◯潜入捜査をします。
「よし、落ち着いたか?」
夕暮れ西日が差す監察官居室で、いつの間にかおじさんになっているユキが優しく訊ねる。黙っているが笑顔で頷くティオ。
「さっきこれから考えるって言ってたけど、そんなに時間はないやわ」
そう言って、ユキはホログラムを立ち上げる。今から少し説明するわ。
実はチャンスが転がってきてるんやわ。それは何か。
先日ある薬物の売人が繁華街で公務執行妨害で捕まったんや、あろう事かエリに手を出そうとしてな。アホやろ。
で、そいつがナニモンなのかって言う話やけど、そいつが扱っているモノっていうのが、実は、黒鳥会直系のある組の幹部の妾に直接卸てるって言う話やってん。その組が都合ええことに、例のエマに似た女の組やねんな。つまりな、そこへ直接卸す”枠”が空いたねんな、これを利用せん手はない。
その妾さんな、最近姿見てないねん。でも、取引量も銘柄も変えてない、だから誰かが代わりにやってるねん、これはチャンスやと思って良い。妾さんがそのエマに似た女に入れ替わったのかも知れへんし。
せやから、ティオ、お前試しに行ってみるか?ぱちっと目だけ見て急いで逃げてこればええからな。網膜の分析なんかそうそう簡単にできるもんじゃない。だからこれができるのはティオ、お前さんだけよ。
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「いや、ほんまそれっぽいな」
ユキが驚いている。
清楚系KPOPアイドルが非地雷系陰キャ女子大生の振りしてる役満スタイルみたいな格好しているティオではなく、ちょっとハイクラスを相手にしてる薬物の売人になったティオがいる。
おさげは解いて、ラフなウェーブ、ノーメイクだった顔は、紫系シャドウ、濃いめのリップ、瞳はやや濁った紫のカラーコンタクト、チョーカーと金の片耳ピアス。
トレードマークの灰色トレーナー、ミニスカ、ニーソは、黒のショート丈ジャケット、紫のラメ入りタンクトップ、黒スキニーパンツ、足元はヒールブーツとなっている。
黒のクラッチバッグ、スマホをバッグの外ポケットに挿してある、捕まったチャラチャラヘラヘラより良いモノを持ってそうな、女性の薬の売人がそこにはいた。怪我については化粧と前髪で誤魔化している。ティオはギロっとした目を向けてくる。
「は?当たり前だし」
え?口調までいけるの?メモリーから架空の人格でも引っこ抜いたんやろか。
「でもそれはギャルっぽいな」
軽く抗議する。なんでも良いとは思うけどこれは流石にあかんやろ。
「は?あーしに意見するっての?」
そりゃ意見するさ。ざっくりと言葉にして説明する。
「それは完全に路線がちゃいますよ」
拗ねた顔も女子高生じゃないんだから、メモリーの組み合わせ間違えたな、コイツ。
「えー、おじさん細かいー」
じゃー変えるねー。とかなんとかいってから大袈裟に咳払いするティオ。
「これならどうだろうか」
低く抑揚を効かせた声、薬は売るが自分はやらない、強さがある。
「悪くないね」
最初からやればええのにこのポンコツはほんま。まぁええか。
「そう、良かった」
ドヤ顔ってどこで覚えてくるんやろか。
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ピアスに仕込んだ骨伝導イヤホンを頼りに、夜の繁華街を進む。剥き出しの敵意、値踏みする様な目線、アルコールに溺れた現実逃避と上機嫌。カオスだ、そう感じながら歩く。
エリに手を出した密売人の縄張りは意外に大きかったらしく、すでに何人かの他の売人によってその縄張りが荒らされていた様だった。
ただ、彼が持っていた特注を卸すやつはいない様だ。アイツの代わりか、そうじゃないか、アレはあるのか。と。彼の常連とも言える人間が話しかけて来た。ただこいつは本命ではない。
「すまないが、卸す相手は決まっている」
相手が、静かに苛立つのがわかる、すかさず。
「ちゃんと取っておく、初対面同士の挨拶だ、サービスするから」
別のことも想像したのか、上機嫌で去っていく。
「あら?あの子はどうしたの?」
影から声がする。振り返ったティオは驚愕する。神がいるなら、感謝すべきかそうでないのかと迷うレベルだ。そこにはサングラスをした写真の女がいた。街の明かりとその影のせいで顔の半分くらいしか見えないが、間違いない。エマのような顔立ちの女だった。
こんなに早く、しかも目の前に、順番もへったくれもない。混乱する。そうだまず連絡だ。そう思いピアスからの音声を確認する。最悪だ。ピアスからの音声も聞こえない。
そして自分の間抜けさに愕然とする。完全に失念していた。エマの音声データを持ち合わせていない。この声はなんだ?声質はエリに近い様な気がするが、だからといって断定できない。しまった。
「そうだ。ぁ、アイツがヘマをしたからな、詫びも兼ねて」
とにかく言葉を絞り出す。これが虚勢というものか。声は震えてないか?意図は伝わったか?バレてないか?
