第12話(全36話) 魔王の遺産
魔王は死んだ。正確には跡形もなくというわけじゃない。黒い霧が立ち上って、それがゆっくりと灰になって床に落ちていった。残ったのはかつて魔王と呼ばれていたものの無機質で美しい仮面だけ。魔王の謁見の間だったこの部屋、ついさっきまで死闘が繰り広げられていたこの場所であたしたちは言い争っていた。
「ダメだよ、アルチュール。そんなの、安易すぎる」
あたしはカミーユに言い返した。
部屋はひんやりと冷えていた。体の奥底からじんわりと冷えてくるような嫌な寒さ。まるでこの場の空気がそのまま温度になったみたいに。アルチュールがカミーユの言うことを聞いてしまったらまた同じことが繰り返される。アルチュールが魔王になって、前と同じように勇者に殺される。そんなの絶対に嫌だ。何としてもアルチュールを魔王を倒した勇者として、無事に王都に帰さなきゃ……。
「力に呑まれちゃダメだよ、アルチュール」
あたしは、アルチュールに懇願するように言った。それから、カミーユに向き直る。
「あんたもだよ、カミーユ」
「あんたの復讐はあんたの手でやりなさいよ。確かに今の状況はあの宰相のせいかもしれない。でも力でなにかを変えようとしてもろくなことにならない。そんなやり方じゃ誰も幸せになんかなれない。アルチュールを新しい魔王にしないで」
剣士のアルチュール、魔導士のベルナール、そして、司教のレティシアは、黙って、スカウトのカミーユと、キャプテンのあたしのやり取りを見ていた。アルチュールは難しい顔をして真剣に考えている。一方、レティシアはどこか他人事みたいだった。早く打ち上げでもしたいとでも思っているんだろうか。そう考えるとなんだか力が抜けてくる。あたしがこんなに必死なのに……。
「ジジの言う通りだ」
ベルナールが低い声で言った。あたしへの援護射撃というところだろう。
「魔王の遺産は、人間が扱うには危険すぎる。一国の政治どころか世界をひっくり返すほどの力だ。俺もお前が言うような使い方は絶対に反対だ」
そうだよ本当にそうだよ。でも、そもそもこの話を持ち込んだのはあんたじゃないか? もう少しあたしをサポートしてくれてもいいのに、と文句の一つでも言ってやりたくなる。でも今の彼はなにも知らない。そういえばあの時ベルナールはどこから来たんだろう?
その時、レティシアが、小さく呟いた。
「あたしは、どっちでもいいけどね」
他の人たちは、聞き逃したかもしれない。でも、あたしはちゃんと聞いた。彼女の言葉を、はっきりと。
「今、俺たちが決断すれば世界を手に入れ、世界を作り変えることだってできるんだ」
カミーユは、あたしたち一人一人を見渡した。その視線はまるで尋問官のようだった。
「大貴族だけが贅沢三昧で王国を食い物にしているようなそんな腐った社会じゃなく、誰もがそれなりに豊かで幸せを感じられる社会を築くことができる。今ならそれができるんだ」
確かにそうかもしれない。王国は宰相を筆頭とする大貴族たちのためにあるようなものだ、とどこかで聞いたことがある。王様なんてただの飾りだ、という噂も。でもそんなことのためにアルチュールの命を危険に晒すわけにはいかない。それは絶対に違う。
ベルナールが反対しているのは単にカミーユのことが気に入らないからだ。もっと正確に言えばカミーユがアルチュールに影響力を持つのが許せないのだ。昔からベルナールはアルチュールに異様なほど執着している。自分以外の人間がアルチュールに何かを吹き込むのを極端に嫌う。前回はそれが原因であたしはパーティーを抜けた。今回の異世界での出来事を通して彼の執着は少し薄れたように見えたけれど、それでもまだアルチュールが他の誰かの言いなりになるのは我慢ならないらしい。それが彼の行動原理の全てだ。アルチュールが魔王になろうがなるまいが彼自身は実はどうでもいいのだ。
「このままなにもしないで帰って、宰相に魔王の遺産を渡したらどうなる? 奴は間違いなく自分のために使うだろう。それは王国の混乱、ひいては世界の破滅を招くだけだ。俺たちだけがこの遺産を正しく使うことができるんだ。強大な力を手にした者はその正しい使い方を考える義務がある。正しい使い方は宰相にこの力を渡すことじゃない。俺たちでこの力を使うことだ。宰相に渡せば、奴は子供がおもちゃを弄ぶようにこの力を使うだろう。そうなれば王国が、いや世界が今以上の荒廃と恐怖に晒されるだけだ」
「なあ、俺たちでこの魔王の力を使って世界の平和を作り出そうじゃないか」
レティシアは黙っていた。彼女は修道院で村の人たちと一緒に農作業などをしていたから、農村の暮らし、その厳しさを身をもって知っているのだろう。あたしたちが魔王城に至るまでの道中で見た荒れ果てた村々の光景は大部分が魔王のせいだとしても、王国や領主がもう少し何とかできたはずだ。彼女の教会はある程度の庇護にはなっているけれどそれだけでは到底足りない。
アルチュールはカミーユの言葉に何度も頷いている。これはまずい状況だ。彼がカミーユの提案に乗ったら、新しい魔王が生まれてしまう。前のベルナールは魔王の呪いで動けなくなったアルチュールを、カミーユが無理やり魔王にしてしまった、と言っていたけれど今のアルチュールはむしろ乗り気じゃねーか。一体、どうなってるんだよ?
