第32話(全36話) 魔王城の誓い
あたしたちはみんな、しっかりと自分の足で立っていた。
ついに魔王は討ち果たした。連携の取れた防御、攻撃だった。みんなまだ余力を残している。奥の間へ向かい、しばらく図書室と宝物庫を物色したあとで、レティシアが言った。
「さて、帰ろうか」
その言葉を合図にあたしはバックパックを持ち上げようとした。その時、
「少し、待ってくれ」
カミーユが、みんなの帰り支度をさえぎるように、静かに低い声で言った。
「このまま引き返し、どこに帰るつもりだ?」
彼の視線はアルチュールに向かい、問いかける。
「アルチュール、魔王の遺産を使えば、君の抱く理想を実現できる」
魔王の謁見の間、その天井の高い、広い空間にカミーユの声だけが響きわたる。
「魔王の力で、世の中を変えられる」
カミーユはみんなを見渡し、力強く断言する。
「魔王がいるから人々が苦しむんじゃない。人々の苦しむ世の中だから魔王が生まれるんだ」
彼がそう言った時、アルチュールが顔をあげた。まるで、自分が長い間考えていた疑問の答えを得たかのように、彼の顔に驚きと納得の表情が浮かんだ。
カミーユは大貴族の野心が農村を疲弊させ、また村落での新しい動きに対応できなかった宰相オフィウクス公の失政が、魔王の勢力を増大させたと断じた。
それを聞いていたベルナールは難しい顔をして、カミーユの言葉の危険性を探るように彼をにらみつけている。
「俺の父は、かつて王国宰相だったシャウラ伯だ」
カミーユはそう言って、自分の生い立ちと、父のことを語った。シャウラ伯は王国の安定につとめたが、大貴族の反発により、反逆者の汚名を着せられて処刑された。そして大貴族の一人のオフィウクス公が政権を握ったのだと。彼の言葉には個人的な悲しみと、それ以上の深い憤りがにじみ出ていた。
「この城には魔王が秘匿していた魔法と魔法の物品がある。周辺地域から略奪した物資もある。魔王の支配下にあった魔物たちもいる。これらを使って新しい国を建てよう。アルチュール、君が立てば同調する者も出てくるはずだ」
カミーユの言葉は熱を帯びる。
「今、俺たちが決断すれば、世界を手に入れ、世界を作り変えることだってできるんだ」
彼は熱のこもった目でみんなを見渡す。
「今、この瞬間、俺たちだけが歴史を変え、平和な世界を築くことのできる唯一の可能性を手にしているんだ」
そう言い放ち、言葉を切った。
魔王の謁見の間には重く張り詰めた空気が淀んでいた。玉座のかたわらには、かつて魔王だったものが、今はただ、仮面だけを残して灰になっている。高く、広く、響く空間で、あたしたちは勝利の余韻に浸ることができないでいた。
これまでの二度の経験が、あたしの脳裏を駆け巡る。一度目はあたしのいないなかで、カミーユがアルチュールを新しい魔王にし、ベルナールとレティシアは彼の元を去った。その結果、魔王となったアルチュールは別の勇者に討伐された。王都にさらされた彼の首の映像は、今も鮮明にあたしのまぶたに焼き付いている。
二度目はあたしもその場にいた。アルチュールが魔王になるのを食い止め、あたしたちは勇者として王都に凱旋した。その後、彼はワの国の宰相となる。でもオロール王女の陰謀で、反逆者とされたり、王女自身の手で殺されたりした。
そして三度目、またあたしは運命の岐路に立たされている。
一度目も二度目も、王国はそれなりに安定していた。社会は様々な矛盾を抱えていたけど、宰相オフィウクス公の権力は盤石だった。
でも現在の王国は混乱のさなかにある。
王都では大貴族同士の勢力争いでクーデタが起きた。宰相オフィウクス公は失脚して、王は廃され、アドリアン王子が新王として即位、キグヌス大公がその後見についた。
それを見た王国中の貴族たちは疑心暗鬼となり、自衛のためと称して兵を募り、自立の道を歩み始めている。
さらにワの国の分裂を好機と見た東の隣国イの国が侵攻を開始した。ジェラール将軍率いる軍勢が征服地を拡大しつづけている。
ベルナールは、王国の混乱の根源は、あたしを過去に戻すために彼が用いた禁断の魔法だと言っている。その魔法が世界の均衡が崩し、混沌の勢力が強め、秩序の勢力が弱めたのだと。混沌は変化を呼び、安定を損なう。それが今の混乱を引き起こしているというのだ。この混乱はイの国だけに限らない。首飾り諸国全体に波及していくだろう。
今回は以前の二度とは情勢の緊迫度がぜんぜん違う。カミーユが言うように、あたしたちには帰る場所などないのだ。
主を失ったばかりの、寒々とした魔王の謁見の間で、あたしたち五人は押し黙ったままだった。その重苦しい沈黙を破ったのはアルチュールだった。彼はあたしの方へ視線を向けて、問いかけてきた。
「ジジはどう思う?」
なんであたしが最初なんだ?
