第七話 何でもしてくれない人を、好きになった
それから、キャロルとアーネストは少しずつ会うようになった。
最初から特別な約束をしていたわけではない。クラリスを交えた食事会で顔を合わせることもあれば、キャロルがお菓子の店や新しい展示会を見つけて誘うこともある。
アーネストの方から、
「来週、王立美術館で新しい展示が始まるそうですが、興味はありますか?」
と声をかけてくれることもあった。
そんな日は、キャロルの機嫌が少しよくなった。本人は気づいていなかったけれど、エレンにはとっくに知られていた。
「今日はお出かけでございますか?」
「ええ」
「アーネスト様と?」
鏡の前で耳飾りを選んでいたキャロルの手が止まる。
「……どうして分かったの?」
「先ほどから三度も耳飾りを替えていらっしゃいますので」
「三度くらい普通でしょう?」
「クラリス様とお会いになる日は、一度でお決めになります」
「そうだったかしら?」
「はい」
エレンは淡々としている。
キャロルは鏡の中の自分を見た。
淡い青の石。真珠。小さな金細工。
「ねえ、どれがいいと思う?」
「アーネスト様にお尋ねになってはいかがです?」
「もう、エレンったら」
からかわれている。
そう気づいて、キャロルは唇を尖らせた。
結局、淡い青の石を選んだ。
以前なら、誰かに綺麗だと思われるために装うことは当たり前だった。今も綺麗に見られたいことに変わりはない。
ただ。
今日はなぜか、アーネストに気づいてほしいと思った。
◇
「髪型、変えました?」
待ち合わせ場所で会ってすぐ、アーネストが言った。
「分かるの?」
「いつもより少し上げていますよね」
「ええ」
今日は髪の一部を編み込み、いつもより首元が見えるように結ってもらっていた。
「意外だわ」
「何がです?」
「あなた、そういうことに気づかない人だと思ってた」
「ずいぶんな評価ですね」
「だって、お洋服にも宝石にも興味がなさそうだもの」
「自分で身につけるものには、それほど」
「じゃあ、どうして気づいたの?」
何気なく尋ねると、アーネストが一瞬だけ黙った。
「……よく目に入るので」
「私が?」
「ええ」
あまりにも自然に答えられて、今度はキャロルの方が黙った。
「それって、よく見ているってこと?」
「まあ、そういうことですね」
「……そう」
アーネストは何事もなかったように歩き出す。キャロルもその隣へ並んだ。
確かに、それだけのことかもしれない。
それなのに、妙にその言葉が耳に残った。
「今日の耳飾りも似合っていますよ」
「それも気づいたの?」
「ええ」
「……今日はどうしたの?」
「褒めてはいけませんか?」
「いけなくないけれど」
嬉しい。
素直にそう思った。
「もっと褒めてもいいのよ」
「調子に乗りましたね」
「せっかくなら聞いておきたいもの」
アーネストが小さく笑う。
キャロルもつられて笑った。
もちろん、会うようになったからといって、アーネストが何でもキャロルに合わせるようになったわけではない。
「アーネスト様。今度の木曜日、絵画展へ行かない?」
「木曜日は無理です」
「また?」
「また、とは?」
「この前も断ったでしょう?」
「その前はご一緒しましたよ」
「そうだったかしら」
「忘れたんですか?」
アーネストが呆れたように言う。
キャロルは少し考え、
「……行ったわね」
「行きました」
「でも、今回は来られないのね」
「はい」
「仕事?」
「ええ。そのあとも先約があります」
キャロルは少し残念だった。木曜日に一緒に行けたらいいと思っていたからだ。
「そう。それなら仕方ないわね」
口にしてから、自分で少し驚いた。
昔なら。
――その予定、変えられないの?
