46話 ユキユキの過去:そして私は谷底へ
ガルドと名乗ったその男は、一言で言うのなら、胡散臭いだった。ボサボサの黒い髪、綺麗な身なりの服装と、手入れの行き届いていない無精髭。口元は取って付けたような薄ら笑いを浮かべているが、その瞳はどこまでも冷たかった。私の叔父であると名乗った通り、その頭には私と色は違うが同じ兎の耳があった。
「いきなり来て急にこんなこと言って悪いなあ。だけど俺の嫁さん……ああ、お前の母親の妹なんだが、一人生き残ったお前を放っておけないって言い出してな? ま、これも何かの縁だってことでウチで引き取ることになったんだよ」
そう言ってガルドは俯いたままの私を半ば無理矢理連れ出した。周囲の大人たちは、何をしてもほとんど反応を示さない私のことを厄介者と思っていたらしく、いなくなって清々するといった様子の人が多いようだった。
ガルドに引き渡された後、長い間馬車に揺られて、やがてたどり着いたのは小高い丘に佇む一軒の家だった。玄関では、私と同じ白い兎の耳をした女性がにこにこと笑いながら私を出迎えてくれた。
「あなたがユキユキちゃんね? 噂には聞いてたけど姉そっくり……」
私を優しく抱きしめる女性は、ママと似た暖かな匂いがした。
「私のことは、そうね……。アンリお姉さんって呼んでね?」
彼女の名前はアンリというらしい。目の前のアンリがそう言うと、ガルドが思わずといった様子で噴き出した。
「おばさんって言われたくないからって洗脳すんなよ」
「失礼ね! まだ若いんだからお姉さんで良いじゃない! 私はまだ二十代なんだからね!!」
「へーへー、どうせ俺は三十過ぎのおっさんですよっと」
仲の良さそうな二人の会話を無感動な瞳で眺める。パパとママがいなくなってから、どうしても笑えなくなってしまった私はただ見つめることしか出来なかった。
そして私は、ガルドとアンリ、そしてまだ産まれたばかりの二人の子どもの三人と暮らすことになった。その期間はわずか半年ほどと短い期間だったが、育児で忙しい筈のアンリの優しさと献身に幾らか心が救われたのだった。しかし、毎日のほとんどを一人泣いて過ごす私にガルドは我慢の限界が来ていたようで、アンリが出掛けていた時を見計らってガルドに外に連れ出された。
「いいから早く来い! 毎日毎日泣いてばかりいやがって、この糞ガキがっ!」
「嫌っ! はなして! 助けてっ、パパっ! ママぁ!!」
嫌がる私を無理矢理引きずり馬車に乗せる。猛スピードで馬車を飛ばすせいでかなり車体が揺れ動き、まともに立っていられないほどだった。やがて馬車が止まり、ガルドに担がれて崖際に運ばれる。
「嫌、いや、離して……!」
なんとか逃げ出そうと暴れるが、ガルドの一言で私は凍りついた。
「すぐに離してやるよ。この崖下にな」
そう言って私を崖下に放り投げた。内臓が迫り上がるような気持ち悪い浮遊感と、下に落ちていく感覚を味わいながら、咄嗟に上へと手を伸ばす。最後に私の視界に映ったのは───ようやく肩の荷が下りたと言わんばかりに笑みを浮かべるガルドの姿だった。
不幸中の幸いというべきか、私は崖に沿って生えていた木々にぶつかりながら落ちたおかげでなんとか生き長らえたらしい。らしいと言うのは、その時の記憶が無いからで、気付いたときには冥界の屋敷の中だったのだ。全身傷だらけ、身体中至る所で骨折もしていて動けない。しかも意識不明だった私は遠からず死んでしまうと思われていたようだが……その予想を外すかのように私は意識を取り戻した。
「──────────ぁ」
「!? 目を覚ましたのか…にゃ?」
私の顔を覗き込むようにして見てきたのは、黒髪の女性だった。後ろは肩の辺りで切り揃えられているのに、横の髪だけは胸辺りまで伸びているという不思議な髪型だった。頭には黒い猫の耳が生えており私と同じ獣人であることが分かった。琥珀色の瞳が心配そうに見つめている。私は身体の痛みに呻きながら、弱々しい声を発した。
「あな、たは───それに、ここ、は、いったい───」
「ああっ! 無理はダメにゃ! 君は死にかけていたんだから…にゃ」
