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VRドームの家畜になり損ねた30代独身カフェマスター、心拍数188の限界突破ドライブが全世界に生配信され、愛車のペダリングデータだけで国家予算級のおちんぎんを稼いでしまう  作者: 蒼波8
第8章:カプセルから零れ落ちた人形

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第29話:【網膜の裏のシンデレラ】

健矢は意識を失いかけている結愛を横抱きにし、近くにあった無人の自動物流休憩所(無人トラックの待機所)の軒下へと滑り込んだ。外の冷たい海風を遮り、彼女をコンクリートの床に寝かせる。純白のPINARELLI F50をその横に立てかけ、健矢はジャージのポケットから補給用の高濃度クエン酸ジェルを取り出した。


「おい、これを少しずつ飲み込め。無理すんなよ」


結愛のひび割れた唇にジェルの吸い口を当て、慎重に流し込む。強烈な酸味と糖分が収縮した胃壁を刺激したのか、結愛は「う……っ……」とかすかな声を上げて拒絶するように頭を振ったが、喉は本能的にそれを嚥下した。


『マスター、応急処置を継続しつつ、彼女の網膜に残存するキャッシュログへのバックドア電子的介入(オーバーライド)を完了しました。――シリコンバレーの動画編集チームにもデータを共有します』


西陣からシオンの冷徹な声が響くと同時に健矢の網膜VRへ、結愛の脳が見ていた「世界の裏側」が濁流のように流れ込んできた。

それは、色彩だけが過剰に眩しいディストピアの縮図だった。


地下級のVRアイドル『ユア』

それが彼女の家畜としての名前だった。


スマートシティの底で、ファンの脳内報酬系(ドーパミン)を1ミリグラム単位で最適化するためだけに、彼女は24時間365日.........終わらない仮想空間のステージで踊らされ続けていた。

網膜に映る万雷の拍手と、天井から降ってくる無機質な電子の紙吹雪。


しかし現実の肉体は、堺の居住ドームのカプセルの中で生体ジェルに浸かり、配管から栄養を流し込まれながら.......ただ朽ちていくだけのシステムの一部。


『……おいおい、これだから管理都市のエンタメってのは安直で反吐が出るぜ』


網膜通信に割り込んできたのは、イタリアで健矢の心拍リミッターを解除したシリコンバレーのDJチームのエンジニア陣だった。


『生身の人間をただの「感情生成機」として使い潰す。効率的だが、反吐が出るほど退屈なクリエイティブだ』


「効率的、ねえ……」


健矢は結愛の細すぎる手足、血の気の引いた指先を見つめながら.......静かに、しかし深く憤っていた。


「もったいない使い方ぁしてやがる。せっかく生身の身体を持って生まれてきたってのに、こんな冷てえコンクリの上に放り出されるまで搾り取んのが、あいつらの言う最適化かよ」

「あ……う……」


糖分が脳に回ったのか、結愛の長い睫毛がかすかに震え、ゆっくりと瞼が開かれた。

焦点の定まらない虚ろな瞳が、最初に捉えたのは、休憩所の天井の錆びたボルト。そして次に、自分のすぐ目の前に跪く、泥と汗の匂いを微かにまとった「男」の姿だった。


カプセルの中の無菌室のような世界には存在しない、強烈な生の気配。日焼けした肌、浮き出た前腕の血管、そしてその奥に立つ.....圧倒的な威容を誇る純白のロードバイク。


「あ、なた……は……」


結愛の身体が恐怖でガタガタと震え出した。彼女の脳の網膜ログが、目の前の男の顔を照合し、警告アラートを鳴らす。


『KENYA──イタリア1,200kmブルベを心拍数150オーバーで走破した、西陣の狂犬』


データの海で見た、世界を熱狂させたあの本物の「狂犬」が、今、まさに目の前にいる。現実の海風の冷たさと、男の圧倒的な生体エネルギーの質量に押し潰されそうになりながら........結愛はただ怯えた人形のように身を縮めることしかできなかった。

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