45話 ユキユキの過去:両親と死に別れて
夜になり、いつものように鏡で世界を見渡していると、部屋の扉が叩かれる音がした。昼のうちにユキユキから今夜二人で話がしたいと言われたのだ。
「入って良いぞ」
扉を開けて入ってきたのは、やはりというか、ユキユキだった。今の彼女は以前のように私の上着だけを羽織ったような姿ではなく、長袖のワンピース型の寝間着を着せられていた。白地の生地にピンクのハートマークが至る所に縫い付けられている。妊娠したことで今までの格好で過ごしてはいけないとココノハたちに強く言われた結果がこの服のようだ。少しもじもじとしているが、多分慣れない格好で少し恥ずかしいのだろう。
「御主人様、急にごめんねウサ」
「構わないさ。それで、何かあったのか?」
ユキユキは私の隣に座ると頭をこちらにもたげてくる。
「ちょっとだけ、お話したいなって思ったウサ。あんまり面白くないお話だけど、聞いてくれるウサ?」
「ああ、聞こうか」
ユキユキの背を優しくさすりながら声をかけると、ユキユキはくすぐったいというように身体を動かした。しかし離れないどころか更にくっ付いてくる。何度か深呼吸をしてから、ユキユキはゆっくりと口を開いた。
「ありがとウサ御主人様。じゃあ聞いてください。私の、過去の話───」
ーーーーーー
昔、まだパパとママがいた頃のことはあまり覚えていない。二人の顔も、写真や形見の品といった物が何一つ手元に残らなかった幼い私には記憶に留めておくことが難しかったのだろう。
ただ、覚えていることがある。それは形のないもの……感情である。二人はいつも笑顔でいたこと、そして───私を愛してくれていたこと。とても幸せな家庭に生まれ育ったのだと思ったものだ。幼い私は、パパと、ママと、いつまでも笑いあえる日々が続いていくと思っていたのだ。
そう、あの日までは。
その日は激しい雷雨だった。何度も鳴る雷の音に驚きはしたものの怖がるといったことはなかったが、次第に激しさを増していく雨に不安を感じていたと思う。風も強くなってきて、窓が破れてしまいそうだからと部屋の奥で毛布にくるまって丸くなっていた。
「少し、窓が心配だね……。今からでも補強してくるよ」
パパが難しい顔で言うのをママが止める。
「危ないわ、やめておきましょうあなた」
「しかし───」
パパが何かを言おうとしたとき、一際強い風が吹き、窓が破れてしまった。風雨が隙間から入り込み、室内を滅茶苦茶に蹂躙する。軽いものはどんどんと吹き飛ばされていた。
「しまった! 仕方ない、すぐに塞いでくる!」
パパは一人で破れた窓に近付き、テーブルや椅子などの大きくて丈夫な使えそうなものを見繕って窓を塞ぐように配置する。ママはその様子を見て、呆れたようにため息を吐いたあと、私を見て言った。
「ユキユキ、ママもパパを手伝ってくるからここで待ってなさいね?」
「うさ……きをつけて、ママ」
ママは優しく私の頭を撫でてから、パパのところへ向かった。悪戦苦闘しながらも二人でなんとか窓を塞ぐことに成功し、ホッとひと息つく。笑顔で私のところへ戻ろうとした二人だったが、腹の底に響くような大きな嫌な音が聞こえてきたことでその動きを止める。窓を塞いでしまったことで外の様子が分からないのが更に不安を掻き立てた。何事か分からず警戒するように周囲をきょろきょろと見回すパパとママ。音が聞こえなくなってしばらく経ってから、もう大丈夫だろうと安心したのも束の間、振動と共にすぐ近くで大きな音が聞こえ───。
私の目の前で。
土石流が家を破壊しながらパパとママを押し流していった。
「──────え? パパ……ママ……?」
私がいた場所はギリギリ無事で、もう二、三歩進めば土石流に呑まれていただろう。家は無残に破壊され、残された部分もじきに倒壊するだろうことが察せられた。しかし、幼い私にはそのことに頭が回る筈もなく。
「パパっ!! ママぁ!!!」
風が少し弱まったものの、未だ降り続ける雨の中、二人の姿を探して家を飛び出したのだった。
幸い……と言って良いかは分からないが、パパとママは割とすぐに見つかった。腹から下を重い土石に押し潰され、余命幾ばくかといった状態だったが。
「パパ! ママ! しっかり、私が助けるウサ!」
子どもには到底持ち上げられないような巨大な石を力の限り押しながら私は叫んだ。しかし、二人は首を振った。
「いいんだ、ユキユキ……。パパたちはもう……助からない」
「嫌!!! そんなの嫌ウサ!!! みんなで、一緒が、いいウサっ!!!」
「いいのよ、もう……いいの。ユキユキ……こんなに急で、あなたに、何も残せなくて……ごめん、なさいね……こふっ」
「ママっ、血が……口から……」
「ユキユキ……こっちに、いらっしゃい……。あなたの、可愛い顔を、見せて……?」
ママの段々と弱々しくなる声に、石を押す力が抜け、ふらふらとママの側に近寄った。ママは私の顔を愛おしそうに撫でてから、
「本当に、可愛い……わたし、たちの、子……。あなたなら……とっても、良い人に、出会える……はず……」
笑顔で息を引き取りこの世を去っていった。
パパは涙を流しながら、何度も何度も謝って、最期にこう言い遺した。
「ユキユキ……忘れないでくれ。パパとママは、お前を愛している。ずっと……ずっとだ……。ユキユキなら……本物の、『幸運を呼ぶ白兎』に、なれる……なんたって、パパとママの、自慢の娘なんだからな……」
「パパ……やだ、やだウサぁ……わた、しを……置いて、いかないで……!」
仕方ないといった様子で私の頭を撫でたパパは、
「不甲斐ないパパとママで、本当にすまなかった」
そう言って息を引き取った。二人の亡骸の側で私は一人うずくまり、大きな声で泣き出した。しかしその泣き声は、雨音に掻き消されていくのだった───。
翌朝、無事を確認しにきた付近の人たちによって、私は救出された。後に聞いた話によると、長い時間を風雨にさらされて体温が極度に低下しており、生死の境を彷徨っていたようだが、なんとか一命は取り留めたらしい。半分ほど残っていた家だった部分は新たに押し寄せた土石流によって跡形も無くなっていた。あのまま残っていたら私もこの世にはいなくなっていただろう。パパとママの遺体は丁重に救出され、家があった場所に埋葬してくれたそうだ。二人のお墓となっていた木の十字には、色とりどりの花が供えられていた。
目の前でパパとママに死なれ悲しみのどん底に沈んでいた私は、村の孤児院のような場所で死んだ目をしながら世界を見つめていた。耳に聞こえる大人たちの声を無視しながら……。そんな時にやって来たのが、あの男───名をガルドという、私の叔父を名乗る者だった。