私に安静にしているように言い聞かせると、猫の女性は私の状況を教えてくれた。
「先ずは自己紹介からか…にゃ。私はクルクル…にゃ。まあ、見ての通り獣人にゃ。ここは『冥界』と呼ばれている場所……本来なら人が辿り着けない地下深くにある死者の国…にゃ。と、言っても、子どもには難しい話かにゃ?」
正直、何を言っているのか理解は出来なかったが、彼女の名前がクルクルであること、私が今いる場所は冥界と呼ばれる場所であることは分かった。
「君はこの冥界の門───まぁ、入り口にゃ。そこに全身傷だらけで倒れていた…にゃ。そこを偶然私が見つけて、連れ帰ってきたから今ここで寝ている……ということにゃ」
目の前の女性は椅子に腰掛ける。
「一応聞いておかないと…にゃ。君の名前は何というのかにゃ?」
「ユキユキ……」
「随分と可愛らしい名前にゃ。……まぁ、そんな状態であまり喋らせるのも悪いから今日のところはこの辺にしておく…にゃ。怪我が治ったら色々と聞くから、それまでは自分の家だと思って何でも言って欲しい…にゃ」
その言葉通り、クルクルと名乗った女性は私を献身的に介護してくれた。怪我が癒えるまで半年、寝たきりで衰えた体力を取り戻すのに更に半年ほど掛かったものの、私は元気に回復したのだった。
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「で、その頃には今まで起こったことを話せるようにはなれたウサ。あの時は泣きながら話していたウサね」
過去を思い出してユキユキが苦笑する。まだ十八だというのに、随分と苦労してきたようだ。しかし、そんな素振りは今まで見せていなかったのは彼女自身が知らぬ間に身に付けたある種の防衛反応なのだろう。
「まさかユキユキが二度も死にかけているとは思わなかった。本当に、良く無事だったな」
崖下に放り投げられた、というのはクルルから聞いていたので知っていたが、土石流を運良く躱したことと、低体温症で死にかけたところを何とか一命を取り留めたこと。ただ運が良い……というだけではないだろう。ユキユキには何かしらの加護が付いているのかもしれないと思った。可能性があるのは……あれか。
「クルクル様も驚いていたウサ。『普通は崖下に落ちたら死ぬにゃ、しかも冥界まで落ちて来るとか、いったいどのくらいの高度があると思ってるにゃ』って言ってたウサ」
たしかに、そう言われても仕方ないだろう。日の光が届かないほどの地下深くまで落ちて来て生きているのだ。
「やはりユキユキには『幸運の加護』が付いているのかもしれんな」
「『幸運の加護』ウサ?」
初めて聞いたのか、ユキユキは頭をひねる。
「本当にごく稀にだが、この世に生を受ける際、加護と呼ばれるものが付与されることがあるのだ。数百年に一人居れば良い方でな。あまりにも珍しいからか、生涯で加護の存在に気付かぬまま生を終える者も多いのだ」
「それってやっぱり、自分にしか効果はないんウサ?」
「ああ。だからユキユキは二度も───いや、土石流のことを考えれば三度か。三度も死にかけていながら全て生存している。どんな豪運を持っていたとしても、ここまでの結果は出まい」
私の言葉を聞いて、ユキユキは悲しそうな表情を見せた。
「やっぱり、パパとママは助けられなかったウサね。自分にしか効果のない加護なんて……意味が無いウサよ」
「ユキユキ……」
上を向いて目元を拭ってから、ユキユキは顔を伏せる。そして私の手をぎゅっと握ってきた。
「ごめんね御主人様。もう、大丈夫、とっくに心の整理は付いてるウサ。私はあの日生き残る運命だったウサ。そのおかげで……御主人様に会えたんだから……。ママの最期の言葉の通りだったウサ」
ユキユキの母は、『きっと良い人に出会える』と言っていたのだったか。それが私だと、ユキユキはそう言っているのか。
「そうか……。ユキユキにそう思ってもらえるなら、長く生きた甲斐もあるというものだ」
私の存在がユキユキの救いとなるのなら───。私は彼女を支えてやるとしよう。新しい大切な家族なのだから。




