◯監査院監査開始
「あー、ごめんねぇ。会計の方はまぁ問題なさそうだねぇ」
署長室でご自身による書類チェックを行なっていた署長が言う。
他にする事ないんだろうか、と内心の不満を堪えつつ、はいと返事をするナツメ。
「会計の方はねぇ。空蝉さんも大変だねぇ、刑事部の方もよろしくねぇ」
いや、流石にそれは貴方の仕事では?という言葉を飲み込み、先ほど全く同じトーンで、はいと返事するナツメであった。しまった完全に手をつけていなかった。
監査院と署内の調整はナツメ、書類作成はエリとサヤカ、その黒子かつ、通常監査の業務をユキとティオがやる。そういう役割分担で監査係は動いていた。
今回の監査院監査のもう一つのターゲットは、そう先日新人が大はしゃぎした刑事部であった。
「そうは言っても次回から気をつけるとしか、言うことないよね」
困り顔で話すのは刑事部の刑事であった、従前は警察学校主席のエリートは本部勤めと決まっていたが、ここ数年で現場感覚を養うため、各署順番で受け入れをしている。数年の経験を経た彼らは本部で活躍する者や、引き続き現場で活躍する者に別れ、それなりに結果を出していた。残念ながら相沢と優木の件はこの成果に水をさすようなものだった。
「ですよね」
同情というと失礼にあたるが、そうではない寄り添ったトーンで応じるナツメ。
「どうせ結果論から遡ってさ、あれが悪い、これが悪いって言って仕事した気になってるんだろう、俺らじゃどうにも出来ないって〜」
逆の立場だったら私だってそういうだろうな、という感想をいう刑事。彼は刑事部に庶務を担当している。相沢、優木の教育係でもあった。
「タイミングとしては最悪に近いものでしたね」
ナツメの返事に彼は続ける。
「そうなんだよ、新興マフィアとのギリギリのやり合いでそこから切り崩されたっていう話しなんだよねぇ」
困惑とやるせなさを混ぜた顔で続ける。
「人の流れが固定化するのは良くないからって初めてそれなり成果も出たっていうのに、問題があったからって結果論的にまた本部勤めに戻せっていう話かなぁ」
あーあ、と手を頭の後ろで組んで天を見上げる。
「まぁそうは言ってもしかたないね、信頼という名の放任を、どう良い感じにまとめるかっていう話をしてあと、相沢や優木のように何かズレた時のケアね。それだけ対策考えて反省してますって書くしかない。制度そのものは本部も含めて考えるだろうな」
よし、そんな感じで当日はよろしく。と言って彼は席をたつ。ケアっていう話ならサヤカも連れてこればよかったとちょっと後悔したけど、後悔のまま終わらせないように、すぐに彼を呼び止める。
「そうなんだ、じゃあ明日にでも豊田さんとも話をさせて貰って良いかな」
話が早くて助かる。なんとかなりそうだという安堵が湧く。
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自宅のキッチンで野菜を刻むティオ、包丁を使うその手はきごちないが、監督者であるユキはリビングで本を読んでいる。
「刃物とか調理器具、火の加減、食材の色味、やりたいことにアジャストしながら、体を動かす。そういうのは練習になるじゃない?」
そもそも料理というものには前から興味があったので、ナツメにそう言われてことを渡りに船とばかりに料理をすることにしている。
ただ、週が明ければ監査院がやってくる。あれは出来たか、これは出来たか。そんなことを思うだけもう無駄ではあると思つつ手を動かす。そもそも自分でスイッチを押してプログラムを走らせないと思考というものは動かないはずだが、なんだか最近勝手に変なことを考える。
「むー」
アイドリングというのかインターバルというのか、どういうべきかはわからないが声が出る。もちろんこれも意識の外で息を出せと命じた記憶はない。
意識して身体を動かす、全ての挙動を意識し直してそれを無意識に落とし込む。そう練習をしてきている弊害なのか、逆に切り替えというのが出来ないような気がする。自然なのか意識なのか。
「だいたいそんなもんや」
「感覚的な話で悪いんだけど、意識せずにできる時と意識、認識するし切り替えがぐしゃぐしゃになっていくような感覚は、慣れてきた証拠だよ」
ユキもナツメも同じようなことを言う。確かに突きという部分は、そんな気がしてきた。スムーズだなっていう時とそうでない時は、あ、なんか違うなってわかるくらいには。
だからと言って、普段の思考までこんなに出たり入ったりするものだとは思わなかった。知らないことばかりだ。
自分の中だけの話なのに話がそれてしまった。いけないいけない。タマネギ、ピーマンを薄切りにする。賽の目という四角に切っても良いのだが、ユキは細切りの方が良いという。
「片付け面倒やん?あっちこっち破片が飛ぶし」
味の話ではなかった。と驚く。
ご飯を200gずつ取り分ける、バター5gをフライパンに乗せて、着火する。バターがふつふつと溶けていき、泡だったら、野菜を入れて炒める。ニンジンも入れたかったがユキが別の料理に使ってしまって無かった。塩と胡椒を入れる。適量ってなんだと思ったが自分の中ではそれぞれ1gにしているというか、そう決めた。だってわかんないもん。なんですか適量って。
