第三話
ヨラたちが乗った武装商船は、彼らの故郷・エルシュタット公国の港に向かっている。エルシュタット公国は海沿いの国だ。かつては小さな国だったが、大陸間を長距離航行できる帆船が作られるようになってから、めきめきと頭角をあらわした。海を隔てたセルリア大陸との交易を盛んに行い、さまざまな国が育んだ文化や発明を取り入れ、今やスプルース大陸の主要な貿易港を持つ国として、大いに発展している。
「おーい、朝だぞ。そろそろ交代!」
船倉のハンモックに揺られていたヨラは、交代の声を聞いてごそごそと起き上がる。反動を使って床に降りると、樽の前に並んだ。眠っていた船員たちは皆、起き抜けに水を飲むために並んでいる。
「おはよう」
「おはよー。まだ眠いや」
寝ぼけ眼の船員たちと水を飲むと、ヨラは甲板への梯子を上る。トントンと小気味いい木材の音がして、朝の日差しが差し込んでくる。船尾の方角の水平線から上った太陽が、マストにかかった帆を照らし出している。
ヨラは眩しさに目を細めながら、操舵室に向かった。海風が心地いい。先ほどまで眠っていた船倉のじっとりとした気配がすっかり洗い流されるようで、ヨラはうんと腰を伸ばした。
操舵室には既に船長の母である航海士がいて、海図とにらめっこをしている。
「おはよう」
「はいよ、おはよう。太陽と風の向きは見たかい?」
「左舷側の船尾から太陽が上ってた。風向きは船首に向かう微風」
「いいね。季節と時刻、太陽の位置で、船の向きを確かめるんだ。おおよそこんなところか」
航海士の老婆は海図の上でごそごそと器具を動かして、船の向きに合わせた海図を見せる。ヨラはその手元を覗きこむが、なんとなくの意味しかわかっていない。
「そろそろ陸が近づいてるはずだよ。見張り番に気合い入れとけって言ってきな」
「アイアイサー」
操舵室を出たヨラは、甲板で風に吹かれながら、ゆっくりとマストに近づいていく。マストの上の見張り台には、アインツともう一人の船員がいる。
「おーい! そろそろ陸に近づいてるらしいから、気合い入れろって、航海士が!」
「航海士のばーさんが? じゃあ今日には着くな。おいアインツ、お前も気合い入れろよ! 陸を見逃すな」
「アイアイサー」
アインツがあくび混じりにそう答える。マストの上で日差しを遮るように額に手を当てるのが見えた。
「ヨラ、ちょっと手伝ってくれ。朝飯の魚釣り」
「アイアイサー。航海士に言ってから来る」
「はいよ」
ヨラは操舵室に戻って一声かけると、すぐに甲板に戻る。他の船員たちと並んで、釣り竿を海に向けて振るう。ヒュッという音がして、浮きがぽちゃんと海面に落ちた。海鳥が何羽も風に乗ってゆらゆらと飛んでいる。海鳥がいるということは、魚もいるのだろう。
「貯蔵してる食料もあるにはあるんだけどさぁ。旅が長くなると、少なくなってくるだろ?」
「前の船でもそうだった」
「だよなぁ! パンとかカッチカチで、スープでふやかさないと食えたもんじゃねぇよ」
ピンと引いた釣り糸に気づいて、船員たちが釣り竿を引く。何人かが釣れたようだ。ヨラは他の船員たちの釣り糸と絡まないように、少し距離をとって船べりごしに海を眺めた。ヨラの浮きは、まだぴくりとも動かなかった。
「やらんからな! むしろお前を捕まえて、羽根をむしって食うぞ!」
釣り上げた魚を狙う海鳥に、船員たちが笑い声を上げている。ヨラは一度浮きを手元に戻して様子を見る。ごく小さな魚が釣り針にかかっている。
「ヨラー。それじゃ俺たちのメシには足りんだろ。それをエサにして、もう少し大物を狙うんだな」
「だよなぁ」
ヨラはがっかりと肩をしょげさせて、再び浮きを海に放り込んだ。
「陸だ! 陸が見えた!」
見張り番の声がして、甲板がにわかに慌ただしくなる。釣り竿を海に向けていた船員たちもどよめいて、次々と浮きを甲板に引き上げた。
「よっしゃー! 久々の陸だー!」
「俺、めっちゃメシ食う!」
「俺も俺も! ローストチキン食いたい! シチューもいいな!」
賑やかに笑い合う船員たちをよそに、ヨラは手紙を入れた胸元をぎゅっと握りしめた。自分たちの乗っていた商船が海賊に襲われたのだと、ドリス商会に伝えなくてはいけない。
