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ジジのクリシェな冒険  作者: 万里小路 信房
第三章

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第24話(全36話) 四周目の始まり、クリティザンヌの日常

 ワの国の王都、ポロフレの西門を出ると鬱蒼とした森が広がっている。かつてこの地は深い森で、エルフたちが住んでいた。そこにトールマンがやってきて木々を切りひらき、今の王都を築いた。西の森はその記憶を留めるように残され、大部分は王家の狩猟場となり、一部は人々に開放され、都市の住民が自然を感じることのできる公園になっている。


 よく晴れた春の午前のことだった。衛兵のリュカは非番を利用して、友人たちと西の森の公園を散策していた。この日は王都の貴人たちが散歩に集うというこの場所を、見物に来たのだ。

「あのエルフの女の人、あんな美人、見たことないな」

 リュカが一人ごとのように呟いた。彼の視線の先を、鮮やかな赤いドレスを身にまとい、同じ素材で作られた活動的な帽子をかぶった、息を呑むほどに美しいエルフの女性が、可愛らしい小間使いの少女を連れて通り過ぎていった。その姿は春の陽光を浴びて、ひときわ鮮やかに見えた。

「おまえ、知らないのか? あれは今ポロフレで評判のジュヌヴィエーブ嬢だぞ」

 友人の一人が呆れたような表情で答えた。

「へぇ、綺麗な人だな。ああいう綺麗な人と一緒に食事しながら、ゆっくり話なんかしたら、いい気持ちだろうなぁ」

 そうリュカが夢見るように言うと、まわりの友人たちが声をあげて笑い出した。

「バカ野郎。あの女が、おまえなんか相手にするはずがないだろう。あれはなクリティザンヌって言ってな、貴族様や金持ちじゃなきゃ相手にしないんだ。おまえなんか西門内の娼館にでも行って、夢でも見てろ!」




 あたしは今、クリティザンヌをやっている。

 アルチュールと出会って、何回か冒険したあと、彼を誘って冒険者を廃業した。彼は未練たらたらだったけど、最終的には「ジジが言うなら」と賛成してくれた。

 冒険者なんてさせておくと、アルチュールのことだ、勝手に魔王を倒し、そしてどっかで確実に命を落とす。彼はお人よしだから、災難が吸い寄せられるように向こうからやってくる。彼の命を守るためだったら、あたし何でもするって決めたんだ。

 カミーユの対娼だったアンナを見ていたし、礼儀作法も求められる教養もハウスキーパーや貴族としての生活の中でそれなりに身につけていたから、転身はそう難しいことじゃなかった。そうそう、アンナとはお友達になってこの業界のことをいろいろ教えてもらった。


 クリティザンヌっていうのは、貴顕と時には甘い言葉を囁き、時には知的な会話で相手を楽しませ、時には嫉妬心を煽るような駆け引きをする高級娼婦。王都にはパートナーを連れてじゃないと入れないところも多いから、そういう意味でもあたしたちの存在は必要とされている。それにワの国の習慣に不慣れな外国の方に、この国の作法をコーチするっていう役割もあるかな。あたしもポロフレに来ているイの国のジェラール将軍にいろいろ教えたりしている。

 娼館に売られる前のカリーヌを見つけ出し、小間使いをやってもらっている。彼女はあたしのことを、自分を救ってくれた女神様かなんかだと思ってるようだけど、君の方があたしを何度も救ってくれたんだよ。


 アルチュールと平穏な幸せを感じながら暮らすために、あたしなりに精一杯生きている。彼は時々退屈そうにしているけど、一度何かに本気になると、身体を壊すくらい熱中するから、退屈しているくらいがあたしには安心だ。

 それにあたしがクリティザンヌになったのには、もう一つの理由がある。オロール王女の魔の手がアルチュールに及ばないよう、王女のどんな些細な情報でも集められるようにするためだ。


 午前中は散歩に出かける。馬車に乗って王都西門外の公園に行く。そこで優雅な装いで歩くのは営業活動の一環だ。新しいお客を見つけるために目を光らせる。目当ては貴族とかお金持ちとか。