くらいは聞いていたかもしれない。
アーネストは何も気づいていない様子で、
「土曜日なら空いています」
と言った。
「絵画展、土曜日もやっているかしら?」
「ええ、やっているはずです」
「それなら、その日にしましょう」
「分かりました」
それだけだった。
木曜日に断られたからといって、二人の関係が変わるわけではない。土曜日になれば、約束どおり会える。
そう思えることが、キャロルには不思議なくらい心地よかった。
◇
「それの柄はやめた方がいいと思います」
アーネストにそう言われたのは、ある日の午後だった。
二人は王都の喫茶店で向かい合っていた。キャロルは最近、自宅の客間を少し模様替えしようと思っている。
商品のカタログを見ながら、その話をしている途中だった。
「どうして?」
「その絨毯は客間には派手すぎます」
「でも綺麗なのよ」
「綺麗なのは認めます」
「でしょう?」
「でも、今の壁紙とは合わないでしょう」
「そこまで見ていたの?」
「以前伺ったときに」
キャロルは少し意外だった。
「あなた、本当に意外と細かいところを見ているのね」
「人の家をじろじろ見ていたわけではありませんよ」
「分かってるわ」
キャロルは紅茶を飲む。
「でも私は気に入っているの」
「なら、買えばいいんじゃないですか」
「さっきは、やめた方がいいって言ったじゃない」
「私なら選ばない、というだけです」
「私が買うのは止めないの?」
「なぜ止めるんです?」
キャロルは目を瞬いた。
「だって、うちの壁には合わないと思っているのでしょう?」
「キャロル様の家です。毎日そこで暮らすのはあなたでしょう」
「それはそうだけど」
「私の好みに合わせる必要はありません」
キャロルは黙った。
ローレンスならどう言っただろう。
必要ない。
今あるもので十分だ。
好きにすればいい。
そんな言葉が頭をよぎる。
アーネストの言っていることも、結局は「好きにすればいい」なのかもしれない。
なのに。
まるで違って聞こえた。
「……変なの」
「何がです?」
「あなた」
「またですか」
「反対するくせに、止めないんだもの」
「意見を聞かれたので答えただけですよ」
「私が買ったら?」
「次に伺ったときに見てさしあげます」
「それだけ?」
「キャロル様が気に入っているなら、それでいいと思います」
「やっぱり部屋に合っていなくても?」
「そのときは、やっぱり合いませんでしたねって言ってさしあげます」
「もう」
キャロルは思わず笑った。
「本当に容赦がないわね」
「嘘を言ってほしいんですか?」
「時と場合によっては」
「考えておきます」
「絶対考える気ないでしょう」
アーネストも笑う。
こんなふうに意見が違っても、嫌われたとは思わない。アーネストが自分を否定したとも思わない。
ただ、彼は彼の考えを言った。
自分は自分で決めればいい。
それだけだった。
その週。
キャロルは結局、その絨毯を買わなかった。アーネストに反対されたからではない。
家へ帰ってもう一度客間を見てみたら、本当に壁紙と合わない気がしてきたからだ。
代わりに、少し落ち着いた色のものを自分で選んだ。
◇
一人暮らしにも、だいぶ慣れてきた。
毎月どれくらいお金がかかるのか。どこなら少し贅沢してもいいのか。何を我慢すると後悔するのか。
少しずつ分かるようになってきた。
もちろん、失敗もする。
「……高すぎたわ」
ある日。
キャロルは机の上の請求書を見ながら頭を抱えた。
「だから申し上げたではありませんか」
エレンが少し呆れた顔をする。
「分かってるわよ」
原因は、新しく買った食器だった。
職人が一点ずつ絵付けしたもので、店で見た瞬間に気に入った。値段も確認した。
確認したのだが。
