第62話:【一乗寺の生き残り】
ラーメン聖地としての往年の隆盛は前の時代に比べればすっかり鳴りを潜めてしまったが、AIが人間の生活を完全に管理・支配するようになった現代においても、京都・一乗寺の街には偏屈なラーメン職人たちが今もなお頑固に暖簾を掲げ続けていた。
彼らにとってのラーメンとは、日々の生活を維持するための単なる糧などではない。自らの魂を削り出す芸術作品であり、生涯を捧げるライフワークそのものなのだ。
昔、ある老舗の職人が健矢にこんなことを語っていたのを、ふと思い出す。
『俺たちはなぁ、暖簾を掲げたその日からラーメンに生き、ラーメンに死ぬしかないと決まっていたんだよ!』と。
もっとも、そうした職人たちの情熱を陰から支えているのは、何も精神論だけではない。
我らがアルカディアのサポートメカとして、GIOやBianco A sportシリーズといった堅牢なクロスバイクに跨ったシオンやイズミの仲間......フィジカルAI端末を駆使した店舗経営補助AIたちが、日々大原の農村やお隣の滋賀県まで走り、良質な米や小麦を農家から直接受領して回っている。
こうした配達用クロスバイクの卸売りや、日々の消耗品の補充・メンテナンスこそが、中嶋の極めて太い経済的収入源となっていた。
鉾町の自転車屋に居ながらにして、75歳を迎えた今でも彼が無味乾燥を極めたドームへ強制収容されずに済んでいるのは、まさにこの裏のビジネス基盤として社会インフラを支えている事実あればこその話だった。
重い米袋を背負い、恐怖のダウンヒルを無事に生き抜いた一行は、一乗寺エリアへと自転車を走らせる。
「健矢さん、今日のラーメン屋さんはどこにするんですか?」
ペダルを回しながら尋ねる結愛に、健矢は軽く顎をしゃくった。
「俺一人だけなら、北泉通り沿いの重厚な店か、あるいは麺も野菜も限界までマシマシにするヤバい店に直行するところだが……今日は初心者のお前もいる。家系や魚介豚骨つけ麺といった幅広い選択肢を揃え、東大路と北泉の交差点という抜群の立地を堂々と抑えている豚骨の名店、『まーく4』にするぞ」
かつて一帯を埋め尽くした長蛇の列こそないものの、店先には一風変わった熱気が漂っていた。
本来の意味を取り戻した近隣の伝統ある国立大学で糖分と予算を湯水のように溶かしながら最先端の研究に勤しむ研究者やマッドサイエンティスト、ラーメンへの偏執的な愛をこじらせ、ドームの管理システムへの収容をギリギリで逃れたような一風変わったグルメたちが、ランチタイムの賑わいを作り出していた。
『まーく4』の引き戸をくぐる前に、まずは今回の重要な任務が控えていた。
健矢が大将を窓口に声をかけると、イズミが持っていたキャリア天板の10kg、そして結愛が背負っていた米袋を、一乗寺のラーメン組合宛ての正式な卸し荷物として手際よく引き渡していく。
「お疲れさん、いつも良い米をありがとうよ」
「いえ、アルカディア農産部門の正規ルートでございます! 本日も極上の仕上がりですよ♪」
無事に米の納品を済ませた一団は、ほっと一息つきながらカウンター席へと腰を下ろした。
メニューに目を通し、健矢は濃厚な旨味を求めて「濃厚魚介豚骨つけ麺」をオーダー。
一方の結愛は、今日の激しい山岳教習の疲労を丸ごと癒やすため、ベーシックかつ力強い「濃厚豚骨ラーメン(並)」を選択した。
注文からほどなくして、湯気とともに食欲を猛烈に刺激する芳醇な豚骨の香りが鼻腔を突く。
目の前に置かれたラーメンには、極上の脂が輝くスープと、しっかりと茹で上げられた麺が美しく鎮座していた。
「いただきます……!」
箸で麺をすくい上げ、スープに絡めて一気に口へと運ぶ。
「んんん~~~っ! 美味しいっ……!」
ガツンと脳天を直撃する濃厚な旨味と塩分、そして極上の糖質が、へとへとに疲れ果てた全身の神経にまるで染みわたるように広がっていく。
「山を登った後は……この糖質と塩分とカロリーが、体にめちゃくちゃ沁みるわぁ……っ!」
「ですよね、師匠! 疲れが一気に吹き飛びます……!」
自分の自転車を、イズミや店舗側のセキュリティ管理端末が外の定点カメラと連動して完璧に見張ってくれているという絶大な安心感。それも含めて、このひと時は何物にも代えがたい「プライスレス」な贅沢だった。
冷徹なAI管理社会のなかにあって、泥臭く、しかし確かなこだわりを持って生きる職人たちの聖地・一乗寺。
そのカウンターの隅で、スパルタの師匠と、過酷な教習を一つずつ乗り越えていく弟子が並んでラーメンをすする姿は、荒廃したディストピアのなかに灯る、小さくも温かな人間の営みの光そのものであった。