 この公園は人々がお互いのパートナーを見つける場所として活用されている。あたしたちにとって新規の顧客開拓は欠かせない。同業のお友達と顔を合わせ、優雅な会話を交わす演技をこなす。わざとハンカチを落として、声をかけられるのを待ったりする。この公園は出会いの場だ。素人の既婚女性なんかも見かける。あたしたちと違って、古臭い野暮ったい服装をしているからすぐにわかる。貴族のご婦人、ご令嬢ってエレガントさに欠けるんだよね。

 その後アルチュールのアパルトマンに行って一緒に昼食をとる。食後、彼の隣に座り、ただ静かに寄り添ったりして二人で過ごす。アルチュールが時折、窓の外の空を、遠い目をしてぼんやりと眺めている。彼の、そんな憂いを帯びた横顔が、あたしはたまらなく好きだ。平凡で穏やかなこの時間が、あたしにとって何よりも守りたい宝物なんだ。

 アルチュールの許でつかの間の安らぎを得た後、自宅に戻って、その日に届いた手紙に目を通す。まずは請求書を確認し、届いたラブレターに目を通しながら、請求書の宛先を誰にするのか考える。考えがまとまると、ラブレターの返事を書いて、丁寧に請求書を同封する。招待状には忘れずに返事を書く。断りの返事を書くのはいつも大変。

 夕暮れが近づくと、あたしは念入りに化粧をして、小間使いのカリーヌを連れて、迎えに来たお客と馬車で出かけてゆく。お屋敷かレストランで食事をし、その後は観劇やサロンなんかに出かける。馬車・夕食・観劇がすべて同じお相手の時もあれば、それぞれ違うお相手の時もある。そのあとは、泊まったり、泊めたり、一人で寝たりする。

 最近は夕食のあと、舞台を見に行くことが多い。今、王都でもっとも人気のある女優、アイリーンの舞台だ。観客は、彼女が登場するたびに息を呑むように静まり返る。舞台に立つ彼女は豪華な衣装に身を包み、まるで夜空の星々のように輝いている。彼女は同業者で、お友達。女優をやりながらクリティザンヌをやっている。もしかしたら逆で、クリティザンヌをやりながら女優もやっているのかな? わかんない。

 そして朝。寝台でゆっくりと朝食をとって、新しい一日が始まる。一人で寝た朝は、早くに起きてジョギングに出かける。お気に入りのコースはあいかわらず王都の北の城壁の上だ。早朝からこんなところにいるのはあたしと王女のお付きのオリビエ卿だけ。彼は姿を見せることなく、もの悲しい笛の音を響かせている。

 これがあたしの今の生活。割とあたしの性に合ってるかもしんない。なによりアルチュールがそばにいるし、王女もまだアルチュールに手を伸ばして来ない。心配事のない、穏やかな日々。




 公園に散歩に出かけるとき、馬車の中からいつも街角で新聞を売っているのを見かける。

 なんか、人生をやり直すたびに、社会の変化のスピードがはやくなってる。

 例えば書物だ。王都にやってきて冒険を始めたころは、書物は羊皮紙に手書きで写したものだった。ベルナールが大切そうに扱っていたし、魔王城でも彼が真っ先に漁りだしたのは魔王の図書室だった。書物はそれほど貴重なものだった。それが十年もたたないうちに、紙に印刷されたパンフレット、新聞、本になった。紙っていうのは古くなった下着をほぐして作ったもので、薄くて、軽くて、書きやすくて、よく燃えるものだ。印刷っていうのは大きなハンコみたいなものらしい。今では街角の店先で当たり前のように、それらが売られているし、煙草を紙で巻いて吸ってる人もいるくらいだ。


 馬車の中からは兵士たちのきらびやかな制服姿もよく見かける。

 軍隊も大きく変わった。今じゃ騎士隊なんて見られない。前回はアルチュールとあたしたちが、抵抗勢力と戦って、ようやく小さな常備軍を作ったのに……。今じゃ王国軍みんなが常備軍化されている。部隊は企業家が王様から許可状をもらって人を集めて経営している。その経営者には貴族もいるんだけど、村々で土地を集めて地主になった人たちもいる。前にアルチュールが従士の身分を与えたような人たちだ。彼らは地主として貯めたお金で部隊を養い、工場を建て、銀行というものを作った。今のワの国の経済を支配しているのは、この地主階級の人たちだ。


