第七話
甲板から梯子を下りて船倉に足を踏み入れると、往来する足音と怒号が飛び交っていた。大砲の煙がもうもうと充満していて、ヨラは思わず咳き込んだ。
弾薬庫近くに置かれた大砲に駆け寄って、砲手に「手伝います!」と叫ぶ。大砲の轟音は鼓膜を揺るがし、音が遠くに聞こえる。弾丸の並んだ棚から新しい弾を留めているロープを外す。抱えるほどの大きな弾丸を転がすと、ごろごろという音と木製の床が軋む音がした。
大砲に弾丸を詰めて、砲手が難破船に向かって放つ。どかんという激しい破裂音と火薬の匂いがたちこめる。武装商船の砲門は計六門。難破船の位置によって左舷側と右舷側、どちらの大砲を使うかは変わる。現在は右舷側の三門が続けざまに火を吹いている。一方で難破船の砲門は左舷側と右舷側の計二門しかない。砲門が少なく動きも鈍い割に、粘っている。
大砲用に設置された開閉式の窓から、大量の水飛沫が上がっているのがヨラには見えた。難破船の大砲の照準精度が上がっている。じきに武装商船に当たるのではないかとヒヤヒヤしながら、ヨラは次の弾丸を砲手に渡す。
ガンという激しい音がして、ヨラたちの乗った武装商船が大きく揺れた。
「当てられた!?」
「バカ言うんじゃねぇよ! こっちは武装商船だ! 船体はきっちり鉄で覆ってる!」
砲手の怒号の後すぐ、船が大きく揺れた。難破船の大砲がぶつかったような衝撃はない。ヨラは転がしていた弾丸と共にふらつきながら、船倉の床に尻餅をつく。
「なんだ……? 急に揺れた」
「船長か航海士のばあさんだろうよ! 照準合わせー!」
砲手によると、船長か航海士のばあさんが武装商船の舵を大きく切ったのだという。船が動けば、当然難破船との位置も変わる。砲手たちは小窓から外の様子を覗いて、難破船との位置関係を把握する。
ズドンという大きな音がして、窓から身を乗り出していた砲手が一人、海に落ちた。
「大丈夫か!」
「生きてる! 縄ばしご投げてくれ!」
「おいヨラ! あいつの代わりに撃て!」
「そんなこと言っても、どうするんだこれ!」
ヨラは戸惑いながらも、真ん中の大砲に駆け寄って砲身を覗き込む。煙の匂いと煤で咽せそうだ。
「照準合わせろ!」
ヨラが大砲の向きを難破船に向けたところで、海に落ちていた砲手が戻ってきた。ずぶ濡れだ。左腕が赤く腫れ上がり、妙な方向にねじ曲がっていた。
「腕!」
「わりぃ。腕の骨が折れた。教えてやるから、ヨラ、お前が代わりに撃て」
「射角は!?」
「この距離だと弾丸は真っ直ぐ飛ばん! 斜め上!」
左腕を骨折した砲手は弾丸の乗っていた棚の床板を外す。砲手がシャツの端をくわえて目一杯引き裂くのを横目に見ながら、ヨラは大砲の射角を調整した。その間にも砲手は折れた左腕に床板を添え、引き裂いたシャツでぐるぐると巻き、固定している。
再度照準を合わせ直した砲手たちが次弾を装填し、次々と難破船に撃ち込んでいる。ヨラは他の砲手が修正した大砲の射角を見ながら真似た。大砲に弾丸を詰め込んで、導火線に火をつける。
──海賊め!
ちりちりと導火線が燃えていくのに合わせて、ヨラの怒りも湧き上がる。激しい爆発音がして、ヨラが初めて撃った弾丸が難破船に飛んでいく。煙の中で目を凝らしながら、ヨラは弾丸の行方を見守った。
──上に飛ばし過ぎたか?
