第二話
小舟に乗って数日、ヨラとアインツはオールを漕ぎに漕いだ。海賊船がようやく見えなくなった頃、マストに折りたたんでいた帆を張った。懐中時計の時刻と太陽の高度、夜には北極星を探して方角を修正しながら大海原を進むのは、なかなか骨が折れる。
「ああー、もうオールは漕ぎ疲れたって。陸に戻る商船の航路に入ろうぜ。拾ってもらった方が楽だろ」
「うん。小舟で陸まで行くよりは、生存率が高そうだ」
交代してヨラがオールを漕ぎ、アインツが辺りを航行する商船を探す。じりじりと焼けるような日差しで、皮膚がすっかり赤くなっている。小舟での船旅がはじまった頃、二人はときどき日に焼けた肌に海水をかけたが、じきにそれもやめた。日に焼けた肌には、海水が染みるのだ。商船にいた頃には船内での作業も多く、夜にはハンモックで眠っていた。今は昼夜を問わず、どちらかが船を漕いでいる。
「おい、船だ!」
「海賊船じゃないよな?」
「わっかんねー。ヨラ、お前見えるか?」
「もう少し近づかないと見えねぇよ」
船が見えるとなると、俄然オールを漕ぐ手が張り切る。ヨラとアインツはぐいぐいと小舟を漕いで、船に近づいていく。ヨラは小舟の上から、旗を注意深く探した。船首には鉄でできた衝角があり、やけに大砲の数が多い。船体のところどころに鉄板も貼ってある。
──あの武装、まさか海賊船じゃないだろうな……。
緊張でごくりと唾を飲み込んだヨラの目に、海風にはためく旗が見えた。紺碧に白で女神像を染め抜いた旗──ヨラたちの生まれた国、エルシュタットの旗だ。ヨラたちが乗っていた商船の船首には、女神像があった。その女神像にも似た神々しさに圧倒されて、ヨラは声を震わせた。エルシュタットの旗の下には、商会の旗が揺れている。
「……エルシュタットの船だ」
「大当たりじゃねぇか! よかった! よかったなぁ! ……おぉーい! ここだ! ここにいるぞー!」
アインツが大きく手を振ると、小舟が揺れる。ヨラはオールを漕ぎながらエルシュタットの商船に近付いていった。
「どうした?」
「海賊に襲われた!」
「そいつは災難だったなぁ」
エルシュタットの商船のすぐそばにたどり着くと、甲板から縄ばしごが下りて来た。ヨラとアインツは縄ばしごを上って商船の甲板に向かう。縄ばしごはぐらぐらと不安定だが、大海原を小舟で旅するよりもずっと安定している。
二人は船べりをまたいで甲板に出ると、大きく息をついた。ヨラは甲板の様子に目ざとく視線を光らせる。船員たちの服装、仕草、積荷の様子……どれも整っていて、海賊という雰囲気ではなさそうだ。船員がコップに水を入れて来て、二人に差し出した。
「ありがとう」
ヨラとアインツはコップを受け取って、がぶがぶと水を飲み干した。
「うめぇー! 生き返る!」
「水はもう飲み切ってたのか?」
「いや、節約してたから」
「……ああ、小舟だと陸まで何日かかるかわからんからな。もう安心だぞ」
「この船、どこに向かう船ですか? 旗はエルシュタットのものだけど」
ヨラはコップの水を飲んで一息ついたあと、ようやく切り出した。答えようとした船員を遮って、船長らしき男がゆっくりと歩み寄ってくる。木の甲板を歩く靴音が、こつこつと響く。灰色の髪を後ろに撫でつけた、眼光の鋭い男だった。
「俺が船長だ。この船はエルシュタットに帰るところだな」
「よかった! 乗せていってもらえませんか?」
「構わんよ。ただし船の上で客人扱いはしない。働いてもらうことになるが……。前の船では、どんな仕事をしていた?」
ヨラとアインツは顔を見合わせると、「下っ端だから、大したことはできませんけど……」と困惑しながら愛想笑いを浮かべた。
「……なに、陸まで数日ってところだ。雑用ならできるだろ」
ほっと胸を撫で下ろすヨラとアインツの前で、船長は苦々しい顔をした。歓迎されていないのだろうかと戸惑うヨラに、船長は険しい目元を緩ませて小さく笑った。
「この船は商船だが、私掠免許を持った武装商船だ。……半ば、海賊みたいなもんだな」
海賊と聞いて、ヨラの胸の奥でふつふつと憎しみが燃え盛った。数日前、突然商会の旗を下ろして海賊旗を揚げた彼らに襲われたばかりだ。ヨラやアインツと苦楽を共にしてきた船長や船員たちが、どうなったのかさえわからない。
──私掠免許って、なんだよ。
アインツが重心を落として身構えている。ヨラは初めて聞いた私掠免許という言葉がわからず、腰のナイフを探った。船員からどっと笑い声が漏れた。
「心配すんなって! 海賊じゃねぇよ。武装商船だって言っただろ?」
「私掠免許、知らんのか? 海賊をぶちのめしていいっていう、王様からのお墨付きよ!」
腕をまくって力こぶをパシンと叩きながら、船員たちが笑い声をあげる。まるでヨラやアインツの乗っていた商船が貧弱だったと言わんばかりの船員たちに、ヨラは少しばかりムッとし、アインツは食ってかかった。