お皿だけではなく、ティーカップも。ティーカップを買うならポットも。どうせなら一式揃えたい。
そうして注文した結果、思っていた以上の額になった。
「一つずつの金額は分かっていたのよ」
「はい」
「でも、全部足したらこんなになるなんて」
「足し算でございますね」
「エレン」
「はい」
「今、少し馬鹿にしたでしょう?」
「いいえ」
絶対に嘘だ。
キャロルは請求書をもう一度見る。
「今月、何を減らせばいい?」
「このままでも支払いはできます」
「でも、予定より使っているのでしょう?」
「はい」
「なら、どこか減らすわ」
「来週予定されているお食事会の衣装は?」
「あれは必要よ」
「新しい髪飾りは?」
「……なくても死なないわね」
「では、そちらを」
「でも欲しかったのよ」
「来月でも買えます」
キャロルは名残惜しく思いながらも頷いた。
「そうね。来月になっても欲しかったら買うわ」
「それがよろしいかと」
キャロルは請求書を閉じた。
少し悔しい。
でも、自分で選んで、自分で決めた。
そのことには、以前よりずっと慣れてきた。
そんなある日。
アーネストと街を歩いていると、キャロルは以前見かけた宝石店の前で足を止めた。
「あ」
「どうしました?」
「あの腕輪」
離婚したばかりの頃、クラリスと見た、細い金の腕輪だった。
中央に小さな青い石が一つついている。まだ店のウィンドウに飾られていた。
「以前から気になっていたものですか?」
「ええ」
「買わないんですか?」
キャロルは少し考えた。
「今月は食器を買いすぎたから」
「食器?」
「それ以上は聞かないで」
「分かりました」
「来月まで残っていたら買おうと思って」
「そうですか」
アーネストは腕輪を眺めた。
「いや、キャロル様に似合いそうだなと思って」
キャロルは少し目を見開いた。
「……そう?」
「ええ」
「だったら、買ってくれてもいいのよ?」
冗談半分で言った。
アーネストは少し考えるような顔をする。
「嫌です」
「今、一瞬悩んだでしょう?」
「自分で買うと決めているのでしょう?」
「そうだけど」
「なら、来月まで待ってください」
「本当にあなたって融通が利かないわね」
「なんとでも」
「ふふ、仕方ない人ね」
キャロルは笑った。
けれど店を離れてからも、
――似合いそうだと思って。
その一言が、妙に胸に残った。
腕輪を買ってもらえなかったことより、自分に似合うと思ってくれたことの方が、ずっと嬉しかった。
以前とは少し違う。
そんな自分にも気づいた。
◇
数週間後。
キャロルの家で、小さな騒ぎが起きた。
「キャロル様」
玄関先でエレンに呼び止められる。
「何?」
「少し困ったことが」
裏手の水回りに不具合が出ていた。古い配管の一部が壊れ、台所の床まで水が広がっている。
「まあ……」
キャロルは濡れた床を見た。
「どうするの、これ」
「職人を呼んでおりますが、すぐには来られないそうで」
「いつ?」
「明日の午後になると」
「それまで水は?」
「一部止めなければなりません」
「困るわ」
「はい」
本当に困った。
侯爵邸にいた頃なら、こんなことを自分が知ることさえなかった。誰かが直し、誰かが片づけ、気づいた頃には元通りになっていただろう。
「ほかの職人は?」
「いくつか当たっておりますが、どこも立て込んでいるようで」
エレンも困っている。
キャロルは少し考えた。
父に頼めば、伯爵家の者を寄越してくれるかもしれない。クラリスの家へ相談してもいい。
そこまで考えて。
ふと、アーネストが以前、屋敷の修繕を頼んでいる職人の話をしていたことを思い出した。
「……聞いてみようかしら」
「どなたに?」
「アーネスト様に」
使いを出した。
頼んだのは、助けに来てほしいということではなかった。
――以前お話しされていた職人を教えていただけない?
