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ジジのクリシェな冒険  作者: 万里小路 信房
第三章

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第25話(全36話) ストゥヌールの日常

 昼下がり、まだ夕暮れまでに時間がある、太陽がようやく西の方へ傾き始めるころ、ジジは音もなく寝台から抜け出し、手早く身なりを整えて、カリーヌを連れて、部屋を後にした。

「あまり、お酒を飲みすぎちゃだめよ」

 名残を惜しむような素振りと、気遣いの言葉を残して。

 部屋に取り残されたアルチュールは彼女の声をぼんやりと聞いていた。彼女は忙しい日常を送っているようだが、彼にはこれといって予定がある訳ではない。彼女のぬくもりの残る寝台から抜け出せないでいる。


 ジジにそんな才能があるとは思わなかった。彼女は今、宮廷と、それを取り巻く社交界に入り込んでいる。

 彼女には不思議なことに貴族との付き合い方、それに適応した装い、交際技術についての豊富な知識があった。今はそれを使って商売をしている。

 冒険者時代には気付かなかったが、ジジはかなりの美形だ。気付かなかった? いや、違う。あの頃の彼は隣でエペを振るう彼女の必死な顔と、額に輝く汗だけを見ようとしていた。その奥にある美しさを意識しないようにしていただけだ。

 エルフらしい均整の取れた顔立ちに、流行りの化粧と華麗な衣装で身を包んで歩く彼女は、人々の視線を釘付けにするだろう。その美貌も彼女の商売の成功を支えていることは疑いようがない。

 今は、アルチュールはジジとカリーヌと三人で暮らしている。暮らしているといっても、いまでは彼女たちはアルチュールのアパルトマンに昼食に通ってくるだけだが。


 カリーヌはジジがどこからか連れてきた少女だ。ジジは彼女を小間使いとして使っている。素直でいい子だと彼は思っている。時折、ジジがカリーヌに読み書きを教える姿は、本当の姉妹のようだ。




 この部屋は一人でいるには広すぎる。壁は塗りたてのクリーム色で、陽の光を柔らかく反射して、部屋を明るく見せている。床には厚みのある上質な絨毯が敷かれ、踏み入れるとわずかに沈むのが心地よい。窓辺にはジジが趣味で集めた可愛らしい花瓶があり、彼女が来るときには持ってきた花が飾られる。


 やがて太陽の光がオレンジ色に変わるころ、ようやくアルチュールは寝台から抜け出し、ジジが仕立ててくれた服を着て、出かける準備をした。無精ひげもそのままに部屋を出て行く。アルチュールはジジのおかげで金銭的な不自由は一切ない。


 冒険者を辞めて、王都の中心と城壁の中間あたりのこのアパルトマンを借りた。新築だから安く借りられた。王都の人たちは新しい家は土の瘴気を吸い上げるので病気にかかりやすくなると新築の家を嫌う。アルチュールが一人で暮らしているのであれば、殺風景になっている所だが、ジジが自分に居心地がいいように部屋を整えている。部屋の真ん中にある赤いベルベットのソファも彼女が持ち込んだものだ。

 そんな洗練された部屋の片隅に、場違いな両手剣が無造作に立てかけられている。アルチュールがどうしても手放せなかったものだ。かつてはこの剣を振るうたびに生きている実感を得ることができた。手に取れば嫌でもあの頃の自分を思い出してしまう。触れる勇気を持てないまま、それは埃をかぶっている。


 王都の中心は王宮であり、その周辺には宰相オフィウクス公をはじめとする有力な貴族たちの邸宅が王宮を守るようにして建ち並んでいる。その外側にあるのが王宮や貴族の邸宅に寄生して暮らす者たちの居住地だ。今はアルチュールが住んでいる部屋は、そのはずれにある。さらにその外側には市民たちの居住区が広がっている。


 最初はアルチュールとジジの二人で住んでいた。しかし彼女の商売が軌道に乗ると、馬車を置くスペースが必要だと言って彼女は二人の部屋を出て行った。一緒に引っ越そうと言われたが、アルチュールは断った。それ以来、彼女は何度も住まいを変え、そのたびに彼女の住む場所は都市の中心へと近づいていく。現在彼女が住んでいる部屋は、地方の貴族が王都に出てくる時に住むような豪奢なところらしい。