「魔王が死んだからって平和な時代が来るなんて、そんなのはただの幻想だ。魔王の脅威がなくなれば今度は人間同士の争いが始まるだけだ。宰相はすぐにでも失われた四州を取り戻すために東の隣国に戦争を仕掛けるだろう。人間の歴史なんてそんなものだ。だが俺たちは今、魔王の遺産を手にしている。今この瞬間、俺たちだけが歴史を変え、平和な世界を築くことができる唯一の可能性を手にしているんだ」
カミーユが言葉を切ると魔王の謁見の間は重苦しい静寂に包まれた。その静けさはまるで嵐の前の静けさのようだった。
「ちょっと待ってよ」
カミーユの言葉が終わって、一呼吸置いてから、あたしは口を開いた。
「そんなのわからないよ。それに魔王の力なんかに頼らなくたって平和な時代を作ることはできるはずだよ」
「綺麗事だな」
カミーユは、吐き捨てるように言った。彼の過去がその一言に凝縮されているようだった。反逆者という汚名を着せられ、家族を殺され、自身も逃亡生活を送りながらただ復讐の機会を窺ってきたのだろう。復讐だけが彼の人生を支えてきたのかもしれない。どれだけ苦労してきたのだろう。どれだけ辛い思いをしてきたのだろう。あたしは成り行き任せに生きてきた人間だから彼の経験したことを本当に理解することなんてできない。ごめんね。
アルチュールの方を見ると、眉間に深い皺を寄せて難しい顔をしている。彼には似合わない表情だった。
魔王を倒すことだけが目的だったはずなのにいきなりこんな途方もない力を手に入れてアルチュールだってどうすればいいのかわからないのだろう。人を幸せにすることも不幸にすることもできる、そんな強大な力をいきなり与えられて迷わない方がおかしい。そして迷った挙句、最悪の選択をしてしまうのが人間というものなのかもしれないと、あたしは思った。
「力を使っても、結局多くの人を苦しめるだけで、アルチュールの考えるような誰もが幸せになれる世界なんて絶対に訪れないよ」
あたしはアルチュールに向かって、そう言った。アルチュールは誰もが誰に対しても優しくできる世界を心から望んでいる。彼が戦士になったのだって戦うことのできない人たちの代わりに戦うためだと、以前話してくれたことがある。魔王の力を使ったところで彼の望むような優しい世界が作れるとは到底思えなかった。
「魔王の力はつまらない復讐なんかに使うにはあまりにも大きすぎる力だ」
ベルナールが横から口を挟んだ。おいおい、言い方、言い方。本当に言葉を選ばない奴だ。
レティシアは黙ってあたしたちを見ている。慎重に考えている、真剣に聞いているフリをして、こいつはもしかしたら早くこの場が終わらないかな、早く打ち上げで美味しいお酒を飲みたいな、とでも考えているのかもしれない。あたしが、アルチュールが魔王になって、勇者に討たれる、そんな世界線を変えようと必死になっているのに……。
結局のところ、ベルナールもレティシアもアルチュールが魔王になろうとなるまいと、そんなことに関心はないのだ。あたしだけがアルチュールが魔王になるのを止めようとしている。その後の悲劇的な結末を知っているから……。
「お願い、アルチュール」
あたしはアルチュールの目を真っ直ぐ見つめて最後のお願いをした。
「魔王の力を使ってもあなたが望むような世界は絶対に作れない。あなたに魔王なんて似合わない。そんなものになるために冒険者になったわけじゃないでしょう?」
涙が溢れそうになるのを必死に堪えながら、あたしはアルチュールの目を見つめた。
あたしは、以前アルチュールからもらった魔法の指輪をぎゅっと握りしめていた。その指輪は異世界での冒険と魔王との戦いで魔力を使い果たしてしまい、今はただの石ころになってしまっている。輝きを失った冷たい石ころ。
アルチュールを失いたくない。王都で首だけになったアルチュールと再会するなんて絶対に嫌だ。そんな思いであたしは彼を見つめた。