 王甥のアドリアン王子は騎兵連隊の名誉大佐だ。有力な貴族はみんな自分の連隊を持っている。たしかオロール王女もどっかの連隊の名誉大佐だ。王女の軍服姿を一度見たことがある。王子の部下の中隊長の大尉には貴族階級も地主階級もいる。王子のお遊びのお金はもっぱらその地主階級出身者が出しているという噂だ。

 そうそう、このアドリアン王子は、実のところあたしにとって大切なお客の一人なんだ。その王子から寝物語に聞いた話によると、オロール王女とオリビエ卿、そしてカミーユとルイーズという女の子は一緒に育てられていて、そのお世話係というか教育係を、王妃付きの女官であるオリビエ卿の姉リシュルが勤めていたそうだ。王女はリシェルを実の姉のように慕っていた。しかし王妃が亡くなったあと、リシュルは王都北壁から身を投げて命を絶った。表向きは自殺とされたが、王女はその死を大貴族たちによって仕組まれたものだと、深く信じ込んでいるのだという。そうか、オリビエ卿のあの笛の音は、亡くなった姉君への鎮魂の祈りだったのか。ようやく点と点が線で結ばれた気がした。


 王子はオロール王女と結婚して王位を継ぐことが決まっている。

「王子さまは、あんなに愛らしい王女さまと結婚することが決まっていて、お幸せね」

 あたしがそう言うと、アドリアン王子の身体がかすかに震え、一瞬目に恐怖の色が浮かんだのをあたしは見逃さなかった。

「やめてくれ、そんなことを言うのは」

 血の気が引いたような顔で言った。王子もまた、王女の隠された本性を知っているんだ。母を殺され、心から慕っていたリシュルも失い、幼なじみとも引き離され、その復讐のためにはアルチュールを殺すこともためらわない、可憐な姿のうらに隠された冷酷な復讐者の本性を。あの王女と結婚しなくちゃならない王子さまも気の毒だ。今回は絶対に王女をアルチュールに近づけさせない。




 あるサロンでアンナと会った。そこはエレオノール嬢の所と違ってきらびやかなだけなサロンだった。知的な興奮を味わえないサロン。クリシェな音楽。くだらない噂話。ナントカ女伯爵の何回目かの再婚話とかが聞こえてくる。あの方は夫を何度も取り換えるけど、執事は絶対に代えないのよ、なんて言ってる。あたしは内心ではうんざりしながら、それを顔に出さないように努力していると、アンナが廊下の向こうから姿を現した

 その夜、あたしはアドリアン王子を連れていた。アンナがあたしに気付くと、洗練された無駄のない身のこなしで近づいてきた。

「こんばんわ、王子さま。こんばんわ、ジジ」

 アンナが微笑みを浮かべて挨拶する。彼女の隣には見慣れない凛々しい女性が立っていた。

「王子さま、こちらはウの国の聖堂騎士のオディール卿です。オディール卿、こちらはワの国の次の王さま、アドリアン王子ですわ」

「やあ、よろしく」

 王子が鷹揚に右手を出す。オディール卿は、その手を少しためらうようにして握り返した。緊張しているようだった。彼女の手は震えている。アンナにそれなりの金を支払った甲斐があったかな。あたしたちが仲介することで、普通ならば決して接点を持つことないような人々が、こうしてつながってゆく。ワの国の外交的な安定はあたしたちが担っているのかも。


 王子とオディール卿が言葉を交わしている間に、あたしとアンナはそっと部屋の隅に移動した。

「ウの国の女性聖堂騎士なんて、相変わらずいい客をつかまえているわね」

 あたしが感心したように言う。

「オディール卿は王太子率いる外交団の一員としてポロフレに来ていらして、ワの国の社交界には不慣れですから、私がいろいろ教えて差し上げてますの」

 そうアンナが涼し気な表情で答えた。

「それはそうと、明日のナナのお誕生会の準備はできてる?」

 とあたしは話を切り出した。ナナもあたしたちの親しい友人だ。不幸な家庭に生まれ、小さい頃は修道院で育ち、大きくなってお針子として働いていた。その後いろいろあって今はクリティザンヌをやってる。手先が器用でセンスもよく、あたしたちのために素敵な帽子を作ってくれる。面白い素材を使った、優雅で活動的な帽子は、みんなに評判がいい。いつか自分でデザインした服を売る店を持つのが夢だと、彼女はいつも言っている。その彼女の誕生日にあたしたちは恋人との食事をプレゼントすることにした。