 彼は、この部屋から見える空が気に入っていた。一緒に住むのを断ったのはそのせいだ。時々鳥が優雅に空を舞っているのが見える。何の束縛もなく自由に大空を羽ばたく姿がまぶしい。アルチュールには自分が欲しかったものがそこにあるような気がする。


 二人で暮らしていたころの思い出の詰まるこの場所に、ジジは毎日昼頃にやってくる。そして短い逢瀬の時間を過ごし、帰っていく。彼女が帰ったあとには、かすかな香水の匂いが漂っている。




 アルチュールが出かける先は、いつもの場末の薄汚れた酒場だ。

 アルチュールのアパルトマンから、生活感のある市民たちの住んでいる区画を抜け、薄暗い場末と呼ばれる区画に目指す酒場がある。

 制服を着た兵士たちや旅人たちが集まる酒場にアルチュールは奇妙な居心地の良さを感じている。古ぼけた建物、染みの目立つカウンター、掃除が行き届かずいつもほこりっぽい床、話し笑う客たちの騒がしい声、煙草とアルコールの混じった匂い。そんなものにアルチュールは安心感を得ている。


 店の隅のテーブルに腰を下ろす。

「いつものですか?」

 不愛想なバーメイドが聞いてくる。

「ああ」

 そう言ってマールを注文する。ジジからは十分すぎる小遣いをもらっている。部屋の棚には上等なワインやブランデーが何本も並んでいる。なにもこんな場末に来て、ブドウの搾りかすで作られた安酒を飲まなくてもいいのだが、アルチュールの足は自然にこのさびれた酒場に向かい、安酒を頼んでしまう。


 いつもの透明なマールが届く。喉を焼くような蒸留酒じゃないと酔えない。

 今日は店の小さな舞台で吟遊詩人が古びたリュートを弾きながら、クリシェな英雄物語を語っている。昔はアルチュールもそんな物語の主人公になりたいと思っていた。とらわれのお姫さまを助けるために、恐ろしい竜を勇敢な勇者が倒すという、ありふれた物語。彼の知っている範囲では、竜が目撃されたのは数年前のキグヌス州が最後で、それ以来王国内では姿を見せていない。ドラゴンスレイヤーなんて、もはや吟遊詩人の歌の中にしか存在しない遠い昔の伝説だ。

 竜は消えたが、魔王の脅威は依然として王国を覆っている。何度か王国軍が討伐のために派遣されているが、いまだに鎮圧されていない。終わっていない物語は人の心をひきつけないのだろう、アルチュールは今までに一度も魔王の歌を聞いたことがない。

 それは歌だけじゃない。この酒場では吟遊詩人のほか、歌手や講釈師なんかも現れる。誰も魔王の恐ろしさや、それと戦う人々の苦難なんて語ろうとはしない。現実の苦しみなんて、芸になりはしない、誰も聞きたがらないのだ。みんな現実を忘れるためにここに来るのだから。


 店に来てしばらくすると、アルチュールは常連たちのカードに加わる。配られた手札を見ても、何の感慨も浮かばない。

「あの身なりの良い男は何者だ? いやに金払いがいいじゃねいか」

 カードをやってると、卓の周りの見物からそんな声が聞こえる。

「娼婦のストゥヌール(下から支える者)らしいぜ」

「あの細い腕で、女を守れんのか」

「女の稼いだ金で、ゲームして楽しいのかね」

 そんな陰口は、アルチュールにとってはいつものことだった。彼は聞こえないふりをすることに慣れてしまった。


 カードはごくまれに勝つこともあるが、ほとんどの場合は負けている。金ならいくらでもジジがくれる。だからアルチュールのゲームには真剣さが欠けている。常連たちにはカモにされている。アルチュールがたまに勝つこともあるのは、彼らにも憐みの心があるからだろうか、それともより多くを巻き上げるための、巧妙な撒き餌のようなものだろうか。


 やがて財布の金が尽きると、アルチュールは誰もいない、静かな部屋への帰途につく。

 アルチュールはクリティザンヌのストゥヌールとして何をするわけでもない。ただ、毎日決まったように場末の酒場へ行き、他愛のない芸を眺めながら安酒を飲み、どうでもいいカード賭博で金を失う。それが、今の彼の退屈な日常だ。

