◯些細な捕物と焦る元AI
なんで私がお姉ちゃんを見落とした。そんなわけないのに。エリは夜の繁華街の路地裏でぼんやりと立っている。その視線の先は月明かりが存外明るく照らしているビルの狭間。
大したことのない犯罪なんてないが、いま目の前にいるチャラチャラヘラヘラした男については、大したことない人間の大したことのない犯罪だなって思っている。自分の意識は完全に別。
で、この、目の前にいる男だが、制服を着た警官に囲まれてつつも、任意だの黙秘だの。言葉がわからないだの。なんだのと。わけのわからないことを言っては、グダグダくねくねしている。
ふと目があった気がした、とても煽られているような気がした、蔑まれているような気がした。経験からモノがある場所はわかる、服の下、左脇腹に密着させている。
程度が低い。
わかってるんだ。気にしない。軽く笑みを返す。
囲んだ警官も全員、その男に視線に先にいる私を見る。それは良くない。タイミングが悪い意味で合ってしまった。
意を決した男が走り出し私の方へ走って来た。逆方向じゃないのか、私が組みやすいと思われたか。男は右手を振り上げ私を捕らえようとする、彼の左手にはナイフがあるが、それはまだポケットの中。どこまでも程度が、程度が低いな。
自分の中でドス黒い笑みが溢れる。
ちょうどいいや。
相手が振り上げた右手の内側をなぞり、左拳のカウンターねじ込む。踏み込みは右足半分、その分右肩を引き、左手は真っ直ぐ。相手の推進力が上乗せされるから威力は絶大。
左拳は相手の右頬骨を捉え、相手はそこ起点に宙に舞う。効かせるために拳を引くのではなく、己の自己満足のために振り抜く。左拳が相手を離れ、自分の体の前を流れ、自分の左足が勢いに耐えきれず跳ね上がるが気にしない。
宙を舞った男は大の字に地面に叩きつけれられる。
跳ね上がった自分の左足を地面につけて、重心をそちらに寄せる、ナイフを持ちつつポケットに入ったままの相手の左手を、右足を振り抜く、足の圧力に負けてナイフがポケットを破り飛び出す、左脇腹があらわになり、白い粉が入ってた袋が見える。
男はまだナイフを離していない、ちょうどいい。振り上げた足からの踵落としで、左手首を粉砕する。意地汚い男の声が繁華街の路地に響く。
やりすぎた気がするが、正当防衛だろう。多分許される。
二歩は遅れた制服の警官が彼を取り押さえる。コイツは公務執行妨害で逮捕だ。良かったな、私が一応警官で。
でも、気分が晴れない。ちっとも面白くない。
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酒を煽りグラスを叩きつける。もう何個目かわからないが、砕けるガラス。エリは自室の中で頭を抱える。
ありえない!ありえない!ありえない!ありえない!黒鳥会にはなんの痕跡もなかった!なんで!どうして!まさか黒鳥会に居たなんて!
ひと通り暴れた自室はものが散乱している。見逃すはずがない。でも結果は別だ。悔しさと怒りが込み上げてくる。聞き覚えのある声が聞こえたので、押し寄せる自己嫌悪とともに振り返る。
「あ、やっぱり…」
サヤカが扉を開けて、目があったと同時に駆け寄ってくる。ティオも一緒だ。自己嫌悪に加えて恥ずかしさも込み上げてくる。
「サヤカぁ…」
自身の気の弱さに負け、悔しさと自己嫌悪と恥ずかしさでグシャグシャになったエリがサヤカに抱きつき大声で泣く、サヤカは優しく受け止め、エリの大きな背中を優しく撫でる。
お目付け役でメディックでカウンセラー。肩書きがそうさせるのか、サヤカという人間個体がそうなのか、後ろに立って見ているだけのティオには全く判別も出来なかった。
「ごめんね、片付けさせちゃって…。まぁ、前よりは酷くないから、ティオさん、びっくりしちゃった?」
サヤカはティオに声をかける。ひと通り泣き止んだエリはサヤカに後ろからくっついてリビングの床に座っている。向かい合うようにティオが黙って座っている。
「いいえ、なにも。自分には無いものですので」
無いものはない。AI時代にはなかなか言えなかったセリフを言う、言えなかったのはプライドか、設定か。しかし今はそれが恥でもなんでもないことは感覚でわかる。むしろ安易な同意はあり得ないと体が告げる。
不思議なものだ。
エリがくっついているのも自身を安心させる行為だとわかる。ティオはずいぶんと感覚派なんだなとユキに言われたことを思い出す。
「ごめんね、なんとなくって言ってついて来てもらって….」
エリにくっつかれているため動けないサヤカからの謝罪が続く。エリはサヤカの後ろから声も出さずじっとこちらを見ている。
「ここで言うのは、確かに不適切な気がしますが、いただいた、その、お、お姉ちゃんファイルの分析結果とか、今後の話とか、その…」
ちょうどよかった。とは声に出すべきではないと、これまた体が告げるが、それ以前に自分でもびっくりするくらい声がまともに出ない。恥ずかしさなのか、怖さなのか、声を出すと言う行為がこんなにもしんどいのか。そして気づく。自分の手が震えている。ただしなぜかは全くわからない。
ここで話すべきか、そうでないのか。自分の中でせめぎ合う何かがいる。
自分が話すことで、現状を打破できる可能性、それと並行して、言ってしまう事で何かが壊れてしまうかもしれない恐怖、そうか、これは恐怖。いや、恐れなのか?
