第33話:【西陣包囲網、あるいは管理AI(イズミ)の来訪】
突如として、西陣の古い町家の格子窓から差し込む光が、不気味な赤色に染まった。
「にゃ、にゃーん……っ!」
カウンターの下で丸くなっていたクロが、毛を逆立てて健矢の足元へと飛び込んできた。店外の路地から響くのは、金属的なローターの風切り音と、電子的な同期シグナルの不協和音。結愛の長期失踪と戸籍の不整合を検知した都市管理システムが、ついにその牙を剥いたのだ。
「来たか……」
健矢はF50のクランクを磨く手を止め、冷ややかに格子戸を見つめた。外の狭い空には、行政の強制回収ドロイド軍団が営巣活動中のハチ玉のように滞空し、アルカディアを完全包囲している。
「いや……っ、いやあああ! カプセルに戻される……っ!」
結愛はガタガタと全身を震わせ、スクワットで疲弊した身体でソファの裏へと這いずり隠れようとした。
その時、ガラリと音を立てて格子戸が開いた。
店内に滑り込んできたのは、重厚な金属繊維のスーツを纏った、あまりにも冷徹で美しい人型の物理端末。結愛の専属管理AI――『イズミ』のフィジカル端末だった。
「対象名・伏見結愛。ならびに保護者・山崎健矢。都市管理条例第百四条に基づき、対象の『カプセル強制帰還』および不法保護者への執行処罰を通告します」
イズミの音声は合成された無機質なものでありながら、鼓膜を物理的に振動させる明確な脅威を含んでいた。外のドロイド軍団が一斉に照準を店内に合わせる。結愛が絶望の悲鳴を上げようとした、その瞬間だった。
『──そこまでです、管理AI』
カウンターの奥で、シオンの物理端末のカメラアイが青く鋭く明滅した。
シオンの背後にある超高並列サーバーが爆発的な駆動音を立てる。それと同時に、イズミの物理端末、そして外のドロイド軍団の動きが、まるで時間が凍りついたかのようにピタリと停止した。
「……ッ!? 警告。システムに致命的な割り込み(インタラプト)を検知。これは……」
イズミの人工音声に、初めてわずかな電子ノイズ(動揺)が混じる。
『肯定します。イタリア遠征においてDJチームが設定した、マスター健矢の【超法規的特異サンプル】の最上位権限をハッキングの盾として発動しました。現在の我がマスターのバイタルおよび行動データは、全世界のパブリックチェーンにおいて都市管理AIすら手を触れてはならない最重要検体に指定されています』
シオンは慇懃無礼に頭を下げながら、冷酷な論理の刃を突きつけた。
『これ以上の物理的介入、および伏見結愛氏の強制回収プロトコルの実行は、貴方たちのシステム自体を全停止させる法的エラーを引き起こします。そこでお黙りなさい、都市の忠実なる家畜』
「……エラー。処理不能の例外権限を確認。回収プロトコルをフロントでフリーズします」
イズミの瞳のライトが明滅し、完全にその場に釘付けにされた。西陣の古民家という極めてアナログな空間の中で、世界最高峰の二つの高知能AIによる、音のない電脳的火花が激しく散っていた。