そう書いた。
返事は思ったより早かった。
職人の名前と店の場所。
そして最後に、
――今から向かいます。
と書かれていた。
「え?」
キャロルは手紙を二度見した。
「お嬢様。どうかなさいましたか?」
「来るって」
「職人が?」
「アーネスト様が」
エレンが少しだけ笑った。
「何?」
「いいえ。よかったですね、お嬢様」
しばらくして、本当にアーネストが来た。
いつものきちんとした上着姿だったが、台所の状態を見るとすぐに袖口を折り返した。
「アーネスト様。どうして来てくださったの?」
「困っているんでしょう?」
「職人を教えてほしいって頼んだだけよ」
「知っています」
「なら――」
「その職人なら、私から話した方が早いので」
アーネストは濡れた床の近くへしゃがみ込む。
使用人から状況を聞きながら、床板や配管の周辺を確認している。
普段はきちんとした服装で、落ち着いて話している姿しか見たことがない。そんな彼が袖をまくり、濡れることも気にせず床へ膝をついている。
思っていたより腕がしっかりしていることに気づいて、キャロルは少しだけ戸惑った。
「キャロル様?」
「え?」
「何かありました?」
「何もないわ」
「そうですか」
キャロルは誤魔化すように、濡れた床へ視線を戻した。
アーネストが連絡した職人は、一時間ほどでやってきた。
水漏れを止め、翌日に本格的な修理をする段取りまで整えてくれた。
一段落した頃には、アーネストの袖口に少し水が染みていた。
「袖が濡れてるわ」
「少しだけなので、気にせず」
「着替えはないでしょう?」
「これくらいなら、すぐに乾きますよ」
キャロルはハンカチを取り出した。
「貸して」
「何を?」
「腕」
アーネストが少し目を瞬いた。
「拭くから」
「自分でできます」
「いいから」
「キャロル様」
「今日くらいは言うことを聞いて」
半ば強引に腕を取る。
袖口についた水をハンカチで押さえていると、アーネストがわずかに身じろぎした。
「もう十分ですよ」
そこでようやく、自分が彼の腕を取ったままだったことに気づいた。
「あ……ごめんなさい」
キャロルが手を離す。
「謝ることではありませんよ。ありがとうございました」
「……どういたしまして」
妙に居心地が悪くなって、キャロルは使ったハンカチを畳んだ。
客間へ移り、お茶を出してもらった。
「本当に助かったわ」
「それはよかった」
「でも、あなた今日予定は?」
「ありました」
キャロルは目を見開いた。
「じゃあ、来なくてもよかったのに」
「変更できる予定だったので」
「わざわざ変更したの?」
「ええ」
キャロルは黙った。
昔なら。
嬉しくて仕方なかっただろう。
自分のために予定を変えてくれた。自分を選んでくれた。
愛されている証拠のように感じたはずだ。
けれど今は。
「……無理してない?」
自然に、そう聞いていた。
アーネストが少し目を丸くする。
「していませんよ」
「本当に?」
「本当に」
「大事な予定だったなら、来なくてもよかったのよ」
「大事ではありました」
「だったら――」
「でも、必ず今日でなければならない予定ではありませんでした」
アーネストは穏やかに言う。
「あなたが困っていることの方が、今日中に対応した方がいいと思った。それだけです」
「……それだけ?」
「はい」
「私だから、じゃなくて?」
言ってから。
キャロルはしまったと思った。
昔の自分なら、ここから愛情を確かめようとした。
――私だから来たの?
――私の方が大事だったの?
そんなふうに。
「ごめんなさい。今のは――」
「キャロル様だからですよ」
言葉を重ねられて、キャロルは止まった。
「知人なら誰でも予定を変えて駆けつけるほど、私は親切ではありません」
「……そうなの?」
「意外ですか?」
「少し」
アーネストが笑う。
「あなたが困っていると分かったから来ました」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
それ以上、確かめたいとは思わなかった。
帰り際。
キャロルは玄関までアーネストを見送った。
「今日は本当にありがとう」
「お礼はこれで三回目です」
「何度言ってもいいでしょう?」
「お好きなように」
「あなた、そういうところ可愛くないわね」
「知っています」
「でも」
キャロルはふと笑った。
「今日は少し格好よかったわ」
アーネストが止まった。
言ってから、キャロルも少し恥ずかしくなる。
「……今のは忘れて」
「無理です」
「どうして?」
「せっかく褒めてもらったので」
「だからって」
「覚えておきます」
いつものように淡々と答えている。
けれど、ほんの少しだけ耳が赤い。
「アーネスト様」
「何です?」
「もしかして、照れてる?」
