72話 ココノハの過去
再び森精種の森に戻ってきた時には、もう日が傾きかけていた。最短距離を真っ直ぐに飛んできたのだ。空には障害物など存在しないので地上のどの移動手段よりも早くたどり着ける。
日が暮れる前に森精種の集落だった場所へ着き、適当な家にお邪魔することにした。
室内に明かりを灯して見回してみると、中にはベッドの木組みや机、棚といった大きな家具以外は何も無かった。元々物がなかったのかもしれないが、必要なものは全部纏めて持って行ったのだろう。
ベッドの木組みは二つ残っているので、二人で住んでいたのだろう。二つを一つに合わせてから上に寝袋を敷いて簡易のベッドにする。
「これで寝床は確保出来たな」
そう言うと、ココノハは早速その上に乗り込んだ。
「さらっとベッドを一つにするところ、わたしはとっても好きですよ」
ココノハは寝転びながら私に向けてはにかんだ。
「どの口が言うんだ。こうしないと後で拗ねる癖に」
同じ部屋で眠る時、ココノハは私の隣で眠りたがる。隣で……というよりは、触れておきたいといった方が近いか。
「女の子は面倒くさい生き物なんですよー。それに……せっかく三人しか居ないんですから、お話が終わった後にでもいちゃつきたいじゃないですか。ねえクルルさん」
「たしかに……です…にゃ。もし主が迷惑だって言うのでしたら、無理にとは言いません…にゃ。でも私も主にべたべたしたいですにゃ」
クルルは少しだけ頬を赤らめて私を見る。ココノハとクルルから期待に満ちた眼差しを向けられて、僅かに肩を竦める。
「迷惑だとは思っていないとも。そうだな……ココノハは兎も角、最近はあまりクルルに構ってやれなかったからな。後で好きに甘えてくれて良いぞ。だがそれは後の話だ。今は───」
私が言おうとした言葉をココノハが引き継いだ。
「堕のことですよね。わたしが知っている範囲ですけど……それをお話します」
ココノハは姿勢を正してから、一度深呼吸をして話し出した。
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side:ココノハ
今からおよそ三十年以上昔のこと。
わたしは森の唯一の純森精種として、やがては集落を纏め治める立場にありました。
お父様はわたしが百にも満たないうちに怪我で死に、お母様も病で亡くしたばかりでした。
わたしの両親は珍しい純森精種の夫婦だったそうで、森中の人から慕われていました。両親は元々その集落の生まれではなくて、色々と旅をした途中で立ち寄っただけだったみたいです。わたしはそんな二人の子どもとして生を受けました。
だからこれは、わたしが当てのない旅に出る前の……全てを無くした時のお話。
その日は、いつもと同じような穏やかな一日でした。
わたしの家は集落から離れたところにあるので、そこで一人で本を読んでいました。
午前中はこうして本を読んで知識を蓄え、午後からは森の中で自由に過ごす。これが当時のわたしの生活でした。
不満は一切ありませんでした。
正確には、不満を覚えるほどわたしは世界の広さを知りませんでした。
長い時を生きる森精種にとって、退屈な時間は無二の友です。いつもと同じように木に登って歌を口ずさんでいる時に、そういえば今日は狩りに出掛けた人たちが帰ってくる日だということを思い出しました。
別にわたしが集落に向かわなくても誰かが届けてくれるのですが、その日は何となく出向いてみようと思ったのです。
のんびりと森の声に耳を傾けながら歩きます。三十分も歩けば集落にたどり着く距離です。
集落までの道も半ばまで来た頃でしょうか。森の中が急にざわつき始めました。その場に留まって様子を伺っていると、何かの燃えたような臭いと、集落のある方向から黒煙が上がっていることに気付きました。
「森が……燃えてる!?」
わたしは全速力で駆け出して、すぐに集落までたどり着きました。
そこで見たものは───、辺り一面の赤。
炎、血、臓物、屍体。赤、紅、朱、あか、アカ。
