第14話(全36話) お屋敷のお仕事
ジュヌヴィエーブは、過去に戻って、人生をやり直した。
友人アルチュール。
心優しき青年は、魔王を討伐した。
魔王を討伐した男は、やがて、新たな魔王として君臨した。
そして、勇者に討たれる。
それが、定められた世界線。
変えられないはずの、歴史の流れ。
ジュヌヴィエーブは、それを変えた。
アルチュールは、勇者として王都ポロフレに凱旋した。
その武勇と功績を称えられ、王国の宰相となった。
王女との婚礼も間近に控え、栄光の絶頂にあった。
王国は、長きにわたる戦乱の時代を終え、ようやく平和な日々を謳歌していた。
しかし、その平和は、砂上の楼閣に過ぎなかった。
ジュヌヴィエーブの冒険は、終わらない。
第二章が、今、幕を開ける。
王都ポロフレに住むようになって、趣味の早朝ジョギングを再開しました。いや、この言い方はおかしいですね。あれはもう存在しない世界線でのことですから。今回もポロフレの北の城壁の上を走っています。この世界線でも笛を吹いている人がいました。
ジョギングのあとには市場に寄ります。これも前と同じ習慣です。
市場は喧噪と活気に満ちあふれています。ワの国中から、いやそれだけではなく、遠い異国からもやってきた品々が所狭しとならんでいます。
最近、南の方からコーヒーという飲み物がやってきました。黒い豆を砕いて、煮だしたものです。そのコーヒーを飲ませるカフェと言うお店がポロフレのあちこちにできて、その新しい香りが街中に漂っています。
アルチュールが宰相になって、世の中が穏やかになっていることは、この市場の賑わいを見るだけで実感できます。
治安も格段に良くなり、衛兵たちの姿も暇をもてあましているように見えます。
「居眠りしてんじゃない、リュカ!」
「すいません、隊長」
のどかな光景。そんな感じで王国は平穏です。
市場で必要な食材の注文を済ませてお屋敷に戻るころには、アルチュールの朝食の支度が始まっています。忙しくしているメイド長のイヴェットの邪魔をしないように通用口からそっと中へ入ります。
王宮に出勤するアルチュールが、出かけに、言いました。
「いつも思うんだけど、うちはよく訓練された軍隊みたいだな」って。
あたしはそれに同意も否定もせず、ただ冷静に告げました。
「ご主人様、ネッカチーフが曲がっております」
またバスチアンのいたずらです。よく訓練された軍隊ではこんなことは起きません。バスチアンは冒険者だったころからのアルチュールの従者で、あたしとは古いなじみです。ですから彼は時々あたしに対して、こんないたずらを仕掛けてくるのです。そして、あたしがそれを律儀に直すのを、脇から見て楽しんでいるのです。
「もう、だらしがないんだから」
そう言ってアルチュールのネッカチーフを丁寧に直す。アルチュールもそれぐらい気づいてほしいものです。
「じゃ、行ってくるよ」
アルチュールは魔王討伐ののち、ここワの国の宰相となりました。
彼はヴァンパイアを倒したあと、その城を与えられて、すでにアイ城主として貴族の仲間入りを果たしていましたが、魔王討伐という偉業を成しとげたことで、旧魔王城とその周辺領域ウナルベクサを与えられ、「ウナルベクサ伯およびアイ城主」という称号になりました。
あたしたちは魔王討伐後、冒険者稼業をやめ、それぞれの新しい道を歩き始めました。アルチュールは否応なく貴族としての務めを果たすことを求められるようになりました。
貴族の務めとは領地の経営、兵馬を育成、王への軍事奉仕。それだけではありません。王宮への出仕、王城の警備、儀式への参加、謁見の間での陪席など、その職務は多岐にわたります。
アイ城主になった時には、うまく逃げていられたアルチュールでしたが、魔王の討伐後は周りが許してくれませんでした。王宮の名誉職に就けられたり、騎士を率いて出陣したり、社交界に引っ張り出されたりしました。アルチュールは最初はイヤだイヤだと駄々をこねていましたが、周囲の期待と、そして彼自身の資質があったのでしょう、なんとかこなしているうちに、オフィウクス公が失脚すると、その後任として宰相になってしまいました。
宰相のお仕事は王領の管理と、諸侯領を含めた王国全体の方向性を決めることです。ワの国は十一州からなり、王様が直接支配しているのが三州、王様に仕える伯以下の中小貴族が入り乱れているのが四州、そして残り四州が三人の諸侯、二州を有するキグヌス大公、それぞれ一州を持つオフィウクス公、アラ公によって支配されています。このうち宰相が管轄するのが、諸侯領以外の七州になります。
魔王がいなくなって、アルチュールが宰相となって、王国は平和です。
人々は魔王の脅威におびえることなく、日々の暮らしを営めるようになりました。アルチュールは人々の負担を減らし、また農業や商業の振興に力を注いでいます。
王国が安定を取り戻すと、これまで領地に引きこもっていた貴族たちも王宮に出仕するようになりました。地方からの反乱の火種が消え、この後何年も続くであろう繁栄の基礎が築かれているように感じます。
王国内が安定すると、外交関係にもいい影響を与えるようです。前宰相オフィウクス公が攻めて失敗したイの国との関係も改善され、先日外交使節が王都にやってきました。なんでも使節団の団長は、先の戦役で活躍したという将軍だそうです。
王都では、新しい建物が次々と建てられています。多くは領地から出てきた貴族たちのお屋敷でしょう。王都の人たちの仕事が増え、街は活況を呈し、その様子を見て、さらに人が集まってくる。王都ポロフレは日を追うごとにその賑わいを増してゆくようです。
