第十二話
嵐が過ぎてからも、海はしばらく荒れていた。通常海賊は船団を作って商船を襲撃するが、どうやら嵐ではぐれた海賊船だったらしい。ならば近くに他の海賊船もいるものと武装商船の面々は気を引き締めたが、結局は見つけられなかった。
「嵐を避けて、どこかの隠れ島に上陸したのかもしれないね」
航海士のばあさんがそう言うと、武装商船の船員たちはペッと唾を吐いたり、いけすかないとばかりに太々とした眉をしかめたり、口元をひん曲げたりした。皆、海賊たちが心底嫌いなのだ。私掠免許を掲げて、海賊相手に大立ち回りをするほどには。
──なのにどうして、『海賊を狩る海賊』なんて自分たちのことを言うんだ?
ヨラにはまだ、その気持ちはいまいちわからない。
武装商船は名残の風を帆に受けながら、エルシュタット公国へと帰港した。入港の鐘が鳴るのを聞きながら、ヨラは船べりに頬杖をつく。
武装商船の船員たちにも、もしかしたらヨラと同じような経験があるのかもしれない。武装商船で海賊たちと戦ううちに、アインツのように、かつての仲間が海賊に捕えられたこともあったのかもしれない。彼らが海賊を狩る海賊だと自嘲するのは、その表れなのかもしれない。
ヨラはエルシュタット公国の懐かしい景色を船上から眺めながら、海鳥たちの鳴く声を聞く。
「ヨラ、お前、ドリス商会に戻るか?」
コツコツと木製の甲板を歩く音に振り返ると、船長がいた。
「どうして?」
「アインツの仇は討ったろう」
ヨラは目をくるりと回して考え込む。仇を討ったと言えば討ったし、討っていないと言えばその通りだ。海賊はまだいる。何より、海の上での戦いでは、仇を討ったという実感に乏しい。大砲を撃ったという感覚はあっても、海賊を倒したとは思えなかった。
航海士のばあさんによると、武装商船の船員たちは船べりに海賊の切り落とした首を並べて、石を投げて海に落としたという。そこまですれば、仇を討ったという実感が湧くのだろうか。
ヨラは船べりに手を下ろして、ギュッと握りしめた。
「嫌だよ。海賊なんてものがいるから、アインツはあんなことになったんだ」
「……そうか。お前、アインツの故郷はわかるか? 届け物を頼まれてくれ」
「わかった」
アインツの遺体は海に流した。海で亡くなった者たちは、誰でもそうだ。武装商船の船員でも、海賊でも、商船の乗組員でも、航海している間に亡くなれば海に流す。船の上ではいずれ腐ってしまうし、虫が湧いて、生きている者たちの病気の元になってしまう。
武装商船の船長が小さな袋をヨラに手渡す。口を縛っている紐をほどくと、ヨラとアインツが大海原に小舟で漕ぎ出したときに持っていた商船の紋章と、アインツの遺髪とナイフ、金貨が数枚入っていた。
「アインツの遺品だ。お前がアインツの故郷に届けろ」
「……うん。ちゃんと届けるよ」
「それからこれは、お前の給金」
「え、こんなにいいの!」
「よく働いてくれたからな」
ヨラは港に降り立って、武装商船に手を振る。船に残っていた乗組員たちが、手を振り返してくれた。
港町で公共浴場に行き、食事を摂る。一晩宿でぐっすり眠った翌朝、ヨラはアインツの故郷へと旅立った。
乗合馬車に揺られながら、長閑な景色を眺める。船の上とは違う揺れに、ヨラはいつまで経っても慣れない。船の揺れは、たゆたう海の波そのものだ。天候によっては激しいこともあるが、馬車の揺れよりは優しく、座っていて尻が痛くなるようなこともない。
馬車に乗り合わせた他の乗客を眺める。様々な年齢の人が、めいめいの時間を過ごしている。ヨラはあくびをして、うとうとと船を漕ぐようにまぶたを閉じた。
