66話 フューリの想い
side:フューリ
広々とした部屋の中。柔らかなベッドの上で枕に顔を埋める少女がいる。この部屋の元々の主はあまり余計な物を置かない人らしく、必要最低限ではあるが質の良い家具に囲まれていた。
奴隷として過ごしていた数日前までは考えられなかった環境である。
「はぁ……私何やってるんだろう」
ベッドの上のフューリは脱力しながらぼやいた。
今日一日で何度醜態を晒すのか。
初めて、本当に死ぬかもしれない恐怖を味わって。更に同族が危機に晒されているのに力を貸すことも出来ない。
どうにもできない無力感に苛まれていると、背後に人の気配がする。
おそらく、自分と相部屋の長い付き合いのある友人だろう。
その人物は近くまで寄ってから私が横になっているベッドに座った。
「フューリ……大丈夫?」
心配そうなユニの声が聞こえた。私は身体を起こすと、ユニの胴を掴んで横倒しにする。
「ひゃあっ!? ちょっとフューリ!?」
驚いたような声で非難してくるが、彼女はされるがままだった。私は無言でユニの薄い胸に顔を埋める。
「もう……どうしたの?」
優しく頭を撫でてくるユニ。懐かしい、というほど過去でも無いが、落ち着くので辛い時はよくこうしてもらっていた。それが分かっているので彼女も振り払ったりはせずに受け入れてくれる。
「……悔しいよ。何も出来ない自分の無力さが、すごく……悔しい」
「そうだね……。でもココノハ様の言っていることは間違いじゃないと思うの。わたしたちが付いていっても、足手まといにしかならない」
「それが理解してるから余計悔しいのよ……。ねえ、もし体調が万全だったとしたら連れていってくれたかな?」
「どうだろう……。フューリがホシミ様を受け入れない限り難しいんじゃないかな……」
「やっぱりそうなるわよね……」
フューリはため息を吐いてから更に頭をユニの胸に押し付けた。
「はーいフューリちゃん、ママのおっぱいでちゅよー」
「そういうのやめなさいよ!!?」
からかうようなユニの言葉でばっと身を起こす。そしてユニをじとっとした目で見ながら言い返すべく口を開いた。
「だいたいユニの方が背も胸も小さいじゃない! なんで私が子ども扱いされるのよ!」
「えー、駄目かなあ。わたしフューリにおっぱい吸われるなら全然良いよ?」
「……ぐっ。凄く魅力的に感じる自分が情けないわ……」
ユニに頭を撫でられながらなら割と本気でそうしたいという気もする。そんな私の葛藤を知ってか知らずか、ユニは温かい眼差しを向けるのだった。
「元気出た?」
一瞬きょとんとするが、先の言動はすべて私を元気付ける為のものだと分かり口角が釣り上がるのを感じた。
そうだ。よく考えてみれば、私は今日誰とも知れない人間に売られていたのだ。運良く逃げることが出来たおかげで無事に済んだが、そうでなければ私は……。
ならば、既に失くしていた筈のものを失ったところで問題なんてある筈がない。
これは、何も出来ない私が唯一出来る謝罪と礼、そして対価。善人である彼を利用し、絶対に森精種たちを守ってもらう為に切れる最強のカード。
「ええ。とっても。おかげで決心が付いたわ」
「決心?」
今度はユニがきょとんとする。
そんなユニに向けて、本来ならば絶対にあり得ないことを私は告げる。その顔が驚愕に染まるだろうことを予感しながら。
「私、今夜あの人に抱かれてくる」
ーーーーーー
夜の闇が辺りを包み込み、天上の月と星々が大地を淡く照らす。
生命を拒絶する森はいつもと変わらぬ静寂さだった。私は一際大きな木の上に登り、幹に背を預けて枝に腰掛けていた。
最近は住人が一気に増えたので少しだけ静かな場所に居たかったのかもしれない。
彼女たちと共に過ごす時間は勿論大切だ。しかし、たまには一人で月でも眺めながら過去に想いを馳せるのも乙だろう。
……と思っていたのだが、どうやら客が来たらしい。
「……随分と賑やかになった。五百年前とは大違いだ。そこに居るのだろう?」
私が声をかけると、木が揺れる。私よりも若干高い位置にある枝に一人の少女が姿を現した。
「なんで私が見えるのよあんた」
現れたのは予想外の人物だった。てっきりクルルがいると思っていた。正直言って彼女の方から接触してくることはないと思っていたのだが。
