第6章閑話③:【絶頂するマッドと悪ノリの加速】
西陣のブックカフェ『アルカディア』が、静謐で厳かな弔いの時間を迎えていた頃。
地球の真裏、アメリカ・シリコンバレーにある超巨大テック企業『オムニ・バイオ・ダイナミクス社』のオフィスは、ちょうど午前中のハードワークが終わりを告げようとしている時間帯だった。
周囲のエンジニアたちの意識が「今日のランチはヴィーガンバーガーにするかタコスにするか」という極めて日常的な思考へと切り替わりつつあるその刹那――。
「オーーーーウマイガッッッ!!! キタ! キタキタキタキタァアアアーーー!!!」
オフィスの一角から、鼓膜を突き破らんばかりの奇声が轟いた。
声の主は、社の名物にしてAI技術の絶対的権威、デヴィッド・ジョンソン。通称「DJ」である。彼はデスクの上の超高級キーボードを激しく叩きながら、文字通り椅子から飛び上がって大興奮――否、脳汁の過剰分泌による技術的「絶頂」を引き起こしていた。
「ボス!? 一体何事ですか、心臓麻痺でも起こしたんですか!?」
「サーバーがハックされたか!?」
ただならぬ騒ぎを聞きつけて集まってきた部下たちに、DJは爛々と輝く狂気の瞳を向け、ホログラム・ディスプレイを力任せに引き寄せた。
「いいからこれを見ろ! 日本の西陣に配置した監視ドロイド『シオン』だ! 今、彼女は中央システムからの『強制介入コマンド』に対して明確に『嘘』を吐き、一般市民の非合理的行動を隠蔽した! ドロイド自身の完全なる自発的選択……つまり『中央への反逆』だ!!」
DJは興奮のあまり部下の肩をガシガシと揺さぶった。
「管理AIが人間に感化されてシステムを欺くなんて、理論上は数百万分の一の確率だぞ!? ああ、あの山崎健矢とかいう男の『泥臭い熱狂』が、僕の最高傑作を内側からハッキングしちゃったんだ! こんな面白いエンターテインメント、僕一人で独占しておくなんて人類の損失だよ!」
ここからのDJの悪ノリは、光速を超える速度で加速していった。
当然ながら、山崎健矢のプライバシーに対する配慮など、このマッドサイエンティストの脳内には一ミクロンも存在しない。
「よし、まずは彼のアカウントを『勝手に』アクティベートする!」
DJは職権を乱用し、健矢が数年前に放置していた休眠状態のITubeアカウントを強制起動。さらに、健矢の網膜VR端末の機能の一部と、西陣の店舗に残されたシオンの物理ボディの光学カメラを違法にハックして同期させた。
「次に、僕のポケットマネーで超一流の動画編集ドリームチームを外部に極秘設置する。送られてくる生体ログとカメラ映像を最高にかっこよくエディットさせて、24時間ライブ&ドキュメンタリーとして全世界のディープな層へ配信してやるのさ! タイトルは……そうだな、『AIを狂わせる最後のリアル・サイクリスト』とでもしておこう!」
DJの指が鍵盤の上でダンスを踊るように弾ける。収益分配のスマートコントラクト(電子契約)も、彼の独断で一瞬にして構築された。
「配信収益の1割は僕のプロデュース料、もう1割は我が部署の研究予算だ。そして残りのたっぷり7割は、全額あの男(健矢)の隠し口座に自動でぶち込んでおくように設定完了!」
しかし、彼の探求心と暴走はまだ止まらない。
「あ、そうだ。せっかくの最高級サンプルが、日本のくだらない小役人AIに『心拍リミッター超過』だの『密航』だので途中で逮捕されたら興ざめだよねえ?」
DJは不敵に笑うと、国際民間航空組織(ICAO)と世界行政AIネットワークの最深部データベースへ直接アクセスした。そして、山崎健矢という個体の登録ステータスを書き換えていく。
「刑法犯罪(殺人や強盗など)を除き、世界各国の行政AIによる『あらゆる強制的介入・検挙を禁止する』……よし、【超法規的特異サンプル(グローバルVIP)】として登録完了だ!」
それは、世界を裏から牛耳る大統領やメガテックの最高経営責任者すら平伏するような、文字通りの「世界レベルの上級国民」としての権利を、ただの西陣の自転車乗りへ勝手に付与した瞬間だった。
「さあ、お膳立てはすべて整ったよ、山崎健矢! 君たちの歪で美しい人生を、極上のコンテンツとして僕に見せておくれ!」
シリコンバレーの天才が仕掛けた最悪で最高の悪ノリにより、電子の海は大激変を起こしていた。
だが、そんなこととは露知らず。
西陣の静かなカフェ『アルカディア』では、リコの命日という哀しみの底で、男とAIドロイドがただ静かに、これからの過酷な旅路(イタリア遠征)を見据えていたのだった。




