◯おじさん四段、エリ三段、ナツメ三段、ティオ三級
ヘッドギアっていうのは慣れないわね。エリはそう思う。クッション素材のそれ、スパーリング用の大きなグローブ。慣れないのは感覚じゃなくて、思考。
横着な自分は、それ込みで戦略を立ててしまいそうになる。ガードは大きくても良い、グローブとヘッドギアのグリップで相手のグローブを掴めるんじゃないか。逆にグローブだと裾なんか掴めじゃないか。とか。幸いにして私の相手も近しい違和感をお持ちのようだ。
グローブとヘッドギアをうまく使ってガードしてくる。自分にも確認させるために一言言ってやる。
「道具に使われてんじゃない?」
左拳を当てるでもなく目の前に出す、大きなグローブ、視界が狭くなるヘッドギア。目を塞ぐにはこれで充分。下がるなら追う。左拳を弾くなら逆カウンター。さぁどうする?
「違いないわ」
相対するおじさんも同意のようだ。こちらのそれに関係なく、足払い。対して前足を引き上げつつ後ろにステップ。おじさんは前に出て潜り込んでくる。踏込み、うねる身体、肩、肘と連動するけど拳は来ない。このままいけば当たってますよね?と言う確認に近い。
うるさい、おあいこだと言う意味で左フック。縦拳じゃなくてフラットに、強く。おじさんはグローブをヘッドギアに添えてガード。足が止まる。
その場で身体を捻り、右ストレート。これもガードされる。左ミドルキック。グローブで受けられる。近すぎるなぁ。右前蹴り、距離を取る意味もある。真っ直ぐ蹴る。足が上がり切る前に脛をグローブで叩かれて落とされる。右足着地。近いなぁ。ほんの少しだけ自分の右足が前にある。左肩で体当たり。
「わ」
おじさんじゃない美少女の声。ほんとっもう脈絡がない。おじさんの用の体当たりだから、結構キツイわよ。
肩と腕が面になって、美少女の顔面から胸までいっぺんに捉える。こっちだってある程度反動があると思ってたのに!
美少女おじさんは体当たりを受け止めきれず倒れる、エリも一緒の倒れる。くっそ、柔らかいなぁ、調子狂うわ。
面で当たった左手を引き抜いて相手の脇の下、床に手をついて上体を起こす。右手を振り上げ鉄槌を下す。鉄槌に対して、両手をクロスさせてガードする。受け止めて、お互いがほんの一瞬静止する。効いちゃったか?
「あ」
今度は自分だった、軸足の右太腿を足で押し除けられる。合わせて、左肩を押し除けられる半回転する。体が入れ替わる。
「くっそ」
こっちも出鱈目の相手を突き飛ばす。相手も寝技する気はないようで。まぁそれはそうか。互いに距離を取り立ち上がる。
少女は小刻みにステップする。体型に合わせて戦いを変える。わからないでもない。こっちは主義主張でスタイルを変えている。
目を開きしっかり見て、ジリジリと距離を詰めて、仕留めに行く。相手は細かく出入りを繰り返す。互いの間合いギリギリでの出入り。接触のない鍔迫り合い。ジャブやカウンターが空を切る。
「はい!時間です!」
ストップウォッチを持っていたティオが声を張る。鍔迫り合いから解放されるということもあり、戦いの余韻もなく構えを解く二人。
「すまんね、当たってもうたわ」
女性となっているユキが、ヘッドギアをしたまま軽く左手を上げていう。
「良いのよ、別に」
エリも少しだけ両手を広げ、構わない。という意思を示す。
ティオがトテトテとボトルを持ってきて二人に渡す。それぞれが軽く口に含む。ティオ基準の極激甘スポドリだ。
「やっぱり慣れないわなね、慣れないというか慣れちゃいけないというか」
二重の意味でエリが呟く。戦いの途中におじさんが美少女になるのと、この劇甘ドリンク。
「なかなか実戦でも無いからなぁ」
片方の事実には目を背けてユキが返す。おそらく意図は変身する方。ユキのコンバットスーツはダボダボのヨレヨレだ。
「そういう練習なんだけどね」
自分から誘っておいて悪いんだけどね。と軽く言う。おじさんもなまっているだろうから付き合ってあげる、それくらいの感覚。そのつもりだが、良くも悪くも刺激が強い。
「はい、休憩終わり、ティオ。やるよ」
