第八話
船倉にはいくつもハンモックが並んでいる。船が揺れるとハンモックにぶら下げたランタンの明かりも揺れる。大きくなったり小さくなったりする影を眺めながら、ヨラは眠れない夜を過ごした。
アインツの死に顔がどうしても頭から離れない。ヨラが武装商船から撃った大砲がアインツの命を奪ったのだろう。船員たちには余計なことを考えるなよと言われたが、ヨラの胸には大きな傷が残っていた。
昼間は何かとすることがあるから、気も紛れる。就寝時間になって疲れた身体をハンモックに横たえたとき、どうしようもなくヨラの胸がじくじくと痛んだ。
「ヨラ、眠れないのか?」
隣のハンモックから、船員が話しかけてくる。ヨラがおずおずとうなずくと、船員は「ほら、リンゴ食え」と赤い果実を一つ渡してくれた。服の袖で磨いて一口頬張ると、ほんのりと海の潮の味がした。ヨラの頬を涙が伝い落ちていく。
──アインツの乗ってた船が積んでたリンゴだ。
ヨラは声を出さないように嗚咽を飲み込みながら、静かに涙を流してリンゴを咀嚼した。
武装商船は貿易のために、スプルース大陸へと向かっている。もしかしたら海路の途中で海賊に出くわすこともあるのかもしれないと、ヨラはリンゴを持つ手に力を込める。皮の上で指が滑るキュッとした感触があった。
──海賊には、無理やり海賊にされた人たちもいる。
海賊に襲われた船の船員は、殺されるか、捕まえられて下働きをさせられるかだ。殺されるよりはと海賊の仲間になる船員たちもいる。中にはそのまま出世して、船を任される者もいるという。
海賊になりたくないのに、海賊にさせられた人たち。大海原を小舟で旅していたときのアインツの横顔が、ヨラの閉じたまぶたの裏に浮かんだ。次第にその面影はにじんでいって、アインツの死に顔になる。
── ごめんな、ヨラ。オレ、海賊になっちゃったわ。
アインツも、襲われて連れて行かれた人々も、誰も海賊になることなんて望んではいなかったはずだ。自分から海賊になろうとした者たち以外は。
ヨラのまぶたの裏の暗闇に、じわじわとランタンの光が差し込んでくる。ほのかな光だというのに、アインツの死に顔が焼け落ちるように崩れていく。大砲を撃ったときの鉄の感触がヨラの手に、煙の気配がヨラの目に、火薬の香りがヨラの鼻に蘇ってくる。
──違う。そもそも海賊がいなければ、アインツは海賊にされることも、死ぬこともなかったんだ。
ヨラはハンモックの網目に絡めた指をぎゅっと握りしめる。怒りで目の前がちかちかする。ヨラの胸に去来する怒りは、アインツと共に大海原へ漕ぎ出したときよりも、尚いっそう強くなっていた。
湿気のこもった船倉でヨラは汗ばむ肌をときどき拭う。近くのハンモックから聞こえる船員たちの大いびきに耳を澄ました。波の音に混ざって聞こえる船員たちのいびきに呼吸を合わせているうち、ヨラは次第に眠りへと落ちていった。
翌朝、夜間を担当していた船員たちの「交代だぞー」という声でヨラは目覚めた。ハンモックから起き上がって勢いをつけて床に飛び降りると、操舵室に向かって歩き出す。船倉の梯子を上って甲板に出ると、寝汗が海風に洗い流されるようで心地いい。船の上では入浴も頻繁にはできないので、ちょうどいい。今日の洗濯当番が干した洗濯物が、ロープの上ではためいている。
ヨラは操舵室の扉を開けると、「おはよう」と言いながら海図の前に立った。
「おはよう。あんた、クマできてるよ」
航海士のばあさんに言われて目元をこすりながら、ヨラは「今日の仕事は?」と尋ねた。
「あんた……。風の向きとか強さとか、太陽の向きとか、調べて来たのかい」
「……忘れてた」
「とっとと行っておいで」
ヨラは肩を落としてしょぼくれながら甲板に戻り、太陽の向きと風の強さを調べた。
「ひっでぇ顔してんなぁ、ヨラ」
マストの上から見張り番の声が降ってくる。ヨラは曖昧に笑ってごまかすと「風はどう?」と聞く。
「いい風だよ。外海の割には、波も高くない。あとどのくらいでスプルース大陸に着きそうだ?」
「風と海の機嫌次第」
「違いねぇ」
見張り番は笑いながら「ヨラ、お前、今日は倉庫番の猫のエサ釣りした方がいいんじゃね」と続けた。マストに張られた帆が、風を受けて大きく膨らんでいる。朝の光に輝く海が、魚の鱗のように見えた。
ヨラが操舵室に戻って報告すると、航海士のばあさんはしわに埋もれた目をしょぼしょぼさせながら、海図の上の測量器を操作した。
「ヨラ、あんた今日はもういいよ」
「えっ……じゃあ、倉庫番の猫のエサ釣りしてくる」
「いっておいで」
ヨラは甲板で釣竿の先を海に投げ込む。木のバケツにロープを結びつけて海に投げ込み、海水を汲み上げた。エサの気配を察知した猫が、にゃあんと鳴き声をあげて、あぐらをかいているヨラの膝にすり寄った。
「今釣ってるから、ちょっと待ってろ」
まだ浮きは動かない。横に置いた木のバケツの水面に、持ち手から雫が一滴ぽたりと落ちた。
心地よい海風とくり返す波の音、船の揺れに、ヨラはいつの間にか、うとうとしていた。のどかな風景はヨラの中の海賊への怒りを押し流してしまいそうで、ほんの少し「これでいいのか」という思いが湧き上がる。
──怒ってばかりでもいられない。
どれほど激しい怒りを抱えていても、腹は減るし、眠くなる。人間の生活や暮らしというのはそういうものだ。ヨラは釣竿の先の浮きを眺めながら、あくびをした。
いつか海賊とまみえる日が来たとき──そのときは絶対に許してはならない。アインツを殺したのは、ヨラの撃った大砲だ。そのことを間違えてはいけない。けれどもアインツを海賊にしたのは、紛れもなく海賊だ。
──そのためにも、飯食って寝て、いつでも戦えるようにしておかなくちゃいけない。
気がつけば、ヨラの膝の上に猫が乗っている。猫の無防備な丸い背中を眺めて、ヨラは目を伏せたまま、寂しげに微笑んだ。




