↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/10

晩餐

「――夕食? 殿下と?」


伝言を聞いたとき、華恋は思わず訊き返した。


「はい。今夜、離宮の小食堂で。給仕は私が務めます」


エマは、いつもと同じ顔で言った。


「なんで急に。……前に断ったときは、そのままだったのに」


「さあ。殿下のお考えは、私には」


言いながら、エマはもう衣装櫃を開けている。用意されていたのは、洗濯場の匂いがしない、淡い若草色のドレスだった。


「行かないって言ったら?」


「聖女様」


エマは振り向いて、にっこりと笑った。


「行きましょうね」


有無を言わせない笑顔だった。粥のときと同じ種類の。


   ◇


夕刻の小食堂。給仕の支度をするエマのそばに、鉄灰色の髪の侍女長が立っていた。


「準備は」


「整っております」


「毒見は、あなたが」


「はい」


カトリーヌは短く頷き、それから、いつもより低い声で言った。


「殿下の御前です。粗相のないように。……頼みましたよ」


エマは、器を並べる手を止めた。


一拍の間があった。


「…………はい。分かっています」


   ◇


小食堂は、思ったより狭かった。


長すぎない卓に、燭台がふたつ。向かい合って座ると、皇太子の顔がはっきり見える距離だった。


正装ではなく、簡素な上着。髪も無造作に下ろしている。いつもの張り詰めた感じが、すこしだけ薄い。


「……その、なんで急に、夕食なんですか」


「食事は毎日するものだ」


「そういう意味じゃなくて」


「話をする機会がなかった」


皇太子はグラスに口をつけた。


「お前がこの離宮で何をしているのか、報告では聞いていた。……洗濯場だそうだな」


「文句なら侍女長様に言ってください。汚れたシーツを洗えって言ったのは、あっちなので」


「文句ではない」


意外なほど、静かな返事だった。


「働けと言われて、本当に洗い場へ行く人間は、そう多くない。……まして、聖女と呼ばれる者が」


褒められているのか、呆れられているのか。判断がつかなくて、華恋はスープに逃げた。


そのとき、エマが控えめに卓へ近づいた。銀のさじで料理をひと口ずつ取り、静かに口に運ぶ。毒見だ。この十日で、何度も見た光景だった。


皿を置くとき、エマと目が合った。


緊張で背筋が伸びきっている華恋に気づいたのだろう。エマは、そっと微笑んだ。大丈夫ですよ、と言うみたいに。


すこしだけ、肩の力が抜けた。


エマが下がるのを待って、皇太子は言った。


「――今日、干し場で商人と話していたな」


スープを飲む手が、止まった。


「……見てたんですか」


「通りかかった」


「テオが何か? あの人、石鹸の納品で……というか、変な話はしてません。洗濯機の話をしてただけで」


「せんたくき」


「押すと勝手に洗濯が終わる箱です」


「……そうか」


皇太子は、しばらく黙ってグラスを回していた。


「楽しそうだったな」


「え」


「あんな顔で笑うのだな、お前は」


なんと返せばいいのか分からなくて、華恋は黙った。燭台の炎が、小さく音を立てて揺れる。


「……この国で、恋人でも作ったらどうだ」


「ぶっ」


盛大にむせた。


「な、なんの話ですか急に!?」


「悪い話ではない。この世界に、お前を繋ぎとめるものがあったほうがいい」


「ないです。作りません」


「なぜ」


「なぜって……私、帰るので」


きっぱりと言うと、皇太子は目を伏せた。何かを言いかけて、やめたように見えた。


「……そうか」


「そうです」


沈黙が落ちた。気まずくて、華恋は話題を探した。


「あの、テオと話してたの、ほんとにくだらないことなんですよ。私の世界の話で」


「聞こう」


「え」


「聞かせろ」


そう言われてしまえば、話すしかない。


華恋は、日本の話をした。押すだけで洗濯が終わる箱。冷たいものが冷たいまま入っている箱。空を飛ぶ鉄の乗り物。遠くにいる人と話せる、手のひらに乗る板。夜になっても道が明るくて、真夜中でも店が開いていること。


「学校の帰りに友達とアイス食べて、写真撮って、意味のない話を三時間くらいして。それで『また明日』って言って帰るんです。毎日毎日、同じことしてて」


話しながら、自分の声が、だんだん止まらなくなっているのに気づいた。


「バカみたいでしょ。でも、それがいちばん――」


言葉が、途切れた。


うつむいて、スプーンを握り直す。


「……すみません。変な話しちゃって」


「いや……。想像がつかないな」


皇太子は、すこし可笑しそうに息をついた。


「つまりお前の国では、真夜中に、菓子と、雷で動く箱と、話す板を売っているわけだな」


「いや、その言い方だとすごい怪しい店なんですけど」


「怪しくないのか」


「怪しくないです! ふつうのコンビニです!」


「こんびに」


真面目な顔で復唱されて、噴き出してしまった。


「……いつか、見てみたいものだな。そういう夜を」


華恋は、まじまじと彼を見た。


さっきまでの張り詰めた線が、頬から顎にかけて、ゆるんでいる。目尻がわずかに下がって、口の端が、ほんのすこしだけ上がっていた。


「……殿下でも、そんなふうに微笑むことあるんですね」


言ってから、失礼だったかと口をつぐむ。


だが皇太子は、気を悪くした様子もなく、グラスを置いた。


「俺を何だと思っている。……そこまで非情な人間ではないつもりだ」


「え、いや、その」


「食え。冷める」


そっぽを向いた横顔を、華恋はしばらく見てしまった。


(……考えてみれば、この人のこと、何にも知らないな)


そう思ったら、急に気まずくなった。


助けを求めるように、壁際のエマへ視線を向ける。だがエマは、静かに微笑み返すだけで、何も言わなかった。


……そういえば。


「……エマ、今日、なんか静かじゃない?」


エマの肩が、小さく跳ねた。


「……殿下の御前ですので」


「そういうの、気にする人だっけ」


「気にします。……殿下の御前で気にしないでいられるのは、この世界で聖女様おひとりですよ」


「うわ、なにそれ。私が悪いみたいじゃん」


「聖女様。冷めないうちに、召し上がってくださいね」


エマは目を細めて笑った。いつもの、世話焼きの顔だった。


食事は、締めの果実酒漬けまで進んだ。


エマが銀のさじで、それをひと口。


――そのときだった。


さじが、指から滑り落ちた。


がしゃん、と甲高い音が響いて、盆が床に落ちた。


エマが、喉を押さえていた。


痛みをこらえるように眉を寄せて――華恋と目が合うと、何かを言おうとするみたいに、唇を動かした。


声は、出なかった。


膝から、崩れ落ちる。


「エマ!?」


椅子が倒れる。華恋は駆け寄って、その身体を抱き起こした。


エマの唇が、紫色に変わっていく。呼吸が、ひゅう、ひゅう、と細く鳴る。目の焦点が合っていない。


「エマ、エマ! どうしたの、ねえ!」


「――毒だ」


背後で、皇太子の声がした。


「医者を呼べ。急げ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。