まだ考えがまとまってなくて、戸惑った。まとまっていない? いや前回は考える必要なんてなかった。あの時はすぐに反対していた。なにを考えることがある?
「そうだな……」
カミーユの提案はつまり、アルチュールを新しい魔王にするってことだ。でもそんなことをしても、うまくいかない。その結末をあたしは知っている。別の勇者に倒されておしまいだ。誰も幸せにならない。あの時カミーユの首がさらされるのは見てないから、彼はうまく逃げられたのかもしれない。でもそれだけだ。アンナも幸せにできない。
じゃ、反対する?
それもダメだ。このまま王都に凱旋し、どうにか王国の混乱を鎮めることができて、アルチュールが王国宰相になったとしても、オロール王女が出てくる。彼女がいる限りあの王宮から陰謀がなくなることはないだろう。
カミーユの提案に乗っても乗らなくても、彼の悲劇は避けられない。どちらの選択肢を選んでも、彼は悲しい最後をとげていた。かわいそうなアルチュール。君はなんて不幸な星の下に生まれてきたんだろう。それが英雄としての宿命なのかな。英雄じゃなくていい、英雄じゃない生き方を君に望んだりもしたけど、それもうまくいかなかった。あたしはただ、君に幸せでいてほしかっただけなのに……。
それに今回は以前とは状況がまったく違っている。あの時は魔王の脅威にさらされていたものの、戦争はなく、王国は機能していた。けど今は? 誰がこの混乱している王国の事態を収拾するのだろうか?
イの国に征服されたら平和が訪れるのだろうか?
王都のキグヌス大公が王国を掌握し、敵軍を追い払うのだろうか?
それとも貴族たちの誰かが王国を再統一し、新しい王朝を築くのだろうか?
あたしたちにできることはなんだろう? ただ平和がやってくるのを待つだけ? それとも……。
アルチュールだけじゃない。ベルナールもレティシアもカミーユもアンナもオロール王女も、そして王国、いや世界の人々が幸せになる結末を考えなくては……、決めた!
