閑話③:【快速仕様のチェレステ】
大根と古漬けの往復から、早くも一ヶ月が過ぎた頃。
管理AI『イズミ』は完全にカフェ『アルカディア』の風景の一つとして定着していたのだが、一つの問題が浮上していた。
今後も継続される結愛のリハビリや買い出しのたびに、シオンの愛車に設けられた極細のリアキャリアにイズミが彫刻のように直立不動で「積載」されて公道を爆走するのは色々な意味で酷だった。
流石にいくらなんでも物理的・計算的リソースの無駄であり、何より視覚的インパクトが強すぎて世論がザワつきすぎるというもの。
あの日の翌朝など、世界規模で腹直筋をやった重度の筋肉痛患者の大量発生が原因で都市機能が一時的にダウンした都市が複数箇所あった、なんてニュースを見て健矢も結愛も絶句していたのだ。
「システムの養分になりたい奴のことなんて知ったことか」などと思っている健矢ではあるが、積極的に迷惑をかけるとなると流石に申し訳なさのような感情も湧き出てくる。
「混乱に乗じて人間をAIの支配から解き放とう!」などという壮大な目標を抱くような青臭さなど払底しており、目の前でうず高く積み上がるクレジットを前に金銭感覚の崩壊を恐れ、必死こいて騙し騙し対応している小市民のおっさんでしかないのだ。
シオンもイズミも積極的に始末書じみたバグレポートを書きたい、などという性癖までは持ち合わせてなどいない。削れるリソースの無駄を削りたいのは、人間もAIも変わらないらしい。
『マスター、イズミ氏の移動効率および、我が愛車ミストのフレーム寿命を考慮すると、彼女専用のフィジカル端末用移動ユニット――すなわち「愛車」を導入するのが最も合理的であると判断します』
シオンのカメラアイが、どこか誇らしげに明滅する。ここ最近、シオンの中にもメカニックとしての、そしてサイクリストとしての「愛車精神」が確実に成熟しつつあった。
「……チッ、どいつもこいつもチャリチャリと。まぁそうと決まれば話は速い、さっさと行くぞ」
健矢はそう吐き捨てると、その日は夕方を待たずにカフェの看板を早々に裏返し、結愛とイズミ、そしてシオンを引き連れて『いつもの』馴染みのサイクルショップへと向かった。
◇
「ガハハ! なるほどな、そこのお嬢ちゃん専用の快速マシンか!」
店の奥から豪快な笑い声を響かせながら現れたのは、頑固一徹を絵に描いたような武骨な風貌の店主、中嶋了一だった。機械油の染み込んだエプロンを叩きながら、大将はイズミの金属繊維のプロポーションとサーボモーターの配置を鋭い目で見極める。
「お前らみたいな『重い』連中が乗るんだ、ヤワなフレームじゃ話にならねえ。だが、せっかくのべっぴんさんだ、ママチャリみてえな野暮ったい泥除けや鉄カゴなんか付けたら、イタリアの職人が泣いちまうからな」
そう言って大将がガレージの特等席から引っ張り出してきたのは、鮮やかなチェレステ(天空)カラーに彩られた一台のクロスバイクだった。
「これだ。Bianco ROMA 12。ロードバイク譲りの軽量アルミフレームに、走りを妥協しねえロード用コンポーネントを組んだ快速仕様だ。ディスクブレーキだから、お前らの超高精度な制動プロトコルにも完璧に応えてくれるぜ!」
無機質な店内のライトを反射して美しく輝くチェレステの車体を前に、イズミの瞳のライトがパチパチと高速で明滅した。彼女の演算回路が、ROMA 12のギヤ比とフレーム剛性を一瞬でシミュレーションする。
「……素晴らしい適合率です。フロントフォークのブレード形状も空気抵抗を極小化しており、私の巡航出力を無駄なく推進力に変換できます。気に入りました」
イズミはスッと滑らかな動作でハンドルを握り、通常モードの有能ボイスで満足げに告げた。だが、健矢はそのスタイリッシュな車体を凝視し、腕を組んで眉をひそめる。
「おい大将、これじゃ大根が載らねえだろ。フロントキャリアかリアキャリアを追加で――」
「アホなこと抜かしてんじゃねぇよ、健矢!」
大将は健矢の言葉を即座に一喝した。武骨な見た目とは裏腹にイタリアンバイクをこよなく愛する大将は、自転車の「美学とファッション性」に対して並々ならぬこだわりを持っていた。
「コイツの美しいフレームラインに鉄のキャリアなんか付けたら台無しだろ! キャリアなんかねえ方が絶対にカッコいいんだよ。おい、お嬢ちゃん」
大将はイズミに向き直り、ニヤリと不敵に笑った。
「大根や古漬けを運ぶなら、ここからちょっと鉾町の方へ足を延ばしてきな。あっちの老舗で、三澤あたりの帆布で作られたクラシカルな背嚢でも買って背負うといい。チェレステの快速クロスに、頑丈な京都の帆布リュックを背負った美女――くぅーっ、京都のストリートにこれ以上映える絵面はねえぞ!」
「なるほど。積載能力をフィジカルの背面に逃がし、車体の運動性能を担保しつつ、都市の景観に調和する……極めて合理的なファッション提案ですね。中嶋さん、そのプロトコルを採用します」
イズミは嬉しそうにROMA 12のサドル位置を調整し始め、横では結愛が「イズミちゃん、すっごく似合ってる!」とはしゃいでいる。
「……勝手にしろ。ただし、リュック代は自分で稼げよ」
健矢は呆れたように首を振ったが、チェレステの快速仕様を手に入れた新たな「居候」の姿に、心なしか口元を緩めていた。
「貴重な廃盤品だ、精々大事に小粋に乗り回してくれよ。」
「ありがとうございます!大将」
西陣の路地にまた一台、生身の美学とAIの計算が融合した美しい鉄馬が加わり、彼らの教習ロードはさらにその速度を上げていく。
現在、Biancoのモデルになったブランドにおけるクロスバイクのラインナップは、ROMAシリーズと対を成すシリーズの進化系に統合されて廃盤になったんですよね.....小説ではイキイキと活動してくれますように!