射線を見てヨラがそう考えたとき、弾丸は難破船の甲板で破裂した。難破船がひしゃげていく。
「よっしゃ! ヨラ、お手柄だ!」
射角を調整するヨラの目に、難破船の甲板の上で白旗が振られているのが見えた。
「白旗! 白旗だ!」
ヨラの叫び声がまるで聞こえていないかのように、砲手たちは油断のない目を難破船に向ける。砲弾の導火線に火こそつけないが、いつでも撃てるように構えている。
やがて船倉にも船長からの停戦連絡が届いた。砲手たちは構えていた大砲から弾丸を戻すと、ようやく歓声を上げた。
白旗の上がった難破船に、武装商船の船長は船員たちを送り込んだ。小舟に乗る船員たちに混ざって、ヨラも難破船へと向かう。大海原に小舟で漕ぎ出すのは、アインツとの船旅をヨラに思い出させた。
海戦の高揚が退いてきて、ヨラは大きく息をついた。小舟で難破船に近づくほど、エルシュタット公国の港から見送った商船だというのがわかる。
ヨラの喉に何か重苦しいものが詰まったような感覚がある。小舟に乗った船員たちが難破船に注意深く視線を向ける中、ヨラはそっと難破船の船首を見た。船首にぶらさがったドリス商会の旗の残骸が、煤で汚れ、破れて小さくなっている。
──アインツの乗っていた船だ。
そうでなければいいという、ほのかな期待は裏切られた。ヨラは重い足取りで縄ばしごを使い、難破船の甲板に上がる。ひどい有様だった。甲板にはいくつも大穴が空き、船員や海賊たちの亡骸が転がっている。幽霊船さながらだ。
ヨラは思わず口元を抑えた。火薬と焼け焦げた臭い、鉄錆びたような血の匂いが漂っている。まだ息があるのか、うめくような声も聞こえる。
足をすくませるヨラをよそに、武装商船の船員たちは淡々と手配を進めている。こみあげてくる吐き気を堪えながら、ヨラは海に向けて逸らしていた目を難破船の甲板に向けた。
「生存者は?」
「ドリス商会の奴なら、ヨラがわかるだろ。ドリス商会の船員と海賊、見分けてくれるか?」
弱々しくうなずくヨラの目の前で、倒れていた難破船の船員の手がよろよろと上がった。
「……ヨラ?」
「アインツ!?」
悲壮な声をあげたヨラが、アインツに駆け寄る。ヨラはアインツが、エルシュタット公国の港で見送ったときと同じ服を着ていることにようやく気がついた。アインツの全身はすっかり血に染まっている。ヨラがアインツの頭を起こすと、甲板にぽたぽたと血が垂れた。
ヨラは武装商船の船員に視線を送る。船員たちは弱々しく首を横に振った。ヨラの手が震えるたびに、アインツの血が甲板に広がっていく。
「アインツ、しっかり」
大砲に当たったのだろうか。煤にまみれたアインツは、身体を動かすのも億劫だというようにぐったりと横たわっている。ヨラはこみあげる涙を堪えながら、嗚咽を必死に喉の奥に留める。
「……また、会えるなんてなぁ」
「うん。また会えた」
煤と血にまみれたアインツの顔色は悪い。青ざめた唇も、まぶたも小刻みに震えている。
「……ごめんな、ヨラ。オレ、海賊になっちゃったわ……。海賊に捕まっちまった」
「しゃべるなよ。傷が開くだろ」
「助からねぇよ。船の上じゃ貴重なんだから、薬、使うなよ」
「こんなときまで軽口かよ」
「でもよかった。……オレ、海賊向いてねぇもん」
アインツは傷だらけのまま、薄く笑う。弱々しく上がった手をヨラが握ると、浅い呼吸をしていたアインツの身体から安心したように力が抜けた。
「アインツ!」
アインツの唇は微かに動くが、声にならない。けれどもヨラには、アインツが「またな、ヨラ」と言ったのがわかった。
「アインツ! 目を閉じるな! ……おい! アインツ……」
力が抜けていく身体を支えながら、ヨラは何度もアインツを呼ぶ。ヨラの涙まじりの声が掠れて、嗚咽に変わった。
──俺が、撃ったのか。
アインツを覆う血の跡は真新しい。難破船の甲板にいたアインツを、ヨラの撃った大砲が襲ったのだろう。ヨラはこみあげてきた悲しみの叫びを上げる。
走馬灯のように、アインツとのさまざまな記憶がヨラの頭をよぎる。ドリス商会の商船に乗ってスプルース大陸に向かう途中で、海賊に襲われたこと。二人で逃れて大海原に小舟で漕ぎ出したこと。武装商船に拾われて、エルシュタット公国に戻れたこと。ドリス商会で過ごした、短いながらも平穏な日々。別の商船に乗るアインツを港で見送ったこと。そのどれもでアインツは軽口を叩いていた。気の置けない仲だった。
事切れたアインツの顔が、涙でにじんでよく見えない。悲しみに声を枯らすヨラに、武装商船の船員がぽつりと言った。
「……ヨラは悪くない。余計なことを、考えるなよ」
ごしごしと涙を袖で拭ったヨラの目に、穏やかなアインツの死に顔が映った。海風がアインツの髪を撫でていく。赤く染まったアインツの毛の先からヨラの手にぽたりと血が落ちるのが、ランタンの光に照らし出された。




