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VRドームの家畜になり損ねた30代独身カフェマスター、心拍数188の限界突破ドライブが全世界に生配信され、愛車のペダリングデータだけで国家予算級のおちんぎんを稼いでしまう  作者: 蒼波8
第10章:【西陣の小さな青空と、明日のスプリント】

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閑話④:【シオンのディストピア京都観光案内】

時は少し遡る。


行政AIのドロイド軍団が去り、一時的な緊張状態が解除された直後。主を失っていた二件の古い町家の改装手続きが済み、健矢の個人口座へ天文学的な配信クレジットが割り振られ、財産の整理整頓がひとまず「とりあえずは」完了したタイミングの話である。


西陣のブックカフェ『アルカディア』のカウンターで、健矢は淹れたての珈琲を前にようやく一息ついていた。難を逃れたはずのこの街を見渡し、ふと、ある疑問が口を衝いて出る。


「なぁシオン。財産の手続きをしていて思ったんだが……そもそも、なんでこの西陣の町家や昭和まる出しルックのあのボロアパートみたいな『前時代の遺物』が、行政AIのスクラップに遭わずに残置されてるんだ? 俺は自分のことで手一杯で、外の世界がどうなってるのかろくに知らねえんだよ」


スマートコンパクトシティへの急進的な移行により、人間は次々とドーム都市のカプセルへと集積されているはずだった。


健矢の問いに対し、傍らに佇むシオンの物理端末が、静かにカメラアイを明滅させて網膜VRに京都全域の3Dホログラムマップを展開した。


『マスターがご自身のペダル効率と牛の方の球団以外に関心を持たれたのは喜ばしいことです。それでは、現在の「ディストピア京都」の土地利用と生存構造について、観光案内を兼ねて解説いたします』


シオンはホログラムの北野天満宮や西陣周辺をピンポイントで拡大した。


『まず、マスターの店舗や昭和時代のアパート群が残されている理由ですが、これらは国連および行政AIによって指定された【一級景観遺跡ゾーン】に該当するためです。歴史的価値のある神社仏閣や、それを囲む町家ブロックは「人類の文化的バッファ」として強制解体を免れています。ただし──』


シオンはマップの色を、西陣から少し離れた一般住宅地へと切り替えた。そこは薄暗いグレーに塗り潰されている。


『景観保護の網から外れた一般の住宅地は、悲惨の一言です。住人がドームのカプセルに収容された後、土地はすべて行政に接収され、現在はスマートシティのデータセンターや、自動ドローンの中継基地、あるいは太陽光パネルの敷き詰められた無機質な「基盤用地」へと姿を変えています。


人の気配が消えた近隣の空き町家については、今回のように特異サンプル──すなわちマスターのような存在の監視用予備物件や、システム側の実験的居住区としてプールされているのが現状です』


「なるほどな……。歴史がある場所だけが剥製みたいに残されて、他は全部ドームの養分になったわけか」


健矢は苦い珈琲を飲み下す。大衆の人生や余生がVRメタバース空間で完結するこの時代の「観光」とは、網膜VR越しにこの無菌室のような遺跡を眺める電脳旅行が主流なのだ。


「じゃあ、祇園祭はどうなったんだ? あんな生身の人間が密集する最大の祭りなんざ行政AIのシステムが真っ先に禁止しそうなもんだが」


『そこが、現在の京都における最大の「バグ」であり、最も力強い抵抗の場です』


シオンの音声に、わずかながらの感嘆のログが混じる。画面には、巨大な山鉾のホログラムが映し出された。


『結論から申し上げますと、祇園祭は今も力強く生身で行われています。鉾町(ほこまち)の頑健な町衆たちは結束し、「伝統文化という観光資源の保護」を大義名分として盾に掲げ、行政AIから驚異的な自治権をもぎ取りました。彼らが提示した妥協案はただ一つ──【定年75歳でのドーム行きを受け入れる代わりに、それまではこの街で生身で生活し、祭りを維持する】というものです』


「75歳までカプセル行きを猶予させる条件か……。文字通り命懸けで祭りを守ってやがるな」


『肯定します。【一級景観遺跡ゾーン】の件もありますから、行政AI側も、完全に文化を根絶すると人類側の精神反発値が閾値を超えるため、この取引を承認せざるを得ませんでした。現在も彼らは鉾町で力強く生活し、山鉾を建てています。


もちろん、我々のようなフィジカルAIによる重量計算や構造補強の補助は導入されていますが、祭事そのものへのAI介入率は【30%以下】に厳格に制限されています。縄の縛り方、木組み、そしてお囃子に至るまで、70歳を超えた老人たちまでもが現役で泥臭く汗をかき、時代に技術を継承させ、生身のプライドだけであの巨大な構造物を動かしているのです。


カリキュラムはかなり特化仕様へと変わるものの、旧制中学校および旧制高等学校廃止の件もこの地域に限っては300年の猶予が設けられたのも特徴ですね。』


シオンの説明を聞きながら、健矢は窓の外の静まり返った西陣の夜空を見上げた。

人間を効率的に陳列し、無痛の生存を提供するスマートシティ。


だがその合理性の檻の隙間で、75歳の限界まで生身の肉体を駆動させて山鉾を引く人々がいて、ランドナーですっ転びながら泥をすする結愛がいて、自分はF50のペダルを回し続けている。


「……皮肉だな。管理され尽くした世界だからこそ、生身で風を切ることの価値が跳ね上がってやがる」


『その通りです、マスター。これほど贅沢で歪なディストピア観光地は、世界中を探してもこの京都だけでしょう』


シオンは慇懃無礼に頭を下げ、ホログラムを静かに消去した。


『さあ、京都のディテールへの理解が深まったところで、明日のトレーニングの解像度も上げましょう。結愛氏の TED に課す大根の積載によるトレーニング効果を、さらに十パーセント上乗せするルートを再計算しました』


「おい、そこは効率化すんな」


皮肉なディストピアの現実を背負いながら、西陣の聖域は今夜も、奇妙な熱量を孕んで静かに更けていくのだった。

これにて『第1部』は終了となります。


明日からは第2部のスタートです!

楽しみにお待ちください!

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