火が通り野菜の見た目が明らかに変わったことを確認して一度皿に出す。水分がたくさん出ている。フライパンを一度拭いて、今度はケチャップを大さじ六杯入れる。ケチャップだけを混ぜて炒める。バターとは違いすぐにはふつふつとしないが、ヘラで混ぜていく。温めるだけなら混ぜなくて良いのでは?と思い混ぜなくてほっておいたら全て漆黒の闇になったのは恥ずかしい記憶だ。もちろんその記憶を思い出せとはいってない。人っていうのは面倒だ。自分すらコントロール出来ない。ケチャップの水分が飛んでのを確認して野菜とご飯を混ぜていく。フライパンが一気に重くなる。いつもこの完成の頃合いがわからない。
「あー!!!!!」
ティオが大声を上げるが、ユキは一瞥だけしてまた本を読む。
「鶏肉を入れ忘れちゃった」
悲しんでいる暇はない、フライパンの火はチキンライス(チキン無し)を炒め続ける。
「ええでー、へるしーやからー」
ユキがのんびりとした声をかける。それから察するに、こういうやりとりは何回もあったのだろうと推測できる。
はいと小さく返事をする。仕上げに甜菜糖を2gをかけて、フライパンを十回振って、炒めてから火を止める。チキンライス(チキン無し)を容器に入れて盛り付ける。お山がお皿の上に完成する。
卵を一つ割って混ぜる。混ぜ終わったらフライパンを洗い、布巾で拭き、火にかける。フライパンの水分が飛んだら卵を入れる。膨らむ部分を潰して平べったく焼き、チキンライス(チキン無し)の上へ、乗せる。続けてフライパンを洗わず二枚目を焼く。ぐしゃぐしゃにして寄せてみる、全くうまくまとまらない。失敗したなぁと思うボロボロの炒り卵又はかき卵という物体をチキンライス(チキン無し)に乗せる。
「むー」
不満を顔に出し、残念さを声に出してダイニングへ向かう。完成した皿のうち卵がまとまっている方をユキに、卵がバラバラの方を自分が座るところに置き、リビングのユキを呼ぶ。
「ご飯が出来ましたよ」
ありがとうな。そう言っていそいそと席についたユキと、遅れて着席するティオ。
「いただきます」
その声は揃う。
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「あのー」
食事が進み、ティオが何かを言いたそうに話しかける。
「ん?どうした?オムライス。全然美味しいよ」
「いや、そうではなくて」
ユキは一連に流れから先読みした返答をするがどうやら違ったようだ。
「ユキさん、元に戻らなくなって随分経ちますね」
「まぁそうやね」
なぜこうもあっけらかんと、さも当然のように振る舞っているのだろうか。ティオ自身も女性として過ごしているが、ある日、朝から男性になっていたら、とか思うと、こんなに冷静でいられる気がしない。
「なんでそんなに冷静なのですか?」
ユキの手が止まり、じっとティオを見つめる。その黒い瞳に吸い込まれそうになる。
「おじさんだからねぇ」
「え?」
訳の分からない予想外の返答に驚く。
「おじさんだからね、ある程度の理不尽っていうものには慣れてんねん」
「えぇー」
「まぁそんな顔すんなって、そんなもんやそんなもん、どうせしばらくしたらまた元に戻るやろし」
こちらの心配をよそに、いつもの調子で話すユキであった。
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「え?サヤカ?彼女は結構動けるよ。最近あんまりないけど、機動隊の出動には同伴して救助とかやってるからな」
ユキがあっけらかんとそう答える。食事は落ち着き、ユキが珈琲を準備しながら話す。会話しながらも手は止めず、淹れ終わった珈琲を持って机にやってくる。
「なんなら、一番身体の使い方知ってるんちゃうかな?」
ユキが続ける。いやでも使い方っていうかなんていうかなぁ。そういいながら身体の使い方を確認する。
「サヤカって背が低いやんか、でもな、体格差とか装備の重さとか関係なしに引きずって、いや抱きかかえて帰ってくるんよね。なんかこう説明すんのは難しいけどこう」
彼女、いや、彼は珈琲を机の上においてから説明する、中腰になり、腕を丸く組んで、人の腰に腕を巻くような仕草で構える。
「なかなか形だけやと伝わらんけど、こっからこう」
低くしゃがみこみつつ身体をそらす。プロレス技のバックドロップでもしようかという傾け方。
「そんで自分も相手も倒れるより早く足を出して、引きずってくる。要はあれや、重量も使ってる感じやな。相手の身体も含めてどうすれば人は動くのかっていうのは、彼女はわかってると思うで」
今度聞いてみてや。と全く理解できずフリーズしてるティオに軽く促す。それでハッとしたティオが追加の質問を投げかける。
「じゃあ、サヤカさんはあのナツメさんの回転蹴りはできるんですか?」
「出来へんと思うよ」
「そうですか、って、えぇ!?」
