閑話②:【閑話:帰ってきた昭和の残滓『スポ根』】
アニメやマンガの本場である日本においてすら、長らく歴史の砂底に埋もれて完全に死に絶えたとされていたジャンルがあった。
――通称『スポ根』。 理不尽な精神論、科学的根拠を無視した限界突破、そして汗と涙と泥にまみれた泥臭い勝利。それらはすべて、効率化と個人の尊重、そしてVRによる無痛の娯楽が極まったドーム都市の現代において「洗練されていない過去の遺物」として淘汰されたはずのものだった。
その消えたはずの炎が、西陣の片隅から突如として全世界の電脳空間へと再点火されたのだ。
きっかけは、結愛の地下アイドル時代からのコアなファンである、ドーム在住の一人の中年オタクの呟きだった。
『待てよ……俺たちは今、とんでもないものを見せられてるんじゃないか? これ、平成時代にいくつかリメイクされたドラマやアニメの手ぬるい表現すら完全に廃された、本物の、純度一〇〇%の「スポ根」の再来だろ……!』
その気付きを皮切りに、網膜VRのチャット欄の潮流がガラリと変わった。
【間違いない。『青き巨星』や『ナントカをねらえ!』の遺伝子だ!】
【ドローンに包囲されながらスクワットとか、令和や平成をすっ飛ばして昭和の香りがする】
【今の時代、どこのエンタメ探してもこんな泥臭いもの見られないぞ】
【もう二度と、リアルタイムでは観られないと思ってた……】
かつて一時代を築いた昭和の伝説的ジャンルの復活。その熱狂はドーム都市の若者層だけでなく、意外な場所へと飛び火して加速していった。ドームの各セクターに点在する、高度医療管理下の「高級老人ホーム」である。
システムによって完全に管理され、心拍数一つ乱すことを許されない退屈な余生を送っていた老人たちにとって、結愛が重力に引きちぎられそうになりながらペダルを回し、鬼コーチである健矢がそれを冷酷に突き放す生々しい映像は.......彼らの萎びかけていた魂に猛烈な電気ショックを与えた。
【これだよ! 人間はこうやって汗をかいて泥をすする生き物だったんだ!】
【カプセルの中の合成映像なんかじゃ涙は出ねえ。頑張れ、お嬢ちゃん!】
老人ホームの端末群から、かつてない規模の真っ赤なドネーション(電子金塊)の雨が降る。彼らにとって、それは単なるアイドルへの投げ銭などではない。それは、自分たちが確かに生きていた「生身の時代」そのものへの賛辞だった。
西陣の夜、ブックカフェ『アルカディア』のカウンター。 店じまいの時間、最後の客として静かに珈琲を飲み干し、魂のギターを店に託した老紳士──鈴木は、ゆっくりと網膜の個人端末を操作していた。
彼の肉体は現在、ドームの最高級ケアセクターにあるカプセルの中に横たわっているが、意識の同期レートを極限まで高めて、この西陣の「空気」を楽しんでいた。
「……ふぅ。ごちそうさま、マスター。今日も良い珈琲だった」
鈴木は立ち上がり、カウンターの向こうで『F50』のディレイラーを調整している健矢を見つめた。その穏やかな瞳には、懐かしさと、言葉に尽くせない感謝の念が宿っていた。
「こんな時代に、こんなにも熱いものが見られるなんてね……。本当に、長生きはするものだ。ありがとう、マスター。明日の大根の往復も、特等席で応援させてもらうよ」
鈴木がVR世界上に構築された格子戸を開けて夜の西陣へと消えていくと同時に、健矢の管理口座に『通知:匿名のアカウント(鈴木)より、特盛のスーパーチャットが着金しました』というシオンのアナウンスが流れた。
「チッ……年寄りを熱狂させて金をもぎ取る趣味はねえんだがな」
健矢は呆れたように呟いたが、工具を握る手は止めなかった。




