67話 森の入り口
空間転移をした先は、深い森の入り口とでも言うべき木々と平野の境界線だった。
場所的には北の氷雪地帯に沿うように位置する北東の森である。
森の木々の背は高く、葉は生い茂っているためほとんど陽の光が地に当たっていない。そのため少し肌寒く少し薄暗い。
振り返って平野を眺めると、街道すら存在せず辺り一面を覆う草原が見渡せる。穏やかな風が吹いており、とても長閑で平和だ。
このまま真っ直ぐ南下するとシン国にたどり着くが、まだそこに用は無い。
出来るならばこの平和な空間で屍山血河を築きたくはないが……。そこは時と場合によって臨機応変に立ち回るとしよう。
「ここって地図だとほぼ北国との境界線ですよね。よくこんな寒いところに集落を作ったものだと感心しますよ」
ココノハは森を眺めながらそんなことを呟いた。
ということはココノハが以前住んでいた場所は寒くなかったのだろうか。……寒いのが苦手だと言っていたから暖かい場所だったのだろうな。
「ココノハは昔はどの辺りに住んでいたんだ?」
思わず聞いてみると、ココノハは南の方角を指差した。
「南ですよ。シュメットを中央とすれば、南東でしょうか。私がかつて住んでいた森があったんです」
そう言って目を細める。過去を思い出しているのだろう、しかしすぐに頭を振って私の腕にしがみ付いた。
「そんなことより早く森に入りましょうよ。こんなに生命の気配を感じられる森に入るのは久しぶりで楽しみなんです」
笑みを浮かべながら軽く右腕を引いてくるココノハ。塔の周囲の森は結界によって生き物がいないので通常の生命の営みを送る森に入るのは楽しみなのだろう。
やはり森精種なのだなと改めて感じるのだった。
「クルル」
「はい、お任せください…にゃ」
周囲の警戒をしてくれていたクルルに声を掛けて私たちは森精種がいる森の中に入っていく。
先頭はクルルだ。獣人特有の嗅覚と聴覚を活かして警戒しながら罠などを見破ってくれる。二人旅の時もよく助けてくれた。
その後ろにココノハと並んで歩く。ココノハは腕を組んだままなので自然とそうなった。
森の中ならば『森に愛された者』とまで言われる純森精種のココノハに危害が及ぶことは無いだろうが念には念を入れていつでも守れるようにはしておく。
隣のココノハの様子を見ると、目を閉じて私に移動を委ねながら森のさざめきに耳を傾けていた。
今にも歌い出してしまいそうなほど楽しげな横顔は、普段よりも生き生きとしているように見えて。
ただ……美しいと。それ以外の言葉は一切必要ないくらいに、眩く輝いて見えた。
私の視線に気付いたココノハが目を開けて首を傾げる。
「どうかしましたか? そんなにじーっとわたしを見て」
「いやなに。森の中のココノハは生き生きとしていてな。美しすぎて見惚れてしまったんだよ」
「〜〜〜〜ッ!!!」
思ったことを正直に伝えるとココノハは一瞬で顔を真っ赤に紅潮させて俯いた。
「卑怯です。いきなりそんなことを言うなんて卑怯ですよ。ホシミさんはわたしを褒め殺しにするつもりですか?」
「そんなつもりは無かったのだが……」
「知ってますよー。本当にそう思ってくれたってことですよね。……ありがとうございます」
礼を述べたココノハは更に強く腕にしがみ付いてきた。視線は下げたままだったので当然というべきか右手に向かう。
「あっ……これ……」
私の手───具体的には薬指に視線が固定される。
私の右手の薬指には、緑色の指環が二つ付けられていたのだ。
「ホシミさん、もしかしてフューリを?」
何故フューリとすぐに分かったのかと思ったが、良く考えてみればココノハは魔術器官の色が視える稀有な存在だった。
フューリとユニステラは色が違うのだろう。だからすぐに分かったのだ。
「ああ。……嫌、だったか?」
顔色を伺うように聞いてみる。もしかしたらあまり良い感情を持っていない可能性もあるのだ。
だが私の心配は杞憂に終わった。
「いえ、そんなことは無いですよ。ただ、あの男嫌いのフューリと……って思っちゃいまして。少し話しただけで分かるほどの筋金入りですよあの娘。そんな娘を落とすなんて、やっぱりわたしが見初めた男性なだけありますね!」
どこか誇らしげなココノハの様子に内心ホッとする。
機嫌が良さそうなので少し深く聞いてみることにした。
「私が他の森精種と契るのは嫌がるのではないかと思ったが……。ほら、フューリとユニステラには少し当たりが強かった気がしてな」
「確かに当たりは強かったかもしれないですね。理由はほら、あれですよ。恥ずかしいので簡単に言っちゃうと『わたしの男を侮辱しやがって!』ってことです! ああっ! 簡潔に言っても恥ずかしい!」