アルチュールもあたしを見つめている。優しくあたしを安心させるように微笑んだ。その微笑みを見てあたしは自分が泣いているのだと改めて認識した。
「ねえ、アルチュール。一緒に帰ろう?」
あたしは涙でぐしゃぐしゃになった顔で、そう言った。
「この力は、封印する」
アルチュールはあたしに軽く頷いてからカミーユに向き直り、そう宣言した。その声は静かだが確固たる意志を宿していた。
「この力は人の世で使うべきものじゃない。見たろう? 魔王城に至るまでのあの荒涼とした大地を。魔王の力を使えば王国全体がああなってしまうかもしれない」
アルチュールはカミーユの目をまっすぐ見つめて話している。その視線は非難ではなく諭すようだった。
「この力は個人的な感情で使うにはあまりにも強大すぎる。使いようによっては首飾り諸国全体に影響が及ぶだろう。一国の宰相を排除するには大きすぎる力だ。復讐に使うにはあまりにも大きすぎる」
アルチュールはじっとカミーユを見つめている。カミーユはうつむいた。ベルナールは当然だというようないつもの無表情で二人を見つめている。レティシアは相変わらず無関心な顔でただそこにいる。あたしは祈るような気持ちでアルチュールを見つめていた。息をするのも忘れていたかもしれない。王国の命運、世界の命運、そしてあたしにとって何よりも大切なアルチュールの命がかかっている。
「カミーユ、宰相オフィウクス公への復讐、僕も手伝うよ」
アルチュールがそう言うと、カミーユはゆっくりと顔を上げた。驚きと僅かな希望が入り混じった表情だった。
「君の気持ちはわかる。君の父上のことも。全部を理解できるとは言わないけれど……」
アルチュールが言葉を濁した。あたしには少し意外だった。復讐なんて彼のガラじゃないから。でも人の気持ちに寄り添って深く考えるアルチュールなら、カミーユの心の奥底にある拭いきれない悲しみや怒りを理解できるのかもしれない、と思った。
「オフィウクス公を排除するには時間がかかるかもしれない。魔王討伐よりもずっと大変かもしれない。でも僕たちならきっとできるはずだ」
あれ? いつの間にかあたしたちも巻き込まれている。まあ今更不満を言うつもりもないし、ここまで来て仲間外れにされるのも嫌だからね。レティシアもベルナールもきっと同じ気持ちだろう。
「正々堂々と正しい手段で君と御父上の名誉を回復しよう。誰にも後ろ指を指されないやり方で君の御父上の正しさを証明して復讐を果たそう。魔王の力を使うのではなく」
アルチュールの言葉はまるで凍り付いていたカミーユの心をゆっくりと溶かしていく温かい朝日のように感じられた。カミーユは深くうなずいて、
「わかった」
と、かすれた声で言った。
「カミーユ、君は復讐に必要な力を得るために魔王を倒したのかもしれない。でもその過程で魔王の力以上に強い力を手に入れた。それが仲間だ」
レティシアがキザでクリシェな台詞で話を締めくくった。彼女はもう飽きていたのだろう。早くお預けになっていた勝利の美酒を心ゆくまで味わいたかったに違いない。
その日は残っていた酒を全部出してささやかな祝杯をあげた。魔王のいた部屋で魔王のいない世界を祝う少しばかり皮肉な、でも確かに希望に満ちた夜だった。
いつもお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
あと一話で第一章が完結いたします。
さて、先日、あるAIに「『小説家になろう』の『ジジのクリシェな冒険』はどんな内容ですか?」と質問したところ、「王道の冒険ファンタジーをコミカルに描いた作品です」あるいは「おっさんエルフがジョギングしたりしなかったりする話」という回答がありました。
読者の皆様のご感想と一致するかどうか、気になるところです。
現在、二〇名ほどの方に読んでいただいております。
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