エリを見る、彼女は相変わらずじっとこちらを見ている、警戒というのが正しいのか、敵意と好意のちょうど中間のような目つきだった。
サヤカは背中からの気配を感じつつも、ティオへの配慮を欠かさない。
「お話しづらいかもしれないけど、大丈夫だと思うよ」
サヤカが首のあたりにあるエリの手を撫でつつ、ティオに先を促す。受けるティオはフリーズに近い状況だった。その理由はわからない。自分がこれから話そうとする事自体は間違ってはいないと確信しているが、おかしいかもしれないと体が告げる。何かこう、よくわからない。鬱陶しくて仕方ない。喋って良いものか、わからない。この鬱陶しさが本能と言うならば、ずいぶんとめんどくさいものなのだと理解する。ただ今は全く説明がつかない。口や手が小さく震えて上手く動けない。
一瞬、全員が沈黙する。
「良いよ、教えて」
そう呟いたのはエリだった、警戒した目つきではあるが、先ほどより雰囲気は穏やかになっている。サヤカもその気配を察して頷いて、こちらを促す。
あ、話して良いんだ。という気づきが、手と口の震えを抑えてくれた。
改めて自分のメモリーの中で、これから話すことを再度シュミレートし、問題がないことを確認し、意を決して話すことにした。本能とやらを理性というもので抑えることが出来たらしい。
エリをじっと見つめて話す。エリは目を逸らす。
「日付を跨ぎ、誕生日すら違う双子だったそうですね。それで、成長する中で、姉妹として意識づけさもれていったのですね」
おそらく知っている話だろうから、詳細は省く。エリもサヤカの黙って頷く。ティオは続ける。
「人は自分に似たような人を好きになる、というデータがありまして、エリさんが自分に似たエマさんの事を好きになるのはあり得る話だと思います。正直エリさんもだいぶお綺麗ですからね」
私とは違いますから、と言った時にエリもサヤカが目を合わせる。それには気づかずティオは続ける。
「ただ、大きく違うのが瞳の色です。でもそこがエリさんが一番好きなところみたいですね、ポエムにもずいぶんと青い瞳は出て来ました。本当にエリさんはエマさんの青い瞳が大好きなんですね、ご自身の灰色の瞳よりも。そしてエマさんの穏やかな目つきも、ご自身の目つきとは真逆だからですか?」
確信はあるが確認を取る、エリはまた目を逸らして言う。
「そうね、その通りよ、でも、多分誰だってあの瞳に見つめられば、恋に落ちるわ」
諦めとも、憧れともとれる声色でエリは言う。エリはエマは好きということが確認できた。
「だから、カラーコンタクトレンズ含めてとにかく青い瞳の人を中心に調べ上げたというわけですね」
そうね、と返事する。尋常ならざる執念だがそれについて自覚はしているようだ。
「それで担当直入に言います」
ティオちゃん、そのイントネーションなら担当だよ、多分ほんとは短刀だと思うよ。とサヤカが呼びかけるが、ティオは全く気にせず続ける。
「今回の女性は、写真を見る限り、エマさんの網膜と一致しているとまでは言えないです。でも、確信がありません。網膜の画像さえれに入れば、なんとかなると思います」
「そうよ、でも、え?まさか?…」
何を当たり前のこと言うのだ、というところで、エリは途中で言い淀み、サヤカは目を見張る。ティオが恐る恐る告げる。口が震えて来た。
「わ、私が、確認して来ます、この自分の目で」
言い終わったら今度は、また、手が震えてきた。
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「エライ大見目切りましたなぁ、えぇ?」
ティオの顔を見ながら、美少女おじさんのユキがキレている。しかし、その声には心配という色が強い。監察官居室のソファで二人は並んで話している。顔に傷をつけたティオが帰ってきて、慌てたユキが事情を聞いていた。
