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ジジのクリシェな冒険  作者: 万里小路 信房
第二章

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第23話(全36話) 宰相への接吻

「どうして、こんなことになっちゃったんだろう」


 オロール王女を殺したところでアルチュールは戻ってこない。何もかもが虚しくなって、アルチュールの所に戻ってきた。

 アルチュールの執務室は冷たい鉄錆の匂いがした。アルチュールが赤黒い血の海に浮かんでいるようだ。カミーユは姿を消していた。いったい、どこで間違ったんだろう。


「ごめんなさい……」

 あたしの声が静まりかえった部屋に吸い込まれていく。もしあたしが大貴族の粛清に反対するアルチュールを止めていれば……。後悔があたしの足を重くする。

 アルチュールに近づいた。崩れるように膝をつき、冷たくなり始めた彼の上半身を優しく抱き起こす。昨夜は燃えるように熱く感じられた体温は、嘘のように失われていた。


「君に、政治なんか向いていなかったのよ」

 そっと彼の頬にそっと触れながら、語りかけた。彼は黙ったままだ。

「宰相なんてガラじゃなかったのよ。駆け引きや陰謀の渦巻く世界は君には似合わなかった。もっと違う場所の方が、きっと穏やかに、幸せに暮らせたと思うな」


 アルチュールのかたわらに座り込み、あたしは一人で話し続けた。

「少しでも君の力になりたかった。側にいれば何かできると思っていた。でも、何もできなかった」

 あたしの知らないところで、あたしたち二人は敵を作っていたみたいだ。オロール王女を最初から疑っていれば……、もっと早く自分の気持ちに気付いていれば……。最初からアルチュールをあたしがつかまえておけば……。後悔が濁流のようにあとからあとから押し寄せて、あたしの胸を締め付ける。


「あたしはただ、アルチュールにアルチュールらしくいて欲しかっただけなのに」

 そうつぶやき、冷たい身体を力いっぱい抱き締めた。背中に腕を回し、顔をうずめる。

 アルチュールはもういない。その現実を受け入れることが出来ずにいる。悲しいはずなのに涙が出てこない。感覚が麻痺しているようだった。


 そんなあたしの瞳に最初の涙が浮かんだのは、遠くから聞こえてきたベルナールの声を聞いた後だった。張りつめていたあたしの心の糸が、その声によってぷつりと切れたのを感じた。




 血の生暖かい感触が手から伝わってくる。胸に押し付けるようにして抱いていたアルチュールの身体は重く、もう動くことはない。口から出てくるのは「どうして、どうして」というかすれた言葉だけだった。


 そのとき視界の隅に緑灰色の影がうつった。気配もなく現れたのは、頭からローブをかぶった人影がだった。

「遅かったか」

 フードの奥から顔をのぞかせたのはベルナールだった。彼の顔はいつもにも増して険しく、普段は冷静な瞳に怒りの炎が宿っている。

「あの女狐め」

 吐き捨てるような低い声には、これまで聞いたことのない激しい憎悪が込められていた。

 そのベルナールの声を聞いた瞬間、堰を切ったようにあたしの目から涙があふれだした。一度流れ始めた涙は、もう止めることができなかった。


「アルチュールのやり方が危ういのは知っていた。王宮内で陰謀があるのも知っていた。だけど、ここまで手際が良いとは……」

 ベルナールは、自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。あたしに話しかけているようにも思うが、彼の言葉はあたしには遠く、ぼやけて耳に届く。

「もう少し、時間があると思ったんだがな……」

 ベルナールは、涙で濡れるあたしの様子を気に留めることなく、淡々と続ける。こいつは昔からそうだ。人の気持ちに寄り添うということを知らない。でも今回は、その冷淡な物言いの中に、かすかなあたしに対する言い訳のようなものが感じられた。


「今回も失敗した」

 ベルナールが自嘲気味に言う。

「オロール王女の動きが予想以上に早かった。まさかこんな朝早くにアルチュールの執務室に乗り込むなんて……。昨日の夜に何があったんだ?」

 ベルナールが苛立ちまぎれに、こぶしで近くの壁を叩いた。あたしはその言葉を聞いた瞬間、あたしの胸にまた激しい痛みが走った。また涙が込み上げてくる。

「あたしが余計なことをしたから……」

 震える声でつぶやく。

「お前のせいじゃない。俺は完全に油断していた。まさかこんなところでアルチュールが命を落とすなんてことは想定外だった……」


「アルチュールのやってたことは性急すぎたかもしれない」

 あたしがかすれた声でつぶやくと、ベルナールは少しだけこちらを見た。

「民衆の支持と王の信頼を頼りにして、強引に改革を進め、大貴族たちの反発を招いた。そこを王女とカミーユに突かれたんだ」

 ベルナールの分析は続く。

「カミーユだけじゃこうも手早く事を進めることはできなかっただろう。いやカミーユは利用されただけか。裏で糸を引いていたのは王女の方か」


 それを聞いてあたしは、ぐちゃぐちゃになった顔の涙をぬぐい、声をあげた。

「アルチュールは、ずっと王女の復讐に利用されていたのよ」

「ああ、おそらくそうなんだろう。とんだ食わせ物だ、あの女狐は」

 ベルナールは低い声で同意した。

「どうして、どうして、アルチュールは死ななくちゃいけなかったの」

 ベルナールの返事を聞いて、あたしはまた泣き崩れた。彼はなにも言わず、ただ黙っていた。


「なあ、ジジ」

 しばらくして、ベルナールがあたしの名前を呼んだ。

「アルチュールが本当に望んでいたのは、どんな世界なんだろうな」

 ベルナールが優しい口調で、あたしの顔を見つめて言った。普段は見せないような態度だ。

「奴は争いのない平和な世界を作りたいと言っていた。下手に権力に近づいたから、そんな夢みたいなことを実現しようとして、こんな目にあったんだ。奴の理想なんて、多くの人間にとって迷惑なものかもしれないな」