「オレたちが乗ってた商船も、海賊と戦ったんだ!」
「それでもこの船とは武装が違うだろ? 大砲は何門だ?」
「……右舷と左舷に一門ずつ」
「この船は左右に三門ずつの、計六門よ!」
食ってかかろうとするアインツを制して、ヨラはじっと船長を見つめた。船長はあごに手を当てて、じっと二人を観察している。
「お前らが警戒するのも無理はない。海賊に襲われたんだからな。……どの辺りの海域だ? お前らの船は、どこの商会のものだ? 船長は? お前らの名前は?」
「俺はヨラ。こっちはアインツ。俺たちの乗ってた船は、エルシュタット公国のドリス商会の船だ。船長は……」
矢継ぎ早の質問に、ヨラは一つ一つ答えた。多少ぶっきらぼうになるのは、まだヨラの中にうっすらとした警戒が残っているからだ。船のへりを水かきのある足でペタペタと歩いていた海鳥が、首を傾げて飛んでいった。
「お前らの船長、元軍人か。名前に心当たりがあるぜ。……そうか、あいつがなぁ……酒場で一緒に飲んだことがある。残念だ」
「おい、まだ死んだって決まったわけじゃないだろ!」
アインツはイライラと足を踏み鳴らして、私掠船の船長に掴みかかろうとする。ヨラが羽交い締めにして止めなければ、船員たちがあっという間にアインツを組み敷いただろう。殴られて歯の一本も飛んでいったかもしれない。
「アインツだったか。お前は血の気が多いな。甲板で作業しろ。ヨラ、お前は航海士の補助に回れ。小舟でここまで来たんだ。方角だのなんだの、見てたのはお前さんじゃないのか? さっきからよく観察してる」
「……了解」
まだ鼻息の荒いアインツを抑えながら、ヨラは短く返事をする。私掠船の船長はニヤリと片頬をつりあげて笑った。
「この船ではな、アイアイサーって言うんだ」
「……アイアイサー」
ヨラとアインツの乗って来た小舟が、ロープで甲板まで引き上げられている。今見ると殊更に小さな舟に見えて、ヨラはぶるりと身震いをした。この小舟で昼夜を問わず、大海原を渡って来たのだ。
ヨラは急にほっとして、力が抜けた。張り詰めていた気が抜けて、アインツを抑えていた腕の力が緩んだ。その隙をついて、アインツが船員たちによたよたと飛びかかっていく。途中で前のめりに倒れた。
「お前、うちの船員猫よりも動きが鈍いな。ちゃんと飯食えてたのか?」
「……猫?」
「食糧倉庫に猫がいるぜ。ネズミ退治の専門家だ。……よし、アインツ、お前のこの船での最初の仕事は、魚釣りだな! 猫の分の魚を釣り上げろ!」
あれよあれよという間に釣り竿とバケツを押し付けられて、アインツは怒りを削がれてしまったようだ。振り返ったアインツに、ヨラは肩をすくめてみせた。水平線が、傾いた日差しの色に染まりつつあった。
ヨラが船長に案内されて操舵室に入ると、長い髪をひっつめにした老婆がずり落ちた眼鏡を上げて、海図に何か書き込んでいるところだった。
「うちの航海士だ。……母さん、よろしく頼むよ。こいつはヨラ」
ヨラは目を丸くした。広い海には女性船員もいると聞くが、出くわしたのは初めてだ。ましてや老婆、船長の母親である。
「なんだい。海賊に襲われたって? あたしがこの船の航海士だよ」
「よろしくお願いします」
「あんたは何ができるんだい?」
「前の船では雑用をやってました。昼の間の見張りとか」
「ッカー! わかってないね。見張りは雑用じゃない」
挨拶をしたヨラをよそに、老婆は海図の上の器具を操りながら「見張りやってたんなら、太陽の高度やら風の向きやら、多少はわかるだろ」としわくちゃの口をすぼめた。
「陸に着くまでに、簡単なことは教えてやろうじゃないか。……ものにするかどうかは、あんた次第だよ。あと、敬語はやめな。あたしらが乗ってるのは私掠船だ。海賊を狩る海賊みたいなもんさ。義賊だなんて言う奴もいるが、そんなもん海賊にいやしないよ。みぃんなただの荒くれ、略奪者だ。そんな奴らがかしこまったって、意味がないからね」
「わかりました」
「敬語はやめなって言ったばかりだろ」
「……わかった」
「いい子だ。……この船の連中は、海賊に恨みを持ってる奴らばかりだ。船べりに海賊の首を並べて、一つずつ石をぶつけて海に落とすような連中だ。アンタも似たようなもんだろうが、気をつけるんだね」
ヨラの中にも、海賊と聞くだけで血がふつふつと燃えたぎるような強い憎しみがある。武装商船の船員たちが半ば海賊だと自分たちのことを笑うのが、ヨラには理解できなかった。
──海を荒らす海賊を退治してるんだから、違うじゃないか。
アインツと小舟に乗っていた頃には大きく聞こえていた波音がほんの少し遠くなったような気がして、ヨラは老婆の手元の海図に視線を向けた。
【参考資料】
Wikipedia / Weblio