「ノリツッコミ出来るようになったやん」
ケタケタ笑うユキに少しムスッとするティオ。
「そうじゃないです、むしろなんで一番知ってるのに出来ないんですか?」
「そら、あれやろ、メディックは敵を倒すより味方を助ける方が役に立つからやろ?」
そう言ってユキは甜菜糖入りの瓶を差し出す。
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監査院監査当日、ユキとティオは並んで繁華街を歩いている。
「監査係の職責には警ら任務、いわゆるパトロールは、無かったと記憶していますが」
なんですか、こんな格好までさせて、と珍しく詰襟を着せられたティオが嘆く。
「警察官としての基本的な職責には、当然あると思うわよ」
同じ詰襟を纏い、今日は帽子もかぶっているユキが答える。外回りということで口調も見た目の性別に寄せている。
「珍しいわね。やりたくないなんて。なんでもやりたいって言うのに」
「それは、だって今日は監査院監査初日ですよ。ナツメさんやエリさんにサヤカさんのお役に立てないなんて」
「署長からは署内にいない方が役に立つって言われてるからね。仕方ないわ」
その発言が気に食わないと言わんばかりにむくれるティオ。
「反対に言えば、役立たずじゃないですか?」
「まぁまぁ。せっかくの機会だし、仕事として街を眺めるのも悪くないわよ」
まだむくれ顔のティオに目をやってユキが続ける。
「そもそも今日は町のお祭りでその応援で来てるんだから、警ら任務だってちゃんとした仕事よ」
むー。と、それでも少しむくれているティオにちゃんと顔を向けてユキは言う。
「心配なんかしてないわけだし、夕方には署に戻って打合せもする訳でしょ、役に立つのはそこからで良いじゃない?」
厄介払いじゃなくて、仕事、ということを再認識したティオの顔が少しだけ緩む。それを見逃さずにつけ加える。
「彼女たちのために役立つ時間は後にとっておいて、今この街の人のために、役に立ちましょう」
しばしの沈黙。ただ少し気が晴れたようだ、ティオの足取りは少し軽くなったようだ。
「軽ら任務。頑張ります」
それだとずいぶん軽い任務だよ。とユキが呟く。
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「会計監査院第一局司法監査課監査官の道明寺です。こちらは今回の主査である、司法監査課の副長の柳田です、そして監査官補の山崎、事務官の加藤です。柳田は初回と最終日の講評の時に参りますので、監査は、三日間を予定していますが、道明寺、山崎、加藤で行います。よろしくお願いします」
署内の中会議室に監査院と署内の関係者が一堂に集まっている。監査院側の紹介が終わり、次はこちら側であるが、関係するしないに関わらず、課長連中には総動員をかけている。署長曰く、
「あー、彼らは時間に厳しいからねぇ、終わりの時間もきっちりしてるからぁ、初日は“しっかり”挨拶しないといけないよねぇ」
ナツメからすれば、そんな事は非効率極まりないし、なんなら若干卑怯なような気がする話だが、どうやら定番のようで、監査院側も、そんなの良いからさっさと始めましょうっていう訳でもなく、大人しくこちらの挨拶を聞いているようだ。挨拶が終わったら監査に先立ってこの署の管轄や直近で起こった事件などの話をしていく。無論、現在捜査中などの話はできるわけがないので、話して良いものに限られる。この展開も定番のようで、他の署の監査係に問い合わせてみたら、ウチもそれやってるよ。とのことだった、それはそれで意外だった。加えて、監査官補や事務官の彼、彼女が一番目を輝かせていたのは多分ここだけだったのではないかと、あとで振り返って思い出す。
「あー、あれだねぇ、今回は監査官、監査官補、事務官だから、いわゆる練習だねぇ。副長は初日と講評だけでしょ、彼が何か言ってこない限りまぁ難しくはないねぇ」
昼休憩の後に改めて様子を見にきた署長は、会議室の外でご自身の感想をナツメに伝えて、自室へと引き上げていった。
「要は副長だけはマークしろって事よね」
相変わらずの遠回しな言い方に辟易するが、署長の感想とナツメの肌感は近いものがあった。主で調査する三人は監査官は係長クラス、監査官補はその次の主任、事務官は要はヒラの係員であり、それぞれ若い年代だった、いわゆるベラテンでかつお守りができそうな人間というと、副長しかいない。このタイプは平気な顔して“予定“を変更してくるので、今日の午後次第では、明日も副長がいるかもしれないということだ。
「ナツメさん」
サヤカが不安そうに会議室の扉から覗く。
「どうしたの?」
「副長の柳田さんが、書類のことで確認したいって」
サヤカの顔つきとは逆に、大丈夫。と顔に書いたような笑顔で応じる。
「まぁまぁ予想していた通りだね」
つられてサヤカの顔も笑顔になり彼女は先に部屋に入る。
一拍の間を開け、ナツメも部屋に入る。ただ、その直前、誰にも聞こえない独り言を呟いていく。
はぁ。そもそもこれって誰かの役に立ってるのかなぁ。