「これは予想外の珍客だ。君から私に接触してくることは無いと思っていた」
「ふん……何だっていいでしょ。それより、さっきの質問に答えなさいよ」
「理由は簡単、気配を隠しきれていないからだ。いや、この言い方は不適当だな。最初から隠すつもりもなかったのだから」
雲に半分ほど覆われていた月が現れ、辺りがほんの少し明るくなる。これではっきりと顔が見えるようになった。そこに居たのはやはりフューリだった。
「こんな所に何か用でもあるのか? それとも、私に用があるのか?」
真剣な表情で真っ直ぐに私を睨み付けるフューリに向けて問い掛ける。彼女は私の肩に手を掛けた。
「あなたに頼みがあるの」
「何かな。朝にも言ったが、共に連れて行くことは出来ないぞ」
「それは分かってる。だから別の頼みをするの。……お願いします、私たちの同族を守ってください」
男嫌いのフューリがわざわざ私に頭を下げにくるとは思わなかった。仲間意識の強い方だとは思っていたが、まさかそこまでするとは……。
「言われるまでもなく最善は尽くす。森精種にとっての当面の脅威はシン国だ。奴らを鎮圧するのは私の目的とも合致している」
そう言ってフューリの頭を撫でてやる。最初は驚いたように肩を跳ねさせたが、されるがままになっていた。
「何だ……結局、私はまた……空回ってたのかなぁ」
「フューリ?」
何かを呟いたフューリは、顔を上げて無理矢理に唇を重ねてきた。
「……!?」
「んっ……はっ……んむ……」
どれくらいの間そうしていたのだろう。私はまさかフューリがそういうことをしてくるとは思わず完全に身体がフリーズしてしまっていた。
フューリの舌が口腔内で蠢き、何か小さな錠剤のようなものを飲ませられる。
ようやく唇が離れると、恥ずかしそうにしながらも真っ直ぐに見つめてくる。
「今……何を、飲ませた」
フューリはその問いには答えない。その代わり先の行動の理由を教えてくれる。
「失礼なことを言ったお詫びと、保護してくれたお礼……そして、森精種を助けてくれるあなたに私の身体を捧げます」
「待て、ここは木の上……」
最後まで言うことを許されず再び唇を塞がれる。
一心不乱といった様子で唇を貪るフューリを何とか共に落ちないようにバランスを取りながら相手をする。
息継ぎをする為に一度唇を離した隙を縫ってフューリを抱き抱えたまま下に飛び降りた。着地の際、衝撃がいかないように浮遊の魔術を使ってゆっくりと降りる。
不安定な木の上ではなく地の上に場が移ったことでフューリは私を押し倒すようにして更にキスを繰り返す。キスがひと段落したところで、先ほど飲ませられた物の正体を教えてくれた。
「さっき飲ませた薬は森精種に伝わる秘薬なの。男女が共に飲んで交わることで子が出来やすくなるっていう……とっておき。命中率はほぼ百の、本来なら禁忌とされる代物なんだけどね」
「何故そこまでする。そんなことせずとも礼や謝罪なんて言葉で充分だ、それにフューリは男が───」
「ええ、嫌いよ。大嫌い。だけど一方的にあれもこれもやってもらうのも嫌なのよ。あなたは私たちに何も求めない。そのくせ私たちを助けて、望むことはあなたが出来ることなら叶えてくれる。ねえ、私たちは、私は。あなたに何も返すことが出来ないの!?」
泣き叫ぶような声だった。実際にフューリは泣いていない。泣いているのは心なのだろう。
ただ一方的に与えるだけ与えて、何も求めない。我ながらなかなかに残酷なことをしていると思った。
悪人であるのなら裏があるのではと勘ぐるだろうし、善人であるのなら何も返せないことに歯がゆさを覚えるのだろう。
私は何も言い返せなかった。言い返す資格も無い。
「……」
「そういうのって嫌なのよ……。それに、私が男に抱かれるなんて、これがきっと最初で最後。ねえ。今ね、奴隷になって初めて良かったって思ってるのよ。不思議よね、あれだけ辛くて嫌だったのに。でも、あなたに会えて、あなたにあげられるものがただ一つ残っていたから……」
フューリは初めて私に優しい眼差しを向けた。
「私を抱いてほしいの。子どもが出来ても……いえ、あなたの子どもなら産んであげたいの。これが私に出来るせめてもの恩返し。女にここまで言わせたんだから、しっかり受け入れなさい」
