最終話 たいせつなもの
僕の言葉に、有坂ははっとしたようすで顔を上げた。
「気がついた?」
僕の言葉に、有坂は首を振る。
「そんな、まさか…」
「気がついたんだね?」
重ねて問うと、有坂はまた首を振った。
「詳しく推理した訳じゃないけど…一つ気にかかってたことがあるの」
不安げな声で、有坂が問う。
「どうして黒川君は、理科準備室なんかにみんなを呼びだしたの?」
「どうしてだと思う?」
その質問に、有坂は目を伏せた。
「黒川君は、高原君達があんな行動にでることを知ってたんじゃない?」
「どうして?」
「黒川君、ナイフを出されてもぜんぜんおびえてなかったじゃない。それどころか、ドアに近いところに陣取って、私まで連れ出せるなんて。まるで、最初から知ってたみたいに。そう…」
有坂が、僕を見据えた。
「私たちが疑われたときの高原君達みたいに」
「有坂さんなら気づくかもとは思ってたんだ」
ゆっくりと、僕は語り出す。
「その通り、僕は最初からああするつもりだったよ。もともと、おいつめられたあいつらが暴発しやすいように、わざわざ人気のないところを選んだんだ。あいつらが、『黒川ひとりを消せば、あとはどうにでもなる』と思うようなところをね。だから、あいつらは武器を持ってきていた。それこそが、ねらいだったんだ。
だから、呼び出す場所は理科準備室じゃなきゃいけなかった。窓のない、外開きのドアの部屋。もともと狭くて、8人も入ればいっぱいになってしまうような部屋。そんな場所が、絶対に必要だったんだ。あいつらを閉じこめるためにはね。そして僕と有坂さんは、入り口のすぐ近くに陣取る。何かあったときに、すぐに逃げ出せるようにね」
凝視する有坂の前で、僕はしゃべり続ける。
「武器を持っていて、追いつめられて混乱していて、明かりもついていない。窓もない。狭くて自由に動くこともできない。そこをああやってあおられたらひとたまりもないだろうと思って。ああやって、思わせぶりなことをたくさんいって、あいつらがつぶしあいをするようにしむけたんだ。ただ、あそこまでやるとは、さすがに思ってなかった。せいぜい一人二人けがをするくらいだと思ってたんだけど」
「どうして、そんなことを?」
「日本の今の法律では、未成年者はよほどたくさん人を殺さないと、死刑にはできない。ということは、いずれあいつらは外へとでてくる。今までのあいつらの行動からして、そうなれば絶対に復讐されるよ。それを少しでも引き延ばそうと思ったんだけど」
それがどれぐらい甘いことだったのか、今では痛いほどわかる。結局それが、さらに五人の命を失わせることになった。
結果として、それによって有坂の関与が明るみにでることはなくなった。死人に口なしだ。僕は苦い気分で思った。
「有坂さん、これを聞いてどう思う?僕をひどいやつだと思う?」
僕の問いに、有坂は答えず、別のことを口にした。
「その前に、ひとつ聞きたいの。どうして、そんなことを教えてくれたの?証拠もないことだし、黙ってたらたぶん誰も気づかないまま終わってたと思うよ。なのに、どうして…」
「その理由はね…」
僕はかがみ込むと、有坂と唇を重ねた。
びっくりして声も出ない有坂を見ながら、僕ははっきりと言った。
「有坂さん、好きだよ」
「有坂さんの秘密のことは、誰にも話さないから安心して」
「…そのために、黒川君の計画を教えてくれたの?私の弱みをなくすために?」
「うん。確かにそれを使えば、有無をいわさず好きなようにできたかもしれないけど、そんな有坂さんなんかほしくないよ。それじゃ、あいつらといっしょになっちゃうし。僕は、有坂さんを奴隷じゃなくて、恋人にしたいんだ」
ほんとは、わかってる。
ここで僕の手の内をあかしたところで、僕が有坂と一緒に心中する気になったら。こんな秘密など、紙切れ一枚の価値もない。
