第43話:【サイクルスカート!】
「お尻の皮が剥けて血だらけ……? む、無理無理無理!」
『サイクルショップGIRO中嶋』の店内に、結愛の悲鳴が虚しくこだましていた。健矢、頑固店主の中嶋、そして冷徹AIシオンの3連撃による「ノーパンレーサーパンツなしの怪談」を叩き込まれ、彼女の表情は完全に蒼白だった。
しかし、腹を括ってからの結愛は早かった。
元オフィス受付嬢として培った細やかな観察眼と、現役アイドルとしての洗練された美意識。恐怖に震えながらも、彼女のスイッチは即座にプロの「魅せる」思考へと切り替わった。
「いいですかイズミさん、機能性はもちろん大事ですけど、全体のシルエットと色合わせを外したら台無しです!」
「素晴らしいです、結愛ちゃん! さすがの美意識! 網膜データから最適なカラーバリエーションをピックアップいたします!」
レディースコーナーのハンガーを素早く滑らせ、自らのイメージカラーと愛車の配色に合わせたジャージ類を次々とピックアップしていく。手際よく数点を抱えると、結愛は逃げ込むように試着室のカーテンを閉めた。
数分後。
「……あの、着替えてみましたけど……」
試着室から出てきた結愛の姿に、腕組みをして待っていた健矢は思わず小さく目を見開いた。
トップスのフィット感、肩周りのカット、そして色使いの妙。スポーティーでありながら洗練されたラインが見事に表現されている。
「……ほう。なかなかサマになってるじゃねぇか」
健矢の呟きに、結愛の脳内で管理AIのイズミが大興奮の声をあげる。
「素晴らしいです、結愛ちゃん! アイドルとしてのプロ意識と元受付嬢のセンスが見事に融合しています! ビジュアル、完璧ですよ!」
「ですよね! 上は……上はすっごく完璧なんですけど……!」
褒められたはずの結愛だったが、なぜかその顔は赤くなり、姿見の前でモジモジと下半身を隠すように腰をすくめた。
「うぅ……やっぱりこの下半身のピチピチ感……! なんだか海女さんか、二〇世紀末のスクール水着みたいになっちゃうの、なんとかなりませんか!?」
レーサーパンツ特有の、身体のラインが露骨に出るシルエット。前傾姿勢をとればお尻や股関節周辺の形が嫌でもはっきりと浮き彫りになる。年頃の女性として、そして大勢のファンに配信を見せるアイドルとして、これだけはどうしても譲れない一線だった。
悶絶して顔を覆う結愛の姿に、健矢は「やれやれ」と小さく頭をかいた。
「おい、大将。ここに『サイクルスカート』の在庫ってあったか?」
奥のカウンターでウエスを手に作業していた中嶋が、苦々しい顔で振り返る。
「あぁ? サイクルスカートだ? ペダリングに直接関係ねぇヒラヒラした布切れなんぞ……と思ってやがるな?ところがぎっちょん!ちゃんと女子用のやつを奥に置いてあるんだわ」
中嶋が棚の奥から出してきたのは、超軽量で伸縮性の高い特殊素材で作られた、コンパクトな黒のミニスカートだった。
「ほらよ。レーサーパンツの上から腰に巻くだけだ。ペダリングの邪魔にならねぇよう、丈もスリットも専用設計になってる」
「えっ……こんなのがあるんですか!?」
結愛はすがるような思いでそれを受け取ると、再び試着室へと飛び込んだ。
そして──。
「……どう、でしょうか……?」
再登場した結愛の姿に、店内の一角が一瞬でパッと華やいだ。
ピチピチだった腰回りがふんわりとしたスカートで上品にカバーされ、スポーティーさと圧倒的な可愛らしさが完璧に同居した「ロードバイク女子スタイル」が完成していた。
「わぁっ……! すごい、お尻のラインが全然気にならない! 軽く足を開いても全然突っ張らないし、すごく動きやすいです!」
姿見の前でくるりと一回転した結愛の表情に、パッと明るい笑顔が戻る。
「きゃーーっ! 結愛ちゃん、めちゃくちゃ可愛いです! 完璧です! これなら配信のカメラ写りも300%UPですよ!」
イズミが大興奮でホログラムの仮想シャッターを連写する。
そこへ、健矢の視界から冷徹なシオンの音声が割り込んだ。
『補足いたします。サイクルスカート着用による空気抵抗の増加率はわずか0・8%未満。それに対し、結愛氏の精神的ストレス軽減およびパフォーマンス向上率は約35%と試算されます。極めて合理的な選択です』
健矢はフッと鼻で笑うと、照れくさそうに視線を逸らした。
「……フン。見た目ばっかり気にしてんじゃねぇよ。だがまあ……さっきの海女さんよりは、100倍マシだな」
ぶっきらぼうながらも確実な褒め言葉に、結愛はパッと表情を輝かせた。
「ふぅ〜! これで全身完璧ですね! 服も着たし、ヘルメットも被ったし……いよいよ公道へ出発ですか!?」
晴れやかな笑顔で万歳をする結愛。
だが、健矢の冷ややかな視線が、その浮かれ気分を瞬時に叩き落とした。
「服を着てメットを被っただけでロードバイクに乗れると思ってんのか? お前が乗るのはただのママチャリじゃねぇんだぞ。公道を走るための『最低限の装備』がごっそり抜けてんだよ」
「は、最低限の装備……? だって、自転車も服もあるのに……?」
「自転車本体だけあっても、夜道で前が見えなきゃ一秒でドブに突っ込むし、パンクしたらその場で詰む。警察ドローンに補足されて切符切られて終わりだ」
健矢は顎で、店内の奥をしゃくってみせた。
そこには、眩いLEDライトやメカニカルなパーツ類、重厚な鍵や各種工具が壁一面にズラリと並んでいた。
「ライト、リアライト、鍵、ボトル、空気入れ、パンク修理キット……まだまだ揃えるもんは山ほどあるんだよ」
先ほどまでの解放感と喜びが一瞬で吹き飛び、結愛の顔から血の気が引いていく。ヘルメット選びでの苦行と、股擦れの血だらけ怪談の記憶が、一気に脳裏をよぎったのだ。
健矢にトボトボと引き連れられ、大量に吊り下げられたフロントライトのパッケージの前までやってきた結愛。
彼女は完全にげんなりとした、力のないジト目で健矢を見上げた。




