病む必要はない。それに堕は運良く一緒に行軍してきているんだ。これ以上被害を増やさないようにする為に、奴を討てば良い」
「そうですね。助けられなかった人のことでいつまでも悲しんでいても仕方ありません。わたしに出来ることは、元凶を断つこと。有無を言わさずに射殺してみせますよ」
それきり会話が無くなる。眠い中待っていてくれたのだろう、ココノハは少しすると穏やかな寝息を立て始めた。
わたしは室内を淡く照らす蝋燭を風の魔術で吹き消して、ゆっくりと目を閉じるのだった。
翌日は森の地形を利用した罠や魔術の仕込みをクルルと行い、ココノハは木精を探した。
残念ながら木精とは会えなかったようだが、元々人前に姿を現さない存在だ。最初からあまり期待していない。
罠と魔術の方は、なるべく捕獲や分断、隔離に使えそうなものを選んだ。動けなくなったところを魔術で直接一掃した方が手間が掛からないと思ったからである。
シン国の軍勢も予定通りに進行し、翌々日の昼過ぎ、あと二時間もすれば日が暮れるという頃に森の前に到着するのだった。
どうやら明朝、夜明けと共に攻め入る腹積もりのようだ。森からある程度離れた場所で夜営の準備を整えている。
流石に今から攻め入る森のすぐ近くで夜営をすることは無かったようだ。もしそんなことをしてくれたのなら森の中から夜のうちに一方的に魔術で殲滅したのだが。
さて、これで準備は整った。明朝、この森の中に入ったが最後だ。二度と出られることはあるまい。
堕の男と指揮官の髭面の男は可能ならば生け捕りにして情報を吐かせても良いだろう。勿論、吐かせた後は始末するが。
明日に備えている二人の様子を見ると、クルルはいつもと変わらず落ち着いている。
この程度のこと、潜った修羅場の数を思えばどうと言うことは無いのだろう。
ココノハは反対にそわそわとして落ち着かない様子だった。
戦闘は何度もこなしているが、たった三人で二百人と戦う経験は無いからだろう。緊張しているのが見て取れる。
しかし覚悟の定まった良い表情をしているので心配は要らないだろうと思った。
私たちは明日に備えて早めの食事と睡眠を取る為に行動することにしたのだった。
ーーーーーー
塔の居残り組のお話
side:ユキユキ
一夜明けたら住人が大量に増えていた。
何を言っているのか分からないが、私も何をされたのかよく分からない。
此処は呪いの森の中。一人の賢者の住まう塔。人の出入りの無い隔絶された土地。
クルクル様から聞かされていた前提がどんどんと崩れ去っていく様を見て、流石に苦笑いが浮かぶのは仕方がないことだろう。
空間転移で大量の人を連れてくることの出来る人物なんてパパともう一人しか知らないのできちんと納得はしているのだと思う。
それならそれで私が言うことは特に無い。だって私は身も心も全てあの人のもの。あの人が決めたことに異論なんてある筈が無いのだから。
まあ、二日もすればそんなことはどうでも良くなるもので、私はパパと一緒に眠っている部屋でミーちゃんとノーちゃんをベッドに上げて寝転んでいた。
最近この子たちは寝返りをうてるようになった。くるんくるんと転がる様子は見ていてとっても微笑ましい。
もう少しすれば、はいはいも出来るようになるだろう。
パパが帰ってくるまでに出来るようになっていたら驚くだろうな。なんてそんなことを思っていると、扉がノックされる音が聞こえた。
「開いてるウサよー」
扉に向けて声を掛けると、ゆっくりとノブが回る。扉を開いて中に入ってきたのは、相変わらずの破廉恥なメイド服を着たフューリだった。
「お、お邪魔するわね……」
明らかに挙動不審な様子のフューリ。視線は定まらず、手足は落ち着かないのか常に動かしている。
「珍しい人が来たウサね。どうかしたウサ?」
暴言の謝罪は既に受け取っているし、私ももう気にしないことにしている。今更蒸し返しにくることは無いだろうが……。
しばらくそわそわしているフューリの様子を眺めていると、自分の頬を両手で思い切り張る。
物凄い音が響いて流石に驚いていると、頬を真っ赤に腫らしたフューリが私に向けて頭を下げた。
「あ、赤ちゃんのお世話の仕方を教えてください!!」
「それは別にいいウサけど……いったい何があったウサ?」
私が問うと、フューリは気まずそうに目を逸らした。
「えっと、その……。実は、私もあの人に抱かれまして……、その時にある物を使ったのですよ」
「何で敬語ウサか」
「それは凄く悪いことしたから気まずくて……。ってあれ? 私があの人に抱かれたことに対しては驚かないの?」
何故驚かないのかと言われても……。
パパが出掛ける時に送ってた熱いまなざしとか、ココノハと同じ位置に着けた同じ色の指環とか、それを見て嬉しそうににやけている様子とか、そんな物をここ数日のうちに見ていたら驚くも何も無い。嫌でも気付く。
しかもこの娘、自分のそんな様子に気付いていないのだ。ものすごーーーーーーく指摘しづらい。
「理由を聞いたのは私ウサ。それに別に驚くようなことじゃないウサよね」
「そ、そうなんだ……」
なので誤魔化した。どうやらそれで納得した様子で、この娘のことが割と本気で心配になる。
「で、何を使ったウサか?」
「実は……冗談みたいだけど、絶対妊娠する薬……です」
「……は?」
今、私はものすごく呆けた顔をしているだろう。何その胡散臭い薬。そんな物が存在する筈が……と思っていたのだが。
「ほ、本当なのよ! 森精種に伝わるとっておきの秘薬なんだから! 出生率の低い森精種がどうしても子孫を残さなければいけない時とかに使うのよ!」
あまりにも必死に説明するフューリの言葉に、事実であると思うことにした。
「成る程ウサ。つまり、その薬を使ったからパパの子どもを妊娠するかもしれない。だから最初の質問に戻るウサね」
「そういうことです……はい」
今度は羞恥で顔を赤く染めるフューリ。
俯いて床を見ている彼女に向けて、私は承諾の言葉を掛けた。
「良いウサよ。と言っても私もまだまだ勉強中ウサ。そうウサね……まずはちゃんとした抱っこの仕方からで良いウサ?」
「は、はい! よろしくお願いします!」
ぱっと表情を明るくするフューリに、ミーちゃんを実際に抱っこして注意点を教えながらノーちゃんを抱っこしてもらう。
初めて赤ちゃんを抱っこするようで、少しぎこちなかったけど……それはまあ要練習ということで。
抱き上げたノーちゃんに優しい微笑みを向けるフューリは、子どもが産まれたら立派なお母さんになるだろうと、そう思わせるものがあった。
この日を境に、私は時間を見つけては部屋にやってくるフューリに色々と教えることになるのだった。