 ベルナールは独り言のように続けた。その声にはいつもの冷たい響きはなかった。

「けど、俺はアルチュールの作りたかった世界を見てみたいよ」

 あたしは、ただアルチュールを抱き締め、再びこみ上げてくる涙に耐えていた。




「君は責任感が強すぎるから……」

 かすれた声が部屋に吸い込まれていく。

 冷たく動かないアルチュールの身体を、あたしはしっかりと抱きしめた。そっと彼に語りかける。

「誰かに頼られると、自分の限界なんか考えずに、いつも無理ばかりして……。心配してたんだよ、ずっと」


 アルチュールとの思い出の断片が鮮明に思い起こされる。多くの人々が彼を頼り、その期待にこたえようとして、彼はいろんな苦難を乗り越えてきた。

 傷だらけになりながら一緒に戦って勝利をつかんだ魔王と戦い。お互いを信じて別の場所で戦って勝利をつかんだウルクアヌハイの戦い。思い返すといつも苦しい戦いだった。でも、どんな絶望的な状況でも、最後までみんなが戦い抜き、勝利を手にすることができたのは間違いなくアルチュールがいたからだ。アルチュールの最大の力は、光の見えない暗い闇の中でも、最後の勝利をみんなに信じさせる、決して揺るがない眼差しなんだと思うんだ。

 それと……、アルチュールがあたしに指輪をはめてくれた思い出。本当にうれしかったよ。


 アルチュールは王国の宰相となり、ゆくゆくは王位を継ぐはずだったのに……。多くの人々が彼の未来に希望を託していたのに……。

 それなのに、復讐の役に立たないからって理由で、あたしのせいで自分を見ないからって理由で、婚約者のオロール王女に殺されてしまった。こんな終わり方なんて、まったくアルチュールらしくない。彼はもっと多くの人々を幸せにするはずだった。もっと輝かしい未来を掴むはずだったのに……。王女の、あんなか弱い腕であっけなく希望が失われてしまった……。




 オロール王女に刺され、すでにアルチュールは事切れていた。アルチュールは突然現れたオロール王女に殺されてしまった。どうしてここに王女が現れたのか、あたしには訳が分からない。それにいま、自分の頭が動いていて、他人事のように疑問を次々に生み出していくのも訳が分からない。


 王女とアルチュールは婚約もしていたのに。いつも穏やかにほほ笑み合い、誰もがうらやむほどのお似合いの二人だったのに。なのにどうして?

 どうしてあんな華奢な腕で、勇者アルチュールを殺すことができたの?

 そして、王女はあたしを憎しみに満ちた目でにらみつけていた。どうして? あたしそんなに王女と面識がある訳じゃないのに。

 王女とカミーユにはどんな関係があるの? カミーユは王女の言いなりだったみたいだけど……。


 ダメだ、ダメだ。今はそんなことを考えている場合じゃない。なのに頭が勝手に動き、疑問が頭の中を駆け巡る。

「なんで、アルチュールがこんな悲しい死に方をしなくちゃいけないの?」

 口から出てくるのは同じ言葉ばかりだ。


「準備はできている」

 遠くでベルナールの声が聞こえる。彼は何を言っているんだ? 頭が正常に働かない。何の準備? そうだ、ベルナールの魔法でまたやり直すことができるんだ。うれしい。安堵とかすかな喜びが湧き上がってきた。またアルチュールに会える。またあの笑顔を見ることができる。あたしの胸が躍った。

 でも……、すぐに別な感情も生まれてきた。時間が戻れば、このループでアルチュールと過ごした、かけがえのない思い出は消えてしまう。冒険の日常、戦場での日々、何気ない会話、そして……。そんな思い出は次のループのアルチュールは知らない。あたしの中にだけ残る二人の記憶が増えていくのは耐えられないほどつらい。

 それでも、そんな寂しさは彼にまた会える喜びに較べたら大したことじゃない。アルチュールはこんなところで死ぬべき人間じゃない。彼の未来をこんな形で終わらせるわけにはいかないんだ。


 震える手で、あたしはアルチュールの上体をそっと床に下ろした。殺された時のまま虚空を見つめているアルチュールの瞳。そこにはもう何も映っていない。その瞳を、あたしはしっかりと見つめた。君のいない未来なんて、あたしにはいらない。

「今度はもう、ずっと離さないからね」

 そうつぶやいた。ベルナールが呪文を詠唱し、あたしたちの周りを淡い光が包んでいく。あたしたちが唇を重ねた瞬間、世界の輪郭が歪んだ。

今回で第二章完結です。

三周目でもアルチュールは悲劇的な最後を遂げてしまいました。

四周目では、果たして平穏で幸せな結末が待っているのでしょうか。

第三章もご期待ください。


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