 帰っても部屋には誰もいない。誰もいない家に帰って、広すぎる冷たい寝台で一人で寝るのを考えると、足が重い。




 冒険者を続けていれば……。酔いがさめると、考えても仕方のないことをつい考えてしまう。大切な何かを置き忘れてしまったかのような、そんな思いが頭の中を駆け巡る。


 かつてはアルチュールも冒険者だった。あのころの自分はたくさんの夢を持っていたのだと思う。苦しんでいる人を助けたいとか、平和でみんなが幸せに暮らせる、そんな未来を築きたいと夢見ていたような気がする。


 腕には自信があった。両手剣の技では、王国でも自分に匹敵するものはそう多くないだろうとうぬぼれていた。この腕で人生を切り開いていこうと考えていた。

 最初はセオリー通りゴブリン退治。ドワーフに護衛を頼まれて、ダンジョンに初めて入った。両手剣には自信があったが、全然攻撃が当たらない。挙句の果てにグールの攻撃を受けて、パラライズ(麻痺)してしまった……。現実を思い知らされた。それでもアルチュールは冒険者を辞めようとは思わなかった。危険と隣り合わせの生活の中に、確かに生きているという実感があった。あの頃は楽しかった。魔法使いのベルナールがいて、神官のレティシアがいて、エルフの軽戦士のジジがいて……。

 何度かしょぼい冒険をこなしたあと、ジジがアルチュールに冒険者を辞めて、一緒に王都で暮らさないかと誘ってきた。アルチュールにはそんな気は微塵もなかった。冒険者が天職だと思っていた。だが、そのときには彼とジジには関係ができていたし、彼女は瞳に涙をいっぱいにためて、必死の形相でアルチュールに冒険者を辞めさせようとしていた。なぜそこまでして自分に冒険者を辞めさせたいか、アルチュールには全くわからなかった。

「君を死なせたくないから」

 そう彼女は声を震わせて言っていた。彼はそう簡単にくたばるつもりはなかった。

 けれど結局、彼女の涙と懇願に押し切られるようにして、アルチュールは冒険者を廃業した。

 冒険者を辞めるとき、レティシアは心から残念そうな顔をしていた。幼なじみだったベルナールはいつものように何を考えているかわからないような顔をしていたな。


 それからの日々は流されるままだった。「アルチュールは何もしなくて良いから」というジジの言葉に甘え、彼女の稼いだ金で酒を飲んで生きている。空虚な日々だ。


 アルチュールには、なぜジジがそうまでして自分に尽くしてくれるのかが理解できない。彼女の稼ぎで生活し、彼女が用意してくれた部屋に住み、彼女から小遣いをもらう。

 ジジのことを愛しているから、彼女の愛情や真心を疑うことはない。だが、どうして自分のような、取り立てて秀でた才能もない平凡な男を、あんなにも美しいエルフの女性がこれほどまでに深く愛し、尽くしてくれるのか、どうしても理解することができないのだ。ジジの愛と献身に見合うだけの価値が、自分にあるとは到底思えなかった。そのアンバランスさが、アルチュールを絶えず困惑させる。彼女の愛情は、今の彼にとっては重荷なのだ。いったい彼女は自分に何を見ているのだろうか?


 酒はそんな都合の悪い疑問や、耐えがたい後悔を忘れさせてくれる。酔っている間だけは、いいことばかりを思い出させてくれる。

 だが、冒険者を辞めたあの日以来、アルチュールの心から後悔の念が完全に消え去ったことは一度もない。あのまま冒険者を続けていればどうなっていただろうか? いつかは危険なモンスターと戦い、ダンジョンで命を落としていたかもしれない。それでも、少なくとも今よりは刺激的で、意味のある生き方ができたのではないかと思う。。リスクと胸が躍るような興奮は表裏一体だ。今のように酒しか刺激がない生活よりは、間違いなくましだったろう。

 酔いがさめると後悔の波が押し寄せてくる。


 ある日、どこかの誰かが魔王を討伐したという情報が王都に届いた。酒場の喧噪の中でそのニュースを聞いたアルチュールは、ほんの一瞬、かつての自分を思い出した。だがそれは、今の自分には関係のない話だった。

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