「あたしもカミーユの意見に賛成。ここから世直ししようよ」
あたしはそう言って、みんなを見回した。カミーユが不思議そうな顔をしてあたしを見つめている。よりにもよってあたしが賛成するとは思わなったんだろう。
「せっかく手に入れた力なんだから、あたしたちが選ばれたってことなんだから、あたしたちに託された力なんだから、あたしたちがよく考えて、世界のみんなのために使うべきなんだと思う」
あたしがそう言い終えた時、アルチュールは静かに微笑んだ。魔王になった時、君も同じように考えていたんじゃないかな。
「ただし、魔物の力は使わない。アルチュールを魔王にはさせない」
あたしはカミーユに向かって、はっきりとそう告げた。
「ジジの言うとおりだ」
ベルナールは静かに言った。その言葉にアルチュールが深くうなずく。なんだかんだ言ってアルチュール最も信頼しているのはベルナールの判断なんだろう。そもそも冒険に誘ったのもベルナールの方からだったそうだ。
かつてのベルナールは、アルチュールに対する執着が普通じゃなかった。アルチュールに近づくもの、すべてに対して攻撃的だった。兄のように思っていたアルチュールが、他人に取られることを恐れていたようだった。最初の時は、その執着が原因であたしはパーティを抜けることになった。二度目の魔王討伐では、カミーユの意見にことごとく反対していた。
でも、様々な出会いと経験を通して、身長だけではなく、人間としても彼は大きく成長した。アルチュールも一人の人間だと理解し、アルチュール以外の他人との関わり方を学んだのだ。特に異世界での、イレーヌとの出会いと別れが彼を大人に変えたのだと思う。
「誰かが、この世界に秩序を取り戻さなくてはいけない」
彼の声には強い決意の響きがあった。
「レティシアはどう思う?」
アルチュールが司教に聞いた。茶色い髪を肩で切りそろえた女性聖職者。いつもパーティを明るくしてくれる存在。うちのパーティは仲良しの集まりってわけじゃない。ベルナールとカミーユの間には常に遠心力が働いている。二人はことあるごとに意見を衝突させてきた。共通の関心を持っている部分もあるけど、基本的にアルチュールさえいてくれればいいって感じだ。そんなバラバラになりがちなあたしたちをまとめる求心力を作り出ししてきたのが彼女だった。
「私はどっちだっていいけどな」
レティシアはいつものように、いつもの言葉で答えた。彼女の口癖のようなものだ。無為は彼女の信仰によるものだろうか。いやこれは、パーティの仲間たちへの信頼の証なんだ。この仲間たちの出す結論だったら、どんなものであっても受け入れ、ともに歩むという、彼女なりの覚悟と信頼の表明なんだ。彼女の瞳に、穏やかだけど、決して揺るがない光が宿っていた。
みんなの意見を聞いた後で、アルチュールは静かに、でも力強い声で口を開いた。
「わかった。魔王のこの力、僕たちが世界のために使わせてもらおう。みんなで誰も苦しまない世界を作ろう」
彼はあたしたち一人ひとりの顔を見渡す。
「この混乱を収拾し、新しい世界を築く。その力が僕たちに与えられたのならば有効に使わせてもらおう。どれだけできるかわからない。でもそれで人の苦しみが少しでも減らせるのなら、僕たちは逃げてはいけないと思う」
その声は揺るがない確信に満ちていた。
「ただし、魔物は使わない。人に危害を加えないと誓約させて開放する。それでいいか、カミーユ?」
アルチュールがカミーユに向かって尋ねる。
「ああ」
カミーユはそれだけしか言葉にしなかった。自分の提案がこうすんなりと通るなんて予想していなかったんだろう。彼が一番驚いているようだった。彼は困惑に幾分かの喜びが混じった複雑な表情を浮かべていた。
「でも、あんたの好き勝手にはさせないからね」
あたしがそうカミーユには釘をさしたが、
「わかっているよ」
と返事した彼は嬉しそうだった。魔王の側近だったときはあんたがすべてを背負って、大変だったろうけど、今回はみんなで分担してやるからね。
五人の冒険者が主のいない魔王城で、ここを拠点に独立勢力として旗揚げすることを誓った。この出来事は後世、「魔王城の誓い」あるいは「ウナルベクサ城の誓い」と呼ばれることとなる。
アルチュールらが魔王討伐を決意した「酒場の誓い」と、この「魔王城の誓い」のどちらをその後の歴史の起点とすべきかについては、古くから多くの論争が繰り広げられてきた。
「彼らが独立の意思を固めたのは魔王城の誓いからである」とする意見に対し、「いや、魔王討伐を計画した段階ですでに、独立の意思を持っていたのだから、その源流は酒場の誓いにこそある」という反論がなされた。この問題はいまだ決着がついていないが、概して時代が下るにつれて、「酒場の誓い」こそが本質的な意味を持つという見解が強まる傾向にある。
いずれにせよ、「魔王城の誓い」以降、首飾り諸国の戦乱が本格化する。しかし、その混迷と流血に満ちた時代は、その後に続く、長い平穏な時代を築くための生みの苦しみであったと、その後を知る後世の歴史家たちはこぞって記述しているのである。