「──────」
言葉が出ませんでした。ただ、わたしは茫然と立ち尽くすだけ。
木々が、森が燃えていく。
この時わたしはもう、森精種たちを助けることを諦めました。
何故ならばここに来るまでに微かに聞こえていた悲鳴や苦悶の呻き声が一切聞こえてこなかったのと、森の声が、既に生命のある者は居ないと教えてくれたからでした。
視界に映る、人の営みとそれを成していた人たちを焼き尽くす炎の中、遠くに一人の人物が立っているのを見つけました。
最初は生存者がいる! と思いました。でも、よく見ると苦しんでいるような動きとは違う……まるで、面白おかしくて腹を抱えて笑っているようでした。
身を隠しながら近寄ると、はっきりと嗤い声が聞こえてきました。
そっと様子を伺うと、そこにいたのは森精種の男でした。ただ、常と違うのは。
半分だけ色が変わっているということ。
森精種の肌は色白で、髪は濃淡こそあるものの緑色です。ですがその男は、肌を黒く、髪を白く浸食していき……。やがて、完全に一色になりました。
「嗚呼、僕の身体の色が変わった。これが『堕ちる』ということなのか。ふふ、ふふふふふ。素晴らしい! まさに伝承の通りじゃないか! 僕は堕森精種になったんだ!! この愚かな同胞と森を捧げて、更に高みへと登る……。さようなら我が故郷。お前たちは僕の見事な踏み台だったよ。……そうだ、この耳はもう要らないな。後で切り落として、只人のように短くしてしまおうか」
男はそう言ってから踵を返して森を出ていきました。振り返った時に一瞬だけ顔を見ることが出来たのですが……。
その男は集落で最も優秀とされる頭脳を持つ青年でした。
何故、彼はこのような所業を成したのかは分かりません。
ただ一つだけはっきりとしていることは……。
平穏に暮らしていた森精種たちを殺し、森を焼いたことを。
絶対に───許さない。
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「夜には雨が降り出して、火は朝には消えてくれました。わたしは亡くなった彼らを埋葬した後で、誰も居ない森に残るのは辛かったので荷物を纏めて一人旅に出ることにしたんです。その先で、ホシミさんと出会って今こうして一緒に居ます。───今回の堕は、元々、わたしの集落の森精種だったんですよ……」
話し終えたココノハは長く息を吐き出した。
何故ココノハが件の堕について詳しいのかが判明した。
同じ集落の人物で、かつ直接変化するところを見てしまったのだ。
「話してくれてありがとう、ココノハ。今まであまり過去のことを話さなかったのは……こういう事情があったからなのだな」
「これでも心の整理はついてはいるんですよ」
ココノハそう言って苦笑を浮かべてベッドに横になる。
「わたしは不幸だった人が報われないのは嫌ですけど……人を利己の為に不幸に陥れるのはもっと嫌いです。わたしは、かつての集落の次期長だった者として……あの男を殺します。それがわたしの責任だと、そう思いますから」
「……そうか。手伝えることがあれば言ってくれ。私は君の伴侶だ、その重責を半分背負おう」
「はい。ありがとうございますホシミさん」
ココノハが私に何度かシン国のことを尋ねてきたことがあったのを思い出す。
私のところに来るまでに、堕の男がシンに居ることは掴んでいたのだろう。
いつか、あんな者を野に放ってしまった責任を取る為に……。
話の途中から夕食の支度をしてくれていたクルルも料理を手に戻ってきた。
キッチンに居てもクルルの、というより獣人の耳ならば先の内容は全部聞こえていただろう。
「ココノハ、ご飯が出来ました…にゃ。お話はもう終わったのでしょう、温かいうちに頂きましょう…にゃ」
だがそれには一切触れずささっと配膳する。
これはクルルなりの優しさなのだろうと思った。
ココノハも「はーい」と返事をしてベッドから起き上がる。
こうして私たちは少し遅くなった夕食にするのだった。