港に近づくごとに、他の商船も増えてくる。船同士がぶつからないように操舵室が騒がしくなる。船長は舵をとりながら連絡係の報告に神経を尖らせ、航海士はその横でのんびりと茶を飲んでいる。ヨラも甲板と操舵室を何度か往復した。
ゆっくりと港に入った武装商船が、船着場に錨を下ろす。入港許可証を持った航海士が、かくしゃくとした足取りで梯子を下りていく。そのあとを追うように、腕っぷしの強そうな船員たちが二、三人ついていった。
「ばーさん、元気だな」
「腰は痛そうにしてたけどね」
ヨラとアインツは顔を見合わせて少しだけ笑うと、自分たちのこれからのことを考えた。ドリス商会の本部に向かわなくてはいけない。甲板から久々に港の賑わいを眺めている二人の元に、船長がゆっくりと歩み寄ってきた。
「お疲れ。ヨラ、アインツ、お前たちも行っていいぞ」
「船長。ありがとうございました」
「……まあ、また縁があったらな」
「はい。そのときはよろしく」
港を眺めていた二人は、船長に礼を言うと梯子を下りて、懐かしい港町を歩いた。港の市場を越えて、ドリス商会の本部の前に立つ。大きな煉瓦造りの門と、木材の扉がある。ちょうど馬車が入っていくところだった。
「あのう、ドリス商会の商船に乗っていた者です。オレたちの乗ってた船、海賊に襲われて……」
「船長から手紙を預かってます。商会の人に渡してくれって」
アインツが船長から渡された紋章を門番に見せると、険しい顔をしていた門番が悲しげに眉を下げた。扉をくぐって本部の受付に同じ話をする。そばかすの乗った受付嬢が、頬を強張らせながら手元の帳面をめくった。
「はい、確かに。アインツさんもヨラさんもうちで船員登録してますね。この度はご苦労様でした。……大変だったでしょう」
「めちゃくちゃ大変だったよ! こーんな小舟で、大海原を越えてきたんだぜ! 途中で武装商船に見つけてもらえなかったら、どうなってたか……」
「紋章とお手紙を預かりますので、受領書を受け取ってください。しばらくは宿舎で休んでくださいね。お食事は食堂で出ます。お話を伺うまで、本部内にいてください」
「わかった」
ヨラとアインツはいそいそと食堂に向かい、パンとミネストローネを頼む。少しして出てきた料理を持ってテーブルにつくと、スプーンを構えた。ミネストローネに浮かんでいるキャベツの葉は、船の上ではなかなか食べられなかったものだ。酢漬けにした野菜や日持ちのする野菜はあるが、それも頻繁に食べられるものではない。
「久しぶりにキャベツらしいキャベツを食った気がするなぁ」
「やさしい味って、なかなかね」
「腐らないように塩っけとか、酸味が強い食材ばっかだもんな。……うお、パンもふっかふかの焼きたてだ」
かきこむように食べてパンを喉に詰まらせそうになったアインツに、ヨラは水を勧めながら深いため息をついた。
「……これからどうなるんだろうな、俺たち」
「知らね。別の商船に乗るんじゃね?」
あっけらかんとしたアインツを前に、ヨラはスプーンを持つ手に力をこめた。ヨラたちが最初に乗っていた船の甲板に海賊の大砲が撃ち込まれて、大穴が空いた光景が思い出された。
「それでまた、海賊に襲われるのか?」
「もういやだよなぁ、あんな経験は。……ヨラ、船乗りやめるのか?」
ヨラは肩をすくめて、テーブルの木目をじっと見つめる。次に天井からぶら下がる灯りに目を向けて、揺れていないのを不思議に思った。船に乗っていた間は、天井から吊るした灯りも波に合わせて揺れていたのだ。
──根っからの船乗りなんだな。
ヨラは苦笑いして、パンの欠片を飲み込んだ。ヨラの胸の奥にちりちりとした火種が残っている。最初に乗っていた商船の船長も船員たちも、海賊に襲われていいような人たちではなかったはずだ。
「やめないけどさ。……武装商船に乗れないかな?」
「は!? お前……マジかよ。確かに武装商船なら、海賊が襲ってきても互角以上に戦えて安心だろうけどさ」
ヨラは皿に残ったスープをすっかり飲み干して、パンでぬぐって食べた後、テーブルの上に視線を落とした。
「そういうんじゃないんだ。海賊が、憎くて憎くて仕方ないんだよ」
【参考資料】
I-IRO 色彩図鑑
https://www.i-iro.com/dic/