壁にもたれていたナツメが言う、ティオがまたトテトテとボトルを回収して戻ってくる。そしていそいそと、グローブをつけ道場の真ん中へ行く、ミットをつけたナツメがそれに続き、ユキ、エリと交代する。
「はい、はじめー」
少し間延びしたユキの声でティオとナツメの稽古が始まる。
「いつも通り全力でね」
と、小柄なナツメに言われてもムッとする間もない。というかする気もない。常識という名のメモリ曰く体格が大きい方が強いらしいから、それによると自分の方が強いらしい。しかし、初めて見たナツメの凄さに、そんな常識と一般的なメモリの方を疑う。ただ今はそういう次元の話ではない。自分が強くなるための時間。それをいかに使うかだけ。
「はいっ」
と返事して、とにかく打つ。撃つ。この二つの細かい違いはわからない。気持ちだけだ。
ティオの全力のパンチがミットを捉える。ポスン、ポスンと軽い音がする。
今はまだ真っ直ぐに、撃つ。打つ。上体の捻りが上手く乗った気がする。
ポスンの一個上のべチンという音がする。お?悪くない。
ナツメが嘘くさいカウンター動作をして、それをしっかり見てからティオはステップをして距離を取る。遠い間合いだが、ティオは大きく左足を前に出し、右足で地面を蹴る。
「おぉ」
踏込みに関しては、それなりにスムーズな動き。ユキとエリが小さく声を上げる。
左拳を出してから大きく引く、身体が連動して回転する。硬く握られた右拳が、一直線とはいえずギナギナと出てくる。しかし、悪くない。
バシンと、乾いて重い音。良い。
「素人じゃなくなったね」
エリが言う。
「せやな。で?何級くらいやろか?」
ユキも頷いて、確認する。
「三級だね」
見下すわけでなく純粋な評価としての発言。だから上機嫌な声色。
「せやろな」
全くの同意。素人ではない、戦うために畳に上がる権利を得た。それくらいの資格。
「半年かかるところをこの短さでね。上出来じゃない」
「せやせや、良いことやわ」
そう言って、あ、と思い出してタイマーを見る、少し時間が過ぎていたが二人は真剣で気づいていない。よしよし。
「はい、やめー」
少し間延びした声でティオとナツメの稽古を区切る。
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「係長、エマを追いたいのですが」
「地域課で収賄の疑いありか」
え?なんの因果か、タイミングなのか、ナツメとユキの言葉がかぶる。
「ど、どうぞ」
始業前で部屋には二人しかいない絶好のタイミングで、意を決して言ったつもりなのに、まさかの重複。ナツメはしどろもどろになりながら、ユキに先を促す。なに?収賄?賄賂貰っちゃった?
「ええよ、後でみんなにもちゃんと話すし、それより、エマやろ?そっちの話しよや」
すまんね、被せちゃって。と前置きしてユリが話す。
「気持ちはわかるけどなぁ、復帰初捜査で、刑事部の失態をほぼ未然に防いで、監査院監査対応もほぼ完璧、そんで公安から雨を預かることになる」
改めて言葉にされるとそれなり以上の成果だ、私の復帰に懐疑的な人に対しての強烈なアンサー。そう言える。だからこそ。
「だからこそ」
食い下がるナツメ。
「そう、だからこそ。なんや」
ユリはちゃんとナツメの目を見て話す。
「そう、だからこそなんや。すごくポジティブに考えれば、向こうから尻尾を出したようなものや」
公安と存在は知っている、実際に所属したこともある。公安にいるということ自体、自分が何をしているのかすら他言無用、家族や友人、同僚すらまともにそのことを話せない。そういう組織がわざわざ自分たちから、大手を振って寄ってくる。
「そんなん渡に船というには釣り針がデカすぎるやろ」
ナツメの顔に諦めと怒りが滲む。唇を噛む。
「せやから何もすんな、というのが普通の人間で」
と言って話を区切る。ユキが話し出すまで待つ。
「残念ながら、アンタの目の前におるのは、関西弁正論吐き美少女変身おじさんやからな」
「話してる途中に変身することもあるんですね」
美少女おじさんは可愛くピースしている。
「ある程度はコントロール出来てたんや。戻ってきたみたいやわ」