……、ああ、疲れた。
ハウスキーパーとしての言葉づかいというのをメイド長のイヴェットに口うるさく言われているが、やはり慣れないことをすると疲れる。ここからはいつもの調子でいく。
あたしは派手な生活が嫌いだから、冒険者を廃業したあと、隠れるようにしてアルチュールのところに転がり込み、今はお屋敷のハウスキーパーとして働いている。あたしの存在は歴史の闇に埋もれかけているらしい。王国各地に建てられた勇者様御一行の像は、剣士、魔導士、司教、スカウトの四人だ。実際を知る人は、あれっ、勇者様は四人だっけ? 五人目の勇者がいたはずじゃ? なんて不思議がっているそうだ。「五人目の勇者」というアングラ文書も出回っているそうで、そのなかのあたしは筋肉ムキムキのドワーフだったり、トロールだったりするらしい。
宰相になるまでアルチュールは基本的にウナルベクサ城にいて、王宮に呼び出されるたびにポロフレのカミーユの屋敷に滞在していたんだけど、宰相就任後は、それまでオフィウクス公が使っていた広大で美麗な邸宅が与えられ、王宮内にも広い執務室が用意された。
「あら、カリーヌ、これをお願いね」
「かしこまりました、ジジさま」
お屋敷には二〇名ほどのメイドがいて、彼女たちと協力して、宰相邸全体の色々を切り盛りしている。本当はウナルベクサ城やアイ城のこともやらなきゃ、なんだけど、あっちまでは手が回らない。むこうはまだまだフツーの人間にはつらい環境が改善されていない。
あたしの従者だったイヴェットにはメイド長をやってもらってる。昔から厳しい性格だったが、その厳しさは今も変わらずで、メイドの女の子たちから恐れられている。私に対する態度も、相変わらず手厳しい。
王国宰相のお屋敷のハウスキーパーは、想像していた以上に多忙な仕事だ。
お屋敷には、いつも誰かしら滞在者がいるし、毎日のように会食が開かれる。料理長のギョームと食料品貯蔵室メイドと相談しながら、日々の献立を決め、毎日市場に買い出しに出かけ、いつも使うもののストックを切らさないように気を配り、常に新鮮な食材が手に入るようにしておく。これらすべてがあたしの仕事の一部だ。
アルチュールが出かけ、屋敷の仕事が一段落すると、メイドたちはメイド用の居間に集まり、お茶を飲みながら歓談する。忙しい仕事の、ちょっとした息抜きだ。ホントは暇を作っちゃいけないんだろうけどね。でも緊張と緩和のバランスが取れていないと、人は動かないと思うんだ。
あたしがお屋敷の女性使用人たちの監督を担当し、男性使用人たちの監督は、家令のエドウィンが担当してくれている。キグヌス大公のところからやってきて、当初は執事をやってもらい、今は家令と執事を兼任し、お屋敷の管理全般をやってもらっている。とても頼りになる存在だ。
アルチュールが戦士から剣士になったころからの従者、バスチアンは相変わらずアルチュールの側に仕えている。昔からいたずら好きの子だった。彼があたしのことをジジさまと言うものだから、いつの間にか、みんなマネしてあたしをジジさまと呼ぶようになった。マダムなんて呼ばれるよりいいかな、と思っている。
エドウィンの下に副執事がいて、従者のバスチアンがいて、フットマンがいて、ボーイがいる。これがお屋敷の内部で働く人間だ。外には庭師や御者や厩舎の担当がいる。あたし一人じゃ手に負えない。エドウィンがいてくれてホント助かるよ。
王都に居を構えるようになって料理長を雇った。ギョームという。もともと遍歴の料理人だったんだけど、キグヌス大公のところにいた時にエドウィンと知り合い、彼が連れてきてくれた。香辛料をあまり使わない、素材の味を生かした料理を得意としている。あたしが好きなのは鳩の生クリームスープと、鳩のお腹に詰め物をして蒸し煮にした料理。彼の作る料理は、お客様方にも評判がよろしいようだ。
ギョームの提案で、お屋敷に食事のための、専用の部屋を作った。
普通は食事をする部屋といえば、会食の人数に合わせて適当な大きさの部屋を選び、そこに長方形のテーブルを置くものだ。長いテーブルの長辺の中央に屋敷の主人が座り、メインの肉料理を切り分けて客人にサーブする。その他の料理は三回に分けて、いくつも大皿で並べられ、客人たちはそれぞれ食べたいものを自分の皿に取って食べる。
でもうちは「食堂」という、最近流行の新しい部屋を厨房の近くに設定し、そこに丸いテーブルを置いた。長いテーブルだと短辺に座った人は自分で取れる料理が限られてしまうけど、丸いテーブルなら食事における座席の優劣は生じない。厨房の近くに食堂を設けたのは、温かい料理を温かいまま出すため、丸いテーブルを置いたのは、客人に気持ちよく食事してもらうため。どちらも料理長ギョームのアイディアだ。よくできた料理人が来てくれてよかったよ。
彼の唯一の欠点は、錬金術が趣味だということだ。ベルナールが屋敷に来ると二人はいつも、私には理解不能な専門用語を使った会話をしている。オスマゾームだの、黒への作業だの。まあ、それもまた、彼の個性と言えるのかもしれない。
居残りのフットマンがアルチュールの帰宅を知らせてきた。出迎えの準備をしないと。
屋敷のあちらこちらからメイドやフットマンらが玄関へ向かう。あたしも玄関へ向かう。そこにはもうエドウィンが来ていた。使用人たちを整列させる。馬車が到着し、アルチュールが姿を現す。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
今はとっても幸せだ。




