第44話:【ライトはどれを選べばいい?】
「……うぅ。ねぇ、健矢さん……。まだ、あるんですよね……? 次は……何ですか……?」
ヘルメットとサイクルスカートをバシッと決め、これでいよいよ公道へ乗り出せるのだと信じて疑わなかった結愛は、げんなりとした力のないジト目で健矢を見上げていた。
健矢が顎で指し示した店内の奥——壁一面にズラリと吊り下げられたフロントライトやリアライト、メカニカルなパーツ類のパッケージを前に、結愛の疲労感はピークに達している。
「自転車のライトなんて……100均とか、ママチャリについてるような安いのをテキトーに付けとけば良いんじゃないんですか……?」
弱々しく漏らした結愛の言葉に、健矢と作業場から出てきた店主の中嶋が同時に眉をひそめた。
「バカ言え!」
中嶋の一声と同時に、結愛の視界を覆う網膜VRに、管理AIイズミが道路交通法のテキストとライトの配光イメージを素早く展開する。
『補足いたします、結愛ちゃん! 道路交通法第五十二条第一項等により、夜間や暗所でのライト点灯は公道を走るすべての自転車に課せられた絶対の法的義務です! AIが世界を統括する時代になろうとも、自転車の生産とこの法律は頑固に生き残っているのですよ!』
「法律以前に、安全面に問題ありすぎなんだよ」
健矢はパーツ棚からランダムにパッケージを一つ手に取ると、冷ややかな視線を結愛に向けた。
「いいか?ママチャリの時速十キロとロードバイクの時速三十キロじゃ、一秒間に進む距離が根本的に違うんだよ。街灯のない夜道に突っ込んだ時、安物のショボいライトじゃ路上に落ちてる段差やら落ち葉に気づいた時には落車して死んでる、なんてよくある話だ。ライトは自分が前を見るためだけじゃなく、車や歩行者に自分の存在を知らせる命綱でもある。」
「ライトをケチるのは命の値段を下げるに等しい所業だ。AI時代になって安くはなったんだろうが、病院代の方がぶっちぎりで最高額のライトより高くつく。」
結愛は「うっ……」と息を呑み、大量のライトを見つめ直す。パッケージには『300lm』『800lm』『1500lm』と未知の数値が踊り、価格も数千円から数万円までピンキリだった。
「うぅ........どれを選べばいいか、さっぱり分かりません……」
眩く並ぶパッケージを見つめながら、健矢はふと遠い目をした。
「……まあ、無理もねぇか。俺も昔、金も知識もねぇ頃は散々悩んだからな」
「えっ……健矢さんにも、そんな時期があったんですか?」
「金がなかった時はな、夜道を安全に走れる最低ラインとして『500ルーメン(lm)』を基準に設定した。五千円ちょい出せるギリギリのラインで、穴があくほどネットのレビューを比較して時間をかけて選んだもんだ」
意外な苦労談を聞かされ、結愛は「健矢さんにもそんな下積み時代が……」と少しだけ感心したような表情を浮かべた。
「……まあ、それも昔の話だ」
健矢は過去の感傷を切り捨てるように首を振ると、迷いのない手つきで特定の棚を指差した。
「今のライトはハイテク化が進んでる。ただ光るだけじゃなく、サイコン(サイクルコンピューター)と連動して速度や周囲の明るさに応じて自動で光量を調整したり、バッテリー残量を一括管理できるようになってんだ。だからこそ、ブランドを統一した方が管理が圧倒的に楽なんだよ」
健矢の視界から、管理AIシオンの冷徹な声が割り込む。
『マスターの言葉を補足いたします。該当メーカー「iSPORT」は、かつて異次元のコストパフォーマンスで市場を席巻しましたが、真価はサイコン・ライト・リアレーダーまでを網羅する統合システム(エコシステム)の完成度にあります』
「そういうことだ」と健矢は頷き、棚から二つの箱を掴み取った。
「お前にはこれだ。フロントライトは『1801V』、リアはレーダー付きの『R10C』で行く」
「一八〇〇ルーメン……!? 健矢さん、これ一番高くて凄そうな最上位モデルじゃないですか!?」
「ぅるせぇ、大は小を兼ねるんだよ!」
すかさず、店内にシオンの無機質な音声が淡々と響き渡った。
『補足いたします。マスターの本音としては「過酷なブルベでも1201V(1200ルーメンモデルの旧式)で十分なスペック」と試算しております。しかし「教習生に妥協した装備を持たせたくない」という見栄が三%と、現在獲得している潤沢な余剰クレジットを無駄に使いたいという私情が九十二%を占めております』
「私情じゃないですかーーー!!」
結愛の叫びを完全にシカトし、健矢はドヤ顔で中嶋のレジカウンターにカード(電子決済端末)を叩きつけた。
「大将! この一番いいやつらをセットで注文だ! 今は金ならある!」
中嶋はガハハと豪快に笑い声を上げた。
「おいおい健矢、豪勢だな! 昔は五千円のライトでウンウン唸ってたガキがデカくなりやがって! よっしゃ、速攻で取り付けてやる!」
手際よく作業が進められ、結愛の愛機であるチェレステ色の『MIRANO 7』のハンドルとシートポストに、最先端のスマートライトとレーダーがガッチリと装着されていく。
ピカッと眩い光がピットを照らし出し、スピードや周囲の状況と同期して輝く配光パターンを目にした結愛は、思わず「おお……! すごく明るい……!」と歓声をあげた。
「ウェア、ヘルメット、そして命を守る最強のライト……! 健矢さん、今度こそ! 今度こそ本当に公道へ出発できますよね!?」
万全の装備を整え、完璧な笑顔で胸を張る結愛。
だが、健矢はフッと口角をニヤリと上げると、容赦のない現実を突きつけた。
「……フン、まあな。だが、まだ『サイコン』、『パンク修理キット』、『鍵』、あとは『ボトル』の選び方を教えてねぇぞ」
「まだあるのーーーーー!?」
結愛の絶望に満ちた悲鳴が、夜の『サイクルショップGIRO中嶋』に虚しく響き渡るのだった。