悶えるように身をくねらせるココノハ。なんとか平静を取り戻すと、先の言葉に続けるように話し出した。
「まあ、そういう訳です。だからあの娘たちが嫌いな訳じゃないんですよ。で、も!」
ココノハが右手の人差し指を私の顔に向けて突き出した。
「わたしが森精種の最初のお嫁さんですから! フューリより愛してくれなきゃ拗ねますからね!」
そう告げるココノハはとても楽しそうに微笑んでいて。私もそんな彼女に微笑み返すのだった。
しばらく進むと、何か薄い膜のようなものを通り抜ける感覚に襲われた。本当に僅かな違和感しか感じなかったので、これを張った人物は余程の実力者なのだろう。
元々魔術器官を持たない人間には絶対に察知出来ないが、これならば魔術にかなり傾倒した人物で無ければ察知することは叶わない。それほど素晴らしい結界だった。
「主。結界に入りました…にゃ」
「そのようだ。ふむ……侵入者感知用、といったところか。すぐに森精種が様子を見に来るだろうな」
「どうするんですか?」
クルルと私の言葉にココノハが質問をする。
少しだけ考え込んでから答える。
「このまま待つとしよう。敵対する訳ではないしな」
「私も主の意見に賛成です…にゃ。あまり相手を刺激するのは好ましくないですし…にゃ」
どうやらクルルと意見が一致したようだ。
ということで森精種が来るまでそのまま待機することになったのだった。
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塔の居残り組のお話
side:フューリ
私はぼんやりとしながら右手の薬指を眺めていた。今日何度目になるか分からないが、気が付けば視線がそこに向かってしまうのだ。
本来存在しない筈の紫色の指環であることも驚きの一要因ではあるが、男嫌いの私がまさか契りを結んだ証を身に付けることになるとは思わなかった。
その彼の右手の薬指には私のものとココノハ様のものだと思われる二つの指環が付けられている。
二つとも緑色だったので、ココノハ様と同じ先天守護属性だったんだなぁなんてどうでもよいことを考えるくらい落ち着かなかった。
「ふぅ……」
またため息を吐いてしまった。今日で何度目だろう。こちらも数えるのを辞めてしまった。
そっと指環を指で撫でながら硬くて冷たい感触を味わう。
どうして私はこんな指環に心を奪われているのだろう。ただの、物でしかない筈なのに。
そんなアンニュイな私の背後から私の目を両手で覆い隠す人がいた。
「だーれだ?」
「この部屋にはユニ以外居ないでしょ……。というか声で丸分かりだからね」
ぱっと視界が明るくなる。
振り返ればそこには楽しげに笑っているユニがいた。
「今日のフューリはどこか物憂げで構ってくれないから寂しいの〜」
「あんたそんなキャラじゃないでしょ! どうしたのよ一体」
「どうかしたのはフューリじゃないの? ずーっと指環を見てる。……それ、ホシミ様とだよね?」
そう言って優しげな微笑を浮かべたユニは優しく私を抱きしめた。
「ねえ。フューリはさ、嫌だった?」
「そんなことは……」
それだけは無いと断言出来る。何をとは言わないが、何のことかは良く理解している。私が男に対してそう思うこと自体が稀なのだが、彼に関しては決して嫌では無かったのだ。
「嫌じゃ無かったんだよね?」
ユニの再度の問い掛けに頷いた。
「ならさ、難しいこと考えなくても良いんだよ。フューリはホシミ様と望んで結ばれた。それだけでいいの。いいじゃない、嫌いな男の中でたった一人特別な人が居たって。わたしにとっての特別だーって、ちゃんと胸を張って言えればさ、全然良いと思うの」
優しく頭を撫でるユニに甘えるように身体を預ける。
たしかに私は難しく考え過ぎていたのかもしれない。
男は嫌いだ。それは間違いなく変わっていないし変わることはないと思う。
だけど、たった一人だけ……あの人だけは。
私にとっての特別になるのだろう。
「ありがとね……ユニ」
「どういたしましてかな」
私はしばらくユニに甘えることにするのだった。ユニも優しく受け入れてくれた。
たった一日しか共に過ごしていないのに、私の心を独占するあの人は今は居ない。それが少しだけ寂しくて、少しだけホッとする。
さすがの私だってたった一日でこうまで進展するなんて幾ら恋愛に疎いとはいえあり得ないことを知っていた。それこそ物語の世界でも稀有だろう。
「(最初は取引の為の道具として身体を差し出すだけのつもりだったのになあ)」
奴隷だった立場から解放されたり、男に抱かれたりと、自分の周囲が急に変化していく中で、やはり少し疲れていたのだろう。いつの間にか私はユニの胸の中で穏やかな寝息を立てていたのだった。




