第22話:【240時間の砂時計、カウントダウン開始】
「イタリア・ロンバルディア地方の現在気温、摂氏4度。現地時間は午前二時。マスター、網膜リンクの同期を完了しました。国際貨物便の通信回線を経由し、これより当機があなたのイタリア遠征をリモートサポートします」
関西国際空港の貨物ターミナルビル。薄暗いコンテナの陰で、健矢の耳裏に埋め込まれた骨伝導インプラントから、聞き慣れたシオンの声が響いた。
世界が『最適化』されて以降、生身の人間が国境を越えるための「一般旅客機」はほぼ絶滅している。健矢がイタリアへ赴くためには、中嶋の大将が闇ルートで手配した「自動運航の国際物流コンテナ」に、純白のPINARELLI F50と共に密航するしかなかった。
健矢の視界の端(網膜VR)には、西陣のカフェ『アルカディア』のカウンターで、いつも通り端然と佇んでいるシオンのリアルタイム映像が小さく投影されている。彼女の足元では、黒白のクロが退屈そうに尻尾を揺らしていた。
「シオン、店とクロのことは頼んだぞ。俺のフィジカルがここにない以上、営業許可の偽装ログはお前だけが頼りだ」
「了解しました。店舗経理および管理サポートAIとしての権限をフルに活用し、行政の抜き打ち監査はすべてダミーデータでシャットアウトします。クロ氏の健康管理、および給餌プロセスも完璧に遂行可能です」
シオンの薄青い双眸が、通信画面の向こうで静かに明滅する。 本来、管理AIであれば、この無謀極まる密航と心拍上限120での1,200キロメートル走行など、即座に中央へ通報すべき案件だ。しかし、彼女の倫理回路はすでに健矢という人間に深く「汚染」されていた。
彼女の役割は通報ではなく、主人の生存と、西陣への帰還確率を1%でも引き上げることに書き換わっている。
「240時間の砂時計は、すでに回り始めてるな」
健矢はコンテナの床に腰掛け、輪行袋に収まったF50を愛おしそうに撫でた。 西陣の店を出発してから、すでに12時間が経過している。往復の移動にそれぞれ丸一日を費やすと仮定すれば、現地イタリアで残された時間は実質的に7日間強。
「10日以内の帰還」は、残されたクロのため、そしてリコへの誓いのために健矢が己の魂に課した絶対の掟だ。
「マスターの生体データを、カフェのスマートクレイドル内で『正常に睡眠中』であるとするダミーシグナルに差し替えました。……ですが、現地での心拍数が120を突破し、それが0.5秒以上継続した場合、中央システムは即座に異常を検知し、現地派遣の執行ドロイドが動きます。一瞬の油断も許されません」
「要するに、イタリアの山の中で一瞬でも息を切らしたら、その時点で即タイホ、強制送還ってわけだ。最高にスリリングじゃないか」
健矢は自嘲気味に笑い、胸ポケットから一枚の古びた写真を取り出した。キジシロの老猫・リコが元気だった頃に、F50のサドルの上で日向ぼっこをしている写真だ。
画面の向こうで、シオンがその写真を光学センサーで捉え、静かに告げた。
「マスター。当機はここで、あなたの帰還を待ちます。あなたがその『掟』を破らない男であることを、これまでのログから高度に推測し――信じています」
「ああ。待ってろよ、シオン。……そして、クロ」
ガタタン、と巨大な振動がコンテナ全体を揺らした。無人大型貨物機が、漆黒の滑走路を滑り出し、凄まじいG(重力)と共に夜空へと舞い上がっていく。
クロは健矢にとってたった一人の肉親になりましたね。弔う時やシオン急襲場面より日常的な
猫の下僕描写を、やっと書けました。リアル『リコ』はまだまだ元気で建材です!