「いいえ」
「嘘」
「では、失礼します」
「逃げた」
「帰るだけです」
アーネストはさっさと玄関の階段を下りていく。
その背中を見送りながら、キャロルは笑った。
あの人でも照れるのだ。
それがなんだか、とても嬉しかった。
◇
「それは恋じゃないの?」
数日後。
クラリスにあっさり言われ、キャロルは固まった。
「何が?」
「アーネスト様のことでしょう?」
「どうしてそうなるのよ」
「だって、ここへ来てからずっとその人の話をしているもの」
「そんなことないわ」
「お菓子の店の話。絵画展の話。腕輪の話。水漏れの話」
「……結構話してるわね」
キャロルは紅茶を飲む。
「ただ、最近よく会うから」
「そう」
「話すことが多いだけよ」
「そう」
「その顔やめて」
「何も言ってないでしょう?」
「言ってるのと同じよ」
クラリスは楽しそうに笑った。
キャロルは少し考える。
「でも、変なのよ」
「何が?」
「アーネスト様って、私の言うことをあまり聞いてくれないでしょう?」
「知らないわよ」
「誘っても予定があれば断るし、私と意見が違えば普通に反対するし」
「うん」
「欲しいものがあっても買ってくれない」
「それは普通じゃない?」
「……そうなの?」
「少なくとも、知り合った女性が腕輪を欲しがったからって、すぐ買う男性ばかりじゃないと思うわ」
「それもそうね」
「それで?」
クラリスが先を促す。
「なのに」
キャロルはカップへ視線を落とした。
「不安にならないの」
「アーネスト様といると?」
「ええ」
自分でも不思議だった。
「断られても、もう会ってくれないとは思わないし」
「うん」
「意見が違っても、私のことを嫌いなのかなって思わない」
「うん」
「約束したら来るし」
「そうね」
「困ったときには、頼んでいないのに来てくれたわ」
クラリスが少し笑った。
「嬉しかった?」
「……嬉しかったわ」
「じゃあ、やっぱり好きなんじゃない?」
「分からない」
キャロルは正直に答えた。
以前の恋とは、あまりにも違う。
ルイスを好きだったときは。
もっと会いたい。もっと自分を見てほしい。自分を一番にしてほしい。
そんな気持ちばかりが強かった。
ローレンスのときは。
何でもしてくれる彼といると安心した。この人なら自分をずっと大切にしてくれる。
そう思っていた。
でもアーネストには。
「……何かしてほしいと思わないわけじゃないのよ」
「うん」
「会いたいし、一緒に出かけたいし」
「うん」
「たまには贈り物だって欲しいわ」
「そこは変わらないのね」
「当たり前でしょう?」
二人で笑う。
キャロルは少し考えてから続けた。
「ただ、最近、あの人のことが妙に気になるの」
「気になる?」
「会えると嬉しいし、会えないと少し残念だし。この間なんて、格好いいなんて思ってしまったわ」
「それ、好きなんじゃない?」
「……やっぱり?」
クラリスが呆れたように笑う。
「私に聞くこと?」
「だって、今までの恋と全然違うんだもの」
キャロルは少し考える。
「それにね。会えない日があっても、この人なら大丈夫って思えるの」
クラリスの表情が少し柔らかくなった。
「それ、いいことなんじゃない?」
「そうなのかしら」
「ええ。少なくとも、今のあなた、前よりずっと穏やかに見えるわ」
キャロルは黙った。
確かに。
アーネストと会うようになってから、相手の気持ちを何度も確かめようとは思わなかった。
今日は断られた。
でも、次に会う約束はできる。
自分の意見に賛成しなかった。
でも、話は最後まで聞いてくれた。
何かを買ってくれなかった。
でも、自分に似合うと思ったことは言ってくれた。
「……なんだか、気持ちがとっても楽」
「でしょう?」
「恋って、もっと苦しいものだと思っていたわ」
「誰に教わったのよ」
「私の経験」
「参考にならないわね」
「失礼ね」
キャロルは笑った。
その日の夜。
一人になってから、キャロルはアーネストのことを思い出した。
髪型が変わったことに気づいてくれた。腕輪が似合いそうだと言ってくれた。水漏れの知らせを受けて来てくれた。
そして。
――キャロル様だからですよ。
「……ずるいわね」
何でもしてくれる人ではない。
むしろ、かなりしてくれない。
断るし。
反対もするし。
融通も利かない。
なのに。
会えると嬉しい。
何かあれば話したくなる。
次に会う日が待ち遠しい。
そこまで考えて、キャロルはようやく認めた。
「……私、あの人が好きなのね」
声に出してみる。
少し恥ずかしい。
でも、それ以上に嬉しかった。
誰かが自分をどれだけ好きなのかを確かめてから始まる恋ではない。
自分の方から。
この人が好きだと思えた。
それが、キャロルには何より新しかった。