見上げねばならないおじさんが変身すると目線が合う。ユキは椅子から立ち上がり、目線を合わせる。そういう配慮なんだろうか。
「もう努力賞は要らんもんな、欲しいのは結果やもんな」
ナツメは頷く。
「と、言っても何にも手立てないんやけどね」
はははと、頭を掻く。意外な反応にナツメがキョトンとした顔で聞く。
「あるじゃないですか。新鮮なネタが、中村警視が。」
その人物の名を聞いて、ユキの顔に“面倒”という文字が表示される。その瞬間扉が激しく開き、雨が部屋の中に飛び込んできた。
「こんにちはー♬雨ダヨー!あぁ!うっちーだ!やっほー⭐︎。で、そこにいる顔に面倒って書いてある女の人は誰?」
雨は元の顔すらよくわからなくなってしまった、美少女変身おじさんに対して辛辣な言葉を投げかける。
「ヤァヤァ、元気そうだね、なんだねそんな顔して、君の顔はいつからディスプレイになったんだね?」
中村だった。雨の後ろから顔を覗かせる。美少女変身顔ディスプレイおじさんは、元の顔、ちなみに女性。に戻してから話をする。
「珍しいですね、送りですか?」
「まぁ、建前上は高校生だからネェ」
そう言って、部屋の見回して、葛城いないのかぁ、と呟く。
「呼んできましょうか?」
ナツメが連絡しようとするが手で制す。
「いない方が穏便だからネェ」
まさか向こうから食いついてくるとは思わなかった。
「君らが何をしてるか知っているが、私《公安》としては何も開示しないから」
ナツメが目を見開く。
「僕らと君らの関係は雨だけ。雨を介在させているという関係性だけダヨ」
ナツメが手を握り締めて震える。
「公安の案件については公安専決だ。我々でも追っている。とだけ言っておく」
事務的に言うからこそ冷徹に聞こえる。怒りなのか悲しみなのかわからない感情がボロボロと出てくる。
ナツメの口が動くが言葉が出ない。言葉が遅れて口から出そうになるが。それより一瞬早く雨が走り寄り、ナツメに抱きつく。
「私のせいだけど、ごめんなさい!」
力一杯抱きつく。ぎゅうと締め上げられる、痛覚が自分を現実へ連れ戻す。
「うっちー。私、頑張るから」
見捨てられまいとするような、すがる声で呟く。なんだかわかんない感情にぐしゃぐしゃにされかけているが、なんとか声を出す。
「あ、あぁ、ごめんなさい。雨ちゃんは悪くないよ」
そう言って雨を剥がそうとするが、なかなか剥がれない。なんだこの怪力。見た目の倍以上の力がある。
「わかった!わかったから!」
軽く叫ぶが、離さない。
「やだっ!離さない!私を見てくれるまで離さない!」
離さないと見れないじゃないの。こら。と冷静になる。しかし離れない、仕方ないので、手を取ろうとするが、雨が抵抗してなかなか手がたぐれない。なんだコイツ以外に手強いぞ。しかもなんだこのメリハリのある身体つき、なんでよ。どいつもコイツもっ!
このっ、このっと言い合いながら雨とナツメが少し戯れあい始めたので、ユキは中村の耳元で囁く。
「同じ美少女変身おじさん仲間だから忠告するけどな」
前置きということで顔を離し、改めてユキがナツメの気持ちを代弁する。
「中村警視、伝え方というのもあるとは思いますよ」
「言いづらいことほどシンプルに伝えるようにしている」
と、自分は悪くないとでもいうように吐き捨てる。それだったらもっと別の言い方があるだろう。どっちが子供かわからんな。という言葉を飲み込みため息をつく。これ以上この話題を引っ張っても良いことはない。話題を変えよう。
「インターンということですけど、どこまでさせて良いんですか?秘密保持は大丈夫ですか?」
中村の顔も少し晴れる、なんだコイツやっぱりガキかよ。とは思わないことにして中村の返事を聞く。
「全部だよ」
「全部?」
「そう全部、インターンシップなんて建前だからね。彼女はもう警察官だよ」
さすがに警察学校は高校卒業してから行くけどね。とかいう説明はもう入って来なかった。
中村の大仰な身体操作ともに繰り出された意味不明な説明に美少女変身顔ディスプレイおじさんの顔にまた改めて“面倒”という文字が表示された。