「そら、エリもブチギレってわけやな、こっちがキレる暇あらへんがな、ほんま」
美少女なのに地の関西弁が止まらないユキ。額に包帯を巻き、右頬を真っ赤にしたティオは俯いている。自分は与えられた情報から正解を提示したはずだ、ティオはもう一度整理する。
写真の女性の正体を突き止めるなら、エリは、以前潜入捜査で顔が割れているから不適、それでもやるならエリがもう一度潜入捜査するべきか?それはとても危険だろう。
なら、顔が割れてないサヤカが行くか、いや彼女では画像の分析ができない、エリなら見た瞬間気配でそれがエマが否かを判断出来るが、サヤカにはエマのデータがない、だから、目さえ見れればいい、画像さえわかればいい、それが出来るのは私だけ、だから、私が行く。それが正解だったはず。
でもなぜか、自分の目で、と告げた瞬間に飛んできたのはグラスだった。額に当たり、メガネも飛んで行った、振り返ったところで右頬を平手撃ちされた。
いわゆる失言というのはなかったはずだ。特にエリに対しては最大限の配慮をしたはずだった。その後、額から血が流れ、右頬が熱を持った。頬に関しては、これで出血していないんだから人間の身体というのはよくわからない。
「エリさん!」
と、サヤカはエリを一喝し、ティオの手当を行う。この一瞬だけは、エリよりサヤカの方が怖かった。
「ごめんなさい、傷は残らない様にするから」
と、テキパキと治療される、そしてそこからの記憶は曖昧だ、サヤカに送ってもらった気がするが、いつの間にか、監察官居室の前にいた。グラスが頭部を直撃したせいで記憶の定着が甘かったのだろう。
会話の往復が成立し始めてユキは安堵するが、思いついた疑問を投げかける。
「そんでな、どうやって潜入するつもりやったん?邪魔するでぇ、見せてやぁ、では済まんのよ」
ユキの問いかけに、俯いていたティオはガバッと顔を上げユキを見るが、出てくる言葉はしどろもどろだった。
「あ、あのそれは、これから考えるつもりでした…」
誰が何をすれば、写真の女性の正体を掴めるか、その点においての正解は提示した。だから、これからどのようにという話をしようと思って、そう自分のメモリーで段取りをしていたはずだったのだが、なぜ殴られないといけないのか。いま思い出してもわからない。
その顔を見て、ユキはため息をついてから呟く。
「はぁ、ティオ、お前さん。ずいぶんとまぁ急いだんやな?」
急ぐ?何を?驚き顔を上げてユキを見る。ユキは何かを感じたらしく、穏やかな表情になっている。
あ、元の喋りのままやったな、と言い、咳払いをする。こういう時にユキは姿形に見合った口調で言ってくる、人が理解しやすいようにという彼なりの配慮だろう。
「ティオちゃん、大事なこと忘れてるわ、みんなあなたの事、心配してるのよ」
心配される様なことがあるのか?心配する相手を殴ったりはしないのでは?怪我してる貴方には悪いけど、とユキは軽く笑ってから言う。
「エリは挨拶がてら私を殴ってくるような娘よ、感情表現なんか得意じゃないわよ」
人間って難しいなぁ、とティオは強く感じた。なぜだか涙が溢れてきた。
エリも、サヤカも、ユキも、誰も自分のことを道具としては見ていないんだ。
嬉しいやら悲しいやら、なんだかわからない。
「あの、ユキさん、私にはいつもの調子で構いません、なんか調子が狂います」
なんで今こんな事を言うのか、自分の口から出た言葉の意味も実際よくわからなかった。
訳がわからないが、涙が溢れて止まらない、エリが、サヤカが、ユキが、怖かったのか、優しかったのか、自分では処理が出来なくなってしまった。
ただ泣くしかなかった。




