34 年上に愛されて
ただ、星加さんの胸をうっかり触ってしまったのを伏せているのは事実なので、反論が難しい。シュレーディンガーのタンクトップ問題を見事解決した代償は、思いの外大きかったようだ。物理学の難問を解くとなると、一筋縄ではいかないのだろう。
教師の立場から心配されると、引率を断りづらい。さてどうしようかと僕が悩んでいると、栞が弁明を始める。
「そりゃ確かに、既成事実を作っちゃえばこっちのものだとは思いますけど。でも先生、さすがのあたしでも初回デートからそこまで攻めませんよ!」
「貴様、それは思ったとしても口に出してはダメなやつだろう。全く、近頃の子は何を考えているんだ!」
至極当然な顔をして、生徒に説教をする桜井先生。少し前に「どんな変態的なプレイであっても、完璧に調教されてみせよう」と発言したのと同一人物だとは、到底信じられない。要するに、説得力がなかった。
あと「近頃の子」と言うけれど、僕たちと桜井先生、4歳くらいしか違わないはずである。
「ともかく、このデートは私が引率する。異論は認めん。せいぜいお洒落してくることだな」
そう言って、桜井先生はぷいっと顔を背けた。箸を持った手が止まったまま、中身が半分以上残っているお弁当を、急いで食べようとする。やや不満そうだった栞もやがてそれに倣い、数分間は黙々と弁当を食べた。
一方、僕はすぐに食べ終えてしまった。心なしかチェリーブロッサム以下略がご機嫌斜めに見えたので、小声で「桜井先生?」と声を掛ける。
「あの、何かあるんでしたら、僕で良ければ力になりますけど」
「……本音を言うとだな、私は少し怖いのだ」
桜井先生の目尻には、うっすらとではあるけれど涙が浮かんでいた。
「星加七海の恋愛遍歴は知らんが、井上の弁によると湯川はなかなか経験豊富だそうではないか。立花先生は経験こそゼロだが、大学に入ってから垢抜けることに成功している。同性から見ても、とても可憐な方だと思う。それに比べて、私は……」
いつも自分に自信を持ち、僕をヒモにするのだと豪語していた桜井先生が、初めて己の弱さをさらけ出した。少しずつ信頼関係を築いてきたからこそ、僕に本音を話してくれたのかもしれない。
「私は湯川のようにスタイルが良くないし、立花先生のように純粋でもなく、星加七海のような親しみやすさにも欠ける。私は最近、この恋の駆け引きに、恋愛のライバルたちに勝てる気がしなくなってしまったのだ。だから、他の女性に井上を取られてしまうのではないかと思うと、正直怖い。怖いから、湯川と二人だけでデートに行くのを止めたくなったのかもしれん」
自嘲気味に吐き捨てる。
「無様な教師だな、私は」
「そんなことありません!」
先生を勇気づけるべく、僕は努めて明るく返した。
「桜井先生はいつもクールで、自分の信念を持っていて凛としています。たまにポロッと本音が出ちゃうところもチャーミングだと思います。他の3人に負けないくらい、素敵な女性です」
「ほ、本当か……?」
雲の切れ間から太陽の光が差し込んだかのように、先生の表情がぱあっと明るくなる。
「本当です。桜井先生の気持ちはよく分かりました。必ず、3人で楽しいデートにしましょう!」
よし、上手くまとめた。ファインプレーだぞ僕、と自惚れかけたのが良くなかったのだろう、栞が「あたしからも一つ良い?」と口を挟んだ。
「何だよ。先攻はあげないぞ」
「もうその話題引っ張らなくていいわよ! ……あ、あのさ。前から気になってたんだけど、あんたって年上の女の人の方が好きなの?」
「藪から棒にどうしたんだよ。言っておくけれど、僕に熟女好きの趣味はないぜ」
「年上すぎるわよ! 別に熟女とかそういうレベルまで到達しなくていいから⁉」
「そうじゃなくてね」と、栞がわざとらしく咳払いした。顔が火照っているように見えるが、気のせいだろうか。
「ほら、星加さんを含めて4人のヒロインがいる中で、あたし以外は皆年上だから。そういう好みなのかなって」
「僕が年上を好きなんじゃない。年上が僕を好きなんだ」
ぶっちゃけ、恋愛経験がなさすぎて、自分の好みがどういうやつなのかすらいまいち把握できていない。
「うむ、その通りだな。年上である私は、井上を愛しているぞ」
ごく自然に愛を告白し、桜井先生はニコッと微笑んだ。先刻見せた涙はどこへやら、もう普段の彼女に戻っている。
「さ、そうと決まれば、さっそくデートプランを立てようではないか。私は車を持っていないが、免許は持っている。レンタカーで良ければ、どこへでも連れて行ってやろう。暗いところでも構わんぞ」
「先生が自ら不純異性交遊してどうするんですか⁉」
桜井先生、出会ったばかりの頃は「生徒に手を出すのは教師としてあり得ない」「ベタベタしすぎるわけにはいかん」とか言っていたはずなんだけどな……。積立おっぱいを提案した辺りから徐々に、ハードルを下げてきている気がする。実習期間が残り少なくなるにつれて、エスカレートしているような。
もしや、「(教師から)生徒に手を出すのがNG」という意味だったのか。逆に「生徒から」手を出すのはアリで、つまるところ、遠回しに僕を誘っているとか。いやいや、さすがに穿ちすぎ、考えすぎだ。
あと、桜井先生相手だと遠慮してしまうのか、栞があまり先生にツッコミを入れてくれないのが地味に辛い。必然的に、ほぼ全部のツッコミを僕が担う羽目になる。