「ええ、ちゃんと予約してあるわ。カフェ「ウの国」の一六号室」

「アイリーンも、とても楽しみにしてるって」

「そう。みんなで楽しみましょう」

 アンナがそう答えた時、一人の若い男性が近づいてきた。

「綺麗なお嬢様方、何の密談をなさっておられるのですか?」

 それはアイリーンの囲っている才能のある画家だった。クリティザンヌでありながら劇場の看板女優をやってるアイリーンは、彼の描く絵に惚れ込み、まだ無名だったこの画家に舞台のポスター制作を依頼した。そのポスターは評判を呼び、舞台も大成功だった。それ以来、彼は一躍有名画家に仲間入りした。最近では彼女の舞台衣装や身につけるジュエリーのデザインもしている。彼女にはそういう埋もれている天才を見つけ出す特別な力があるようだ。彼はアイリーンの名前が聞こえたんで、あたしたちに話しかけてきたんだろう。

「あらあら、女性には殿方には内緒にしておきたい秘密がたくさんございますの。殿方もそんなミステリアスな女性がお好きでしょう?」

 あたしはにこやかにそう言って、アイリーンの動向を探ろうとする彼の試みを跳ね返した。残念だけど、君は明日の楽しみには誘われていないんだ。




 次の日の夜、あたしたちはカフェ「ウの国」に集まった。

 以前はコーヒーと軽食だけのカフェだったけど、今じゃ立派なレストランだ。業態は変わっても名前は前のままカフェでやってる。ここのいいところは特別室があるところ。分厚い扉の中の個室では何をやっても文句を言われない。そしてもう一つ、ここにはギョームがいる。彼の料理は、どんな気難しい客の舌をも唸らせる。

 今日のメンバーは八人。今日の主役のナナに、アンナとアイリーンとあたしに、その連れの詩人、キグヌス大公、ウの国の王太子、アドリアン王子だ。


 キグヌス大公は領地では香辛料がたくさん入って、酸っぱい料理が好みだったけど、アンナに連れられてこの店に通ううちに、ギョームの洗練された料理が理解できるようになったみたい。あれ? そういえば、もともとギョームは大公の所にいたんだっけ? 何度も人生を繰り返していると記憶が混乱してくる。


 アドリアン王子とキグヌス大公は軍服を着ている。自分の連隊の大佐の軍服だ。常備軍が整備されて以降、軍籍にある男女はいつも軍服を着ている。十年前のようなタイツと半ズボンと長いコートなんて着ている者なんていない。兵たちは縫製工場製の、貴族の士官たちは出入りの仕立て屋に作らせた軍服を着ている。二人とも金のモールをこれでもかと着けたきらびやかな服装だ。


 アイリーンの連れのウの国の王太子は、昨日アンナが連れていたオディール卿の上司だ。ウの国のエライ人は、本国では周りの目を気にしてあんまり遊べないから、ポロフレに来てハメをはずす。ウの国の男の人はみんなそんな感じ。今夜の王太子も瞳を輝かせながらアイリーンに熱い視線を送り、何かと話しかけている。それに対し、アイリーンは深紅のルージュの唇に優雅な微笑みを浮かべながら、絹のような声で、

「まあ、王太子さま、そのような熱い視線は舞台のヒロインにこそふさわしいものですわ。今宵の私は、ただのアイリーンですから」

 なんて言ってる。彼はアイリーンにたくさんのラブレターを送って、ようやく今夜の食事にこぎつけたようだ。ありがたいことに今日の経費を出してもらうことになっている。

 王太子の服装は、確かに絢爛豪華だけど、ワの国では少々悪趣味の領域に入っている。コートの袖口と襟にはけばけばしい毛皮がついてるし、濃紺のマントの裏地は燃えるような赤だ。ウの国にはネッカチーフを結ぶのに一日を費やすようなダンディがいると聞いていたけど、この王太子はそう言うのとは違うようだ。


