第46話:【パンク対策!】
一流イタリアンブランドのお高いカーボンシューズを揃え、大満足の笑みを浮かべる結愛。その横で、過酷な長時間の接客を終えた店主の中嶋は、カウンターの奥で力なくお茶を啜っていた。
「ウェア、ヘルメット、ライト、そして憧れのカーボンシューズ! 完璧です!」 結愛は胸を張り、眩いばかりの笑顔でスパルタ鬼師匠・山崎健矢を見上げた。 「健矢さん、今度こそ! 今度こそ流石に感動の公道デビューですよね!?」
だが、健矢はフッと鼻で笑うと、意地悪な笑みを浮かべて腕を組んだ。
「……で、途中で『ぷしゅ〜』って風船がしぼむみたいな音がしたら、お前はどうする?」
「ぷしゅ〜……? え、なんですかその不吉な擬音は」
「ライド中のトラブル圧倒的第1位、『パンク』だよ」
健矢はパーツ棚から黒いゴムの輪っかとプラスチックの棒をひょいと手に取った。
「どれだけ高い自転車に乗ってようが、道路に落ちてるガラス片や段差一発でタイヤは破裂する。パンク対策を持たずに走るってのは、裸で戦場に飛び込むようなもんだ」
結愛は身を乗り出し、「え、AIの配車サービス呼べば良くないですか……?」と口を挟もうとしたが、健矢はトーンを低く落として恐ろしい昔話(パンク怪談)を語り始めた。
「昔、俺がまだ金も知識もねぇ頃の話だ……。パンク修理キットも持たずに『山登り』に行ったんだよ。極限まで軽量化したヒルクライムだ。そりゃぁ気持ちよかったさ。で、景色のいい峠の頂上付近、電波すらろくに届かねぇ寂れた道でな……突然リアタイヤが『パンッ!』と乾いた音を立てて弾けた。」
結愛は唾を飲み込み、健矢の顔を見つめた。
「タクシーも来ねぇ、車も通らねぇ、もちろん自転車屋なんてあるわけがねぇ。日没の迫る山道をな?固いビンディングシューズでカツカツと音を立てながら、何ッキロもトボトボ歩いて下りた時の惨めさと恐怖と言ったらなかったぜ……。足の裏は激痛だし、暗闇から野生動物の気配はするしな」
「ひ、ひぃぃ……! む、無理無理無理! 山奥で一人で置いていかれたら泣きます!」
想像しただけで青ざめる結愛に、中嶋が冷茶のカップを置いて助け船を出した。
「だから予備のチューブ、タイヤレバー、応急補修のパッチ、そして空気入れ(ポンプ)は必須なんだよ。これらをサドルバッグやツールケースにスマートに格納して走るのがサイクリストの嗜みだ」
中嶋が大将がすっかり重くなった腰を上げて棚から引っ張り出してきたツールケース類を見つめ、結愛は眉をひそめた。
「でも大将、予備のチューブって結構かさばりません? ツールケースに入れると、それだけでパンパンになっちゃいそうですけど……」
「フッ、昔のブチルチューブならな」 健矢はポケットから、まるで折りたたんだビニール袋のように極小の、手のひらにすっぽり収まる小さな透明パッケージを取り出した。
「今は良い時代になった。この『TPU(熱可塑性ポリウレタン)チューブ』なら、超軽量な上に驚くほど薄い。省スペース格納ができるTPUチューブならガン積みでも余裕だ。ツールケースの隙間に2本入れても、まだ鍵や工具が入るスペースが残る」
結愛の視界に、管理AIイズミが瞬時に3Dグラフィックを展開する。
『補足いたしまね、結愛ちゃん! 従来のブチルチューブに比べ、TPUチューブは容積・重量ともに約三分の一! ツールケース内の省スペース化における救世主なんですよ~!』
「すごーい! こんなにコンパクトなら全然邪魔になりませんね!」
「問題は、どうやって空気を注入するかだ」
健矢はパーツ棚から3種類の「空気入れ」を並べた。
「まず手動のミニポンプ。最安だが、ロードバイクに必要な高気圧まで手でシュコシュコ入れると、タイヤが膨らむ前に己の腕が死ぬ」
「腕が死ぬのは嫌です……」
「次にCO2ボンベ。一瞬で空気が入る優れものだが……失敗すると液化ガスで凍傷になる上、一気に気体が入りすぎてチューブがバースト(破裂)するリスクが怖い」
健矢の言葉を受け、管理AIシオンの無機質な音声が淡々と響く。 『補足します。初心者におけるCO2ボンベの使用失敗率は約24%。低温やけどおよび過充填によるチューブ破損のリスクを考慮すると、推奨いたしかねます』
「じゃあ……どうすればいいんですか!?」
「だからこそ、今は『コンパクト電動ポンプ』が最適解なんだよ」
健矢が掲げたのは、大きなキーホルダーほどのサイズしかない金属製の小さな四角いデバイスだった。
「スイッチ一つで指定した気圧まで自動で空気を叩き込んでくれる。小型・軽量・力いらず。今の時代、これを選ばねぇ手はない」
「きゃー! すごいです! スマホより小さくて可愛いし、超ハイテク!」
サドルバッグの中に、TPUチューブ2本、タイヤレバー、パッチ、そしてコンパクト電動ポンプが見事にすっぽりと納まった。愛機『MIRANO 7』のサドル下に装着すると、全体のシルエットを全く崩さないスタイリッシュな佇まいが完成した。
「完璧です! あんなに大量のパンク対策セットが、こんなにおしゃれに収まっちゃいました!」 結愛は晴れやかな笑顔で万歳をした。
「健矢さん、大将! これで……これで本当に、すべての装備『選定』が完了しましたよね!?」
健矢はフッと満足げに口角を上げた。 「残念だったな.....」
「そんなぁ~~~~~ッ!!?」
「そんなぁ~~~じゃない。ボロのブチルがあるからそれ使って作業ピットで『タイヤの脱着とパンク修理の実技講習』を始めるぞ。TPUはパッチ修理できんからな。自力でタイヤを外してチューブ交換できるようになるまで、店からは出さん。」
ピシッと作業ピットを指差す鬼師匠。 一瞬で笑顔が凍りつき、絶望に染まっていく結愛。
「やっぱりすぐには外に出してくれないのーーーーーー!?(涙)」
老舗『サイクルショップGIRO中嶋』の店内に、結愛の悲痛で賑やかな悲鳴がどこまでも虚しく響き渡るのだった。