「そう、なら良いわ、ずいぶんと気前がいいのね」
見せてもらうわ。と、薬を引ったくられて、舐め回すように見られる。女の動作全てが気になる、情報の取捨選択ができない。肝心の瞳はサングラスの向こう側だ。
「ずいぶんと大胆なのね、初対面同士だって言うのに」
ティオの身なりの確認を終えて、女は薬を吟味する。薬を不用心に高く上げて、サングラスに手をかける。頼むそのまま取ってくれ。
サングラスを取る、青い瞳、それを凝視する。瞳の網膜パターンを解析する。
…違う。別人だ。
「あら、貴方ずいぶん可愛いじゃない、貴方も味見していいかしら?」
気がついたら女の顔は目の前にあった、思わず右足を半歩引いて仰け反る。
息がかかる。気持ち悪い。でも焦るな、目標は達せられた。逃げてしまおう。そう思ったが、自分の中に変な欲が出る。なぜこの女はエマの格好を?その理由まで達せられれば、皆の役にたつ。そんな欲望と言って差し支えない何かが踵を返す身体を押し留める。
固まっているように見える自分に対して、女の手が伸びる、怖がるな。震えるな。相手の右手が首筋に触れる、左手は自分の右腕を触れる、二の腕、上腕と伝って肩まで上がってくる。優しい触れ方のはずなのに、気持ち悪い。嫌悪感。害を感じる。蝕まれる感じ。
でも。凝視しろ。こいつは何者か。自分は知る必要があるはずだ。顔が寄る、美しい顔だとは思うが、内面から溢れるものは歪なものだ。これが気配か。
目が合った。至近距離で。唇も触れそうだ、それはやだ。思考がオーバーフローする、理解ができない、自分の取るべき選択肢が浮かばない。
震えるな、虚勢を張れ、それっぽく振る舞え。でも、どうやって?頬同士が触れる、お互いのファンデーションが混ざり合い、その下にある地肌の湿っぽさを感じる、温かいはずだが気持ち悪い。耳に息がかかる。じっとりとした吐息。払い除けたいが嫌悪するな、表に出すな、これはチャンスだ。でもなんの?わかってからどうするの?どうやって逃げる?どうする?なぜ欲をかいた?目の前にいるこれはなんだ?
わからない。わからない。わからない。
「あら、案外ウブなのね、可愛いわ」
耳元で囁かれる、気持ち悪い。呼吸が荒くなる、吐く息の方が多い気がする。全身がぎっちり固まって自分の意思では動かせない。目線だけ相手に向ける。額のあたりは火照っているのに、首から下は寒気がする。感覚がない。震えすらわからない。なぜ自分がいま立っていられるのかすらわかない。
女は首筋に鼻を当てて大きく息を吸う。そして息を吐く。正直全く良い香りではない。
「あぁ。昂るわ、良いわ。あなた。味見だなんてどうでも良いわ。ここじゃないところでもっと良いことしましょう」
吐息が耳に改めてかかる。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。何も考えられない。
「でも、その前に」
女はティオの耳に噛みついた。痛いより何かが肉の中に入ってくる、その感覚と音が不快だった。なぜ自分にピアス穴が開いていたのかわからないが、そこからピアスが引きちぎられていく。
「ダメよぉ、こんな小細工」
よく聞こえなかったが、そんなニュアンスのセリフを吐いて血まみれのピアスを吐き出す。自分の血の色が赤でよかったと思った。ただそのわけのわからない安堵は、遅れてきた痛みに打ち消される。
「く、あっ、あ、あ…!」
さすがに身体が動くようになったので、女を突き飛ばし、耳を押さえ、片膝をつく。突き飛ばされた女は、そのことは気にせず、満足げな顔をしてティオを見下ろしている。
「行きましょうか」
飼い犬にでも声をかけるように、そう告げた女の陰から複数人の男が出てくる、黒鳥会の黒服だ。無理矢理立たされ、後ろ手に縛られ、出血している耳は雑に止血される。女は踵を返して歩く、続く男たちに支えられて歩くティオ。
男共に乱暴に連れ回されるが、先ほどの女の味見ですらない何かよりはずいぶんマシだった。