 ナナの連れてきた恋人の詩人、ブリュノは憂いを帯びた瞳を持つ、少し痩せ気味の青年だ。仕立てのいい流行の服を着ている。有名な文学者の息子で、その金で遊び歩いている、自称詩人だ。前もナナの恋人だった。

 何度も人生をやり直してると多少は先のことを見通すことができるようになる。もしナナが若くして死んだら、彼は彼女のことを美しく書いた小説によって才能を発揮し、後世に名を残すことになるだろう。でも残念なことに、ナナは八七歳まで長生きするんだ。でも彼はナナが若くして死んで自分が有名になるよりも、彼女に長生きして欲しいと願うんじゃないかな。そういう所をナナは愛してるんだと思う。時折ナナを見つめる彼の眼差しは、深い愛情に満ちている。

 才能を発揮する前の彼は、この場では少々場違いにも見える。だけど、キグヌス大公も、ウの国の王子も、アドリアン王子も、ナナに優しく見つめられるこの詩人の青年を、心底うらやましそうに見ている。その身分との引き換えにしても、この青年と入れ代わりたいと思っているんだろう。ブリュノはナナに愛されている。あたしたちの愛は高価なものだと彼らは考えている。お金では手に入れないほど高価なものだと。その得がたいものを、当然のように受け取っているブリュノが、心の底から妬ましいのだ。このようにこのレストランの一六号室では、世間の常識とは全く異なる力学が働いている。


 実をいうとあたしもナナがうらやましい。大好きな人と人目をはばからず見つめ合える関係がうらやましいんだ。あたしもアルチュールそうしたいんだけど、実際そんなことをすると、オロール王女にいつ見つかるか心配で、落ち着かないんだろうと思う。


 それぞれのパートナーと節度をはずさない範囲で甘いやり取りをしながら食事を終え、果物に入ろうかというところで、料理人のギョームが現れた。

「みなさま方、本日の料理はいかがでしたか?」

「ああ、うまかった」

 キグヌス大公が満足そうに頷いた。

「ターバン状に巻いたウサギ肉、美味しかったわ。どうやって作るの?」

「オスマゾームをたっぷり含んだ出汁で、肉が硬くならないように、丁寧に蒸し煮にいたすのです、マダム」

 ナナの質問に答えるギョームは嬉しそうだ。自分の料理に関心を持ってもらえることが彼の何よりの幸せなのだ。

「舌平目も美味しかった。トマトとエシャロット使ったソースなんて初めて食べたよ」

「それは私の創作です。ブリュノさま」

 ブリュノにも満足そうな笑顔で答える。

「それも美味しかったけど、じゃがいもの薄切りをバターで焼いたのが出たでしょう? 初めて食べたわ。シンプルだけど信じれらないくらい美味しかったわ。なんていう料理なの?」

 あたしが尋ねると、ギョームは目を輝かせた。

「それも私が考案したもので、まだ名前がありません。ジジさま、よろしければお名前を頂戴できませんか? 「ポム・ジジ」など、いかがでしょう?」

 あたしは自分の胸を見た。「ポム(実)」というには少々薄すぎるな。あたしはお友達の胸を見渡し、向かいに座っているアンナに微笑みかけた。

「光栄だわ、ギョーム。でも、このお皿にはもっと豊かさと華やかさのある名前がふさわしいと思うの。ねえ、アンナ。あなたの名前はどうかしら?」

「え、そんな……」

 アンナは戸惑った表情を見せる。

「「ポム・アンナ」、素敵じゃない!」

 ナナがいたずらっぽく微笑む。

「結構でございます。これからその名前でメニューに掲載させていただきます。アンナさま、ありがとうございます」

 ギョームが深く頭を下げた。アンナは頬を染めながらも嬉しそうだった。あたしからアンナへの、ささやかな友情の証のつもりだった。

「アンナへの素敵な贈り物ね」

 アイリーンが口元に笑みを浮かべながら、あたしに視線を送ってきた。

「アンナにぴったりね、ブリュノもそう思うでしょ?」

 ナナはそう言って、隣のブリュノにそっと微笑みかけた。テーブルの下で彼の手を握ったのが、あたしにはわかった。エルフの視力はそういうことを見逃さない。ブリュノも彼女に微笑みかけてる。手を握り返してるんだろう。ナナが楽しんでくれてるようでよかった。