けれど、あえて手の内をあかしたことで、僕が有坂を裏切ることはないと、信じてもらえるだろうと、僕は確信していた。
…そしてそのことを、有坂は恩に思うだろう。そして有坂は、僕の告白を断ることはできなくなってしまう。
僕にはそこまでわかっていた。でも、他にどうすることができただろう?せめて、彼女がこれを恩にも負担にも、脅しにも感じないように、できるだけ軽くするしかなかった。
有坂が、口を開いた。
「だめ。わたしにはできないよ」
「準備室でのことなら、あんまり気にしてないよ」
「どうして?」
「あのときは結局助けてくれた。計画では有坂さんにもドアを閉めてもらうつもりだったけど、あんなことになったから、手伝ってもらえないと思ったんだ。僕一人じゃ、あのドアを閉めることは無理だったしね。けど、有坂さんは手伝ってくれた。それに…
あのときのこと。屋上からの帰りの時の」
納得のいかない様子の有坂に、説明する。
「あんなことをしたら、有坂さんが怒るのわかってたはずなのにね」
「だから、いいんだ。結局何事もなかったし、有坂さんは自分を犠牲にしてまで僕を助けようとしてくれた。それでいいじゃない」
「黒川君…!」
有坂の涙は止まらない。
「黒川君、ばかだよ。ほんと、ばかだよ…。黒川君は、私に殺されかかったんだよ、わかってる?私にだまされて、ひどいめにあったんだよ、わかってる?なのに、なのに…」
「最初に裏切ったのも僕だし、あの場所でも僕は裏切ってるんだ。許してもらうのは僕の方だよ」
「どうして、そこまで私なんかに?」
「有坂さんに最初に許してもらったときに、決めたんだ。どんなことがあっても、有坂さんを守るってね。
あの公園で許してもらった恩は、たぶん一生かかっても返せないだろうけど。でも、あの時から…いや、最初に屋上で有坂と会ったときから。あの場所にいてもいいって、有坂さんが言ってくれたあの時から。
僕は有坂さんが好きだった。どんなことをしても、守りたいと思った。
うまくできたかどうか、自信はないけど…」
「だめだよ、わたしなんか…」
「それがいやなんだよ」
「?」
「僕たちがいじめられたのは、何度もすれ違って、お互いを罠に落としたのは、自分に自信がないからだよ。自分さえ我慢すれば、相手を助けられる。それしかしてあげられることはないから。そう思いこんで、何度も何度もお互いを傷つけた。
もう、おわりにしよう?自分にも、みんなにも、この世のすべてにびくびくして暮らすのは。
そのために助けがいるのなら。杖になってあげるから。自分で立ち上がる気がありさえすれば、手を引いてあげられるから。
だから…一緒に行こう?」
そういって手を差し出す。
彼女は、その手をじっと見て、おずおずと手を取った。
僕がその手を強く握り返して、手を引くと。
目の前に有坂の唇があった。
声を上げるまもなく、僕の唇に有坂のそれが押しつけられる。
驚いて声も出ない僕に、有坂は少し恥ずかしそうに、
「私からするのは、初めてだね」
「…う、うん」
「ありがと、黒川君。ほんとに、ありがと。どんな人だってこれ以上のことはできなかったよ」
そこまでほめられると、なんだか照れくさい。
「でもね…黒川君も、まだ立ったばっかりじゃない。ふらふらしてるよ」
思わず、顔が赤くなる。
「黒川君が倒れそうになったら、私が杖になるから。今度はちゃんと、支えるから。
守ってもらうだけなんて、嫌だよ。前も言ったよね…、黒川君は、私が守ってあげるって。前は守れなかったけど、今度こそ」
胸が詰まった。
「ありがと…」
それしか、言葉が出てこない。
有坂が、また泣いている。でも、こんどは、笑った顔のまま。
僕が見たかった、有坂の笑顔が、そこにはあった。
これまで彼女が忘れていた、心からの笑顔が。
Fin.