「出会ってまだ一日も経っていないんだぞ」
「時間なんて受けた恩に比べれば関係ないわ。それに、明日から居なくなっちゃうでしょ? シンのことが解決すれば、ここから出て行くことになるんだから今この時を置いて機会はないの」
そう言ってフューリは自身の服に手を掛けた。
「初めてだから、出来るだけ優しくしてね……?」
ここまで来たら受け入れるしかないだろう。それでフューリの気が済むのなら。
せめて精一杯優しく導いてあげるのが今できる最善だと思う。
こうして月夜に照らされた私たちは、一つに重なるのだった。
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side:ユニステラ
窓から一人で月を眺める。フューリが部屋を出て行ってからずっとこうしていた。
きっと物憂げな表情をしていることだろう。
今頃フューリはホシミ様に……。
想像して顔が熱くなってしまう。
まさかフューリがあんなことを言い出すなんて思わなかった。長い付き合いのわたしですら……いやだからこそ予想がつかなかった。
『私、今夜あの人に抱かれてくる』
耳に残るのはフューリのあの宣誓のような言葉。
しばらく呆然としてしまっただろう。
男嫌いのフューリが? 自分から?
ここに来るまでの彼女からは絶対に考えられない言葉で、あの後何度も考え直すように言ったけど結局ホシミ様に会いに行ってしまった。
フューリのことは全部知り尽くしていると思っていた。実際、一番彼女のことを知っているのはわたしだろう。
好きなもの、嫌いなもの、嬉しかったことから共に過ごした地獄のような数ヶ月まで。
今回何故このようなことを言い出したのかは分からない。何か、心の中で変化でもあったのかもしれない。
それが良いことなのかどうなのかは不明だ。
「それでも……フューリが心から納得しているなら、わたしが出る幕はないよね」
願わくば、ホシミ様に優しくリードされて素敵な初体験を迎えて欲しい。今夜の一件でフューリの男嫌いが少しでも治るのなら……。
「それにしても、あのフューリに先を越されちゃったかあ。わたしの方が初体験は早いと思ってたのになあ」
思わず苦笑が漏れてしまう。
自分は自分でフューリはフューリだ。こんなことを考えてしまうなんて本当にらしくない。今夜はさっさと寝てしまおうと思った。でもその前に……。
「おやすみなさいフューリ。どうか素敵な夜を過ごせますように……」
心の底からの祈りを捧げてから、本来フューリと共に眠る筈だったベッドに一人で横になるのだった。
ーーーーーー
夜闇に紛れた交合が終わり、何処か満たされたようにお腹をさするフューリが私の腕を枕に横になっていた。
地には私のローブが敷かれているので汚れることはないだろう。
「なあフューリ。もし望むなら、好きなだけ居ても良いんだぞ」
先のフューリの言葉を思い出す。
シンのことが解決すればここから出て行くことになると言った。別に出て行く必要はないという意図を込めて伝えたが。
「それじゃ駄目よ。元々受け入れ先の集落が見つかるまでの保護でしょう? いつかは出ていかなきゃいけないの」
フューリは既に近い未来に出て行くつもりで話していた。
そういえば彼女は一方的に与えられるのが嫌だと言っていた。ならば私が頼めば残ってくれるのだろうか。
「……では例えばだ。私がずっと側に居て欲しいと懇願すればどうする?」
「……それは、卑怯よ。そんなこと言われたら、出ていけないじゃない……」
フューリは恥ずかしそうにそっぽを向く。
その様子を見てほっと胸を撫で下ろした。どうやら嫌われてはいない……むしろ好意を持たれていると思って良いだろう。まあもし嫌われていたらフューリは恩返しだろうが何だろうが身体を許すことは無いだろうが。
「それは良いことを聞いた。フューリ、改めて頼もう。私と───」
夜の密会はこれにて終わり。
私の言葉はフューリしか知らないし、その返答は私しか知らない。
この翌日の朝以降しばらく会うことはないが、フューリの右手の薬指で紫色に輝く指環を見た者は何があったのかだいたい察しただろう。
そして翌日。
私は皆に見送られながらココノハとクルルと共に空間転移の魔術で森精種の集落がある森へと向かうのだった。