 カフェ「ウの国」でのにぎやかな食事のあと、アイリーンとナナはそれぞれのパートナーと去って行き、あたしとアンナは二人でアンナの屋敷に行った。アドリアン王子は残念そうだったけど、今夜は断った。


 アンナの屋敷には何度も遊びに行ってるけど、そのたびに驚かされる。お客が顔を合わせずにアンナの居間に行けるように、客間がいくつもある。この屋敷のほかにも王都にいくつも物件を持っているのだそうだ。


 広い寝台のある寝室で、お酒を飲みながら他愛のないおしゃべりをした。しばらくして、アンナは静かにグラスを置き、少しうつむきかげんになって、慎重に言葉を選びながら話し始めた。

「ねえ、ジジ。お願いがあるの。笑わないで私の話、聞いてくれる?」

「なに?」

「あのね、私ね、実は、貴族の生まれなの」

 突然の告白に、あたしは思わず息を呑んだ。

「小さい頃はそれはそれは大切に育てられたわ。婚約者もいたの。とってもかっこよくて、優しい男の子だった」

 アンナは遠い目をしながら、過ぎ去った日々を懐かしむように語っている。あたしは何も言わずに、彼女の言葉に耳を傾けた。

「でも、ある日突然、そんな幸せが壊れてしまったの。私のお父様も、その男の子のお父様も殺されてしまった。私はお母様に連れられてチの国に逃れた。男の子の家族はどうなったのかは、わからない。私はその男の子を探すためにポロフレに戻ってきたの。手がかりを探したけど、何も見つからない」

 アンナの声はかすれている。嗚咽が混ざっている。

「この仕事をしているのも彼に会うため……。こんな仕事をしているから、彼に会っても名乗り出ることはできないけど……、一目でいいから会いたいの」

 そう言って、アンナは大粒の涙をあふれさせて泣き出した。あたしはそっと彼女の隣に座り、震える背中を優しくさすった。

「笑わないよ。その男の子に、いつか会えるといいね」

 そう慰めながら、あたしの心臓は鉛のように重くなっていた。その男の子が誰だかわかってしまったからだ。カミーユだ。アンナ、あなたがルイーズだったんだね。前回、前々回とあなたはカミーユの側にいられて幸せだったんだね。胸が締め付けられる。カミーユの隣で穏やかに微笑んでいる彼女の姿が脳裏によみがえる。かつての婚約者のルイーズだと告白できずに、それでも、クリティザンヌとしてでも、カミーユの近くにいられて幸せだったんだ。

「ごめんなさい」

 あたしの言葉は喉の奥で消えた。あたしはアンナのささやかな幸せを奪ってしまった。アルチュールとの幸せを守るためにあたしは何でもするって決めたけど……。あたしのエゴが、彼女のささやかな幸せを奪ってしまった。胸に重い罪悪感がのしかかってくる。あたしの選択が涙となって、あたしの瞳からあふれてきた。アンナの震える背中をさすりながら、あたしはただ、彼女と一緒に泣くことしかできなかった。




 アンナの所に泊まって十日ぐらいたったある日、王都が急に騒がしくなった。朝の散歩へ行く途中、新聞売りに人々が群がっているのを見た。どっかの誰かがついに魔王を討伐したという情報が、瞬く間に王都を席巻した。アルチュールもカミーユもいない勇者たち……。街はみな、その話で持ち切りだ。魔王がいなくなったところで、何も変わらないのに……。でもお祭り騒ぎはしばらく続きそう。

 きっと今回の勇者様たちを主人公にしたクリシェな舞台を飽きるほど見させられることになるんだろうな。アイリーンなら男装して勇者を演じるかも。そんなことを考えながら化粧を終え、馬車で今日も出かけた。

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