「どうどう、どうどう」
馬のいななきで目が覚めたヨラは、窓の外に視線を走らせる。どうやら目的の街に着いたようだった。御者に礼を言って乗合馬車から降りる。
きょろきょろと辺りを見渡すヨラの横を、鍬を抱えた農夫が通り過ぎていく。麦畑では、よく育つようにと麦を踏み締める人々の様子が見えた。
「すみません! この辺に、アインツって人の家があるはずなんですが」
「アインツの知り合い? あっちの青い屋根の家だよ」
「ありがとう」
ヨラはアインツの家族にどう説明すればいいのか悩みながら、重い足取りで彼の家族のいる家に向かう。まだ青々とした麦畑の上を、さあっと風が吹き渡って、波のようにうねった。
荷車に置いた藁の上で、野良猫が丸くなっている。ヨラに気付くと、野良猫はピンと耳を立てた。武装商船の倉庫番の猫を思い出して、ヨラが頭を撫でようと手を伸ばす。野良猫はふいと顔を背けていなくなってしまった。猫らしい。
「ごめんください。アインツのご家族ですか?」
「そうですけど……」
アインツの家族にどう説明すればいいのか、結局決めることができないままだ。ヨラは青い屋根の家から出てきたエプロンをした女性に「俺はヨラと言います。ドリス商会で、アインツと一緒の船に乗っていた者です」と名乗った。
エプロンをした女性は、アインツの姉だという。ドリス商会の商船が海賊に襲われたこと、命からがら港に帰ってきたこと、アインツは再びドリス商会の船に乗り、ヨラは自分たちを助けてくれた武装商船に乗ったこと──ヨラの説明に、アインツの姉は何度も目尻にエプロンを押し当てた。
「ああ、よかった。あの子が海賊に捕まらなくて」
アインツが乗った船が再び海賊に襲われたことを話そうとして、ヨラは言葉を飲み込んだ。喉がカラカラに乾いて、声がくぐもった。
──この期に及んで、いい人でいたいとは思わない。けれどもし、自分がアインツのいる難破船に大砲を撃ち、それが元でアインツが命を落としたと知ったら、この目の前で涙ぐんでいる人は、アインツの遺品を受け取らないのではないか。
武装商船の船長から預かった金貨は、庶民なら何年も遊んで暮らせる金額だ。
ヨラが大砲を撃たなければ、間違いなく海賊は襲ってきただろう。海賊というのはそういうものだ。無抵抗の商船を襲い、略奪し、殺す……それが海賊だ。義賊だと嘯いたところで、欺瞞でしかない。ヨラとアインツが乗った船が襲われたのは、海賊の一方的な略奪行為によるものなのだから。
「……アインツは海賊に襲われて、命を落としました」
ヨラは嘘をつく後ろめたさに一瞬目を伏せて、アインツの姉に遺品を渡した。
「遺髪と金貨……それから、俺と一緒に乗ってた船の紋章が入ってます。二人でドリス商会に届けたものです」
アインツの姉は震える手で袋の口を開けると、わっと声を上げて泣き伏した。
「……失礼します」
ヨラはふらふらとした足取りで乗合馬車の駅に向かうと、ぼんやりと畑を眺める。
──これでよかったんだ。
海賊は国家に捕まれば、縛り首にされる。アインツが海賊に捕まってその一員になってしまったことを知れば、アインツの残された家族は苦しむだろう。
波打つ麦畑を眺めていると、アインツの姉が泣き腫らした目をしてやって来た。
「これは、あなたが持っていて」
ヨラの手に、アインツと二人で乗っていた商船の紋章が渡される。ヨラは紋章の刺繍をぎゅっと握りしめて、今にもあふれ出しそうになる嗚咽を必死に隠した。
──だから海賊を狩る海賊なんて、武装商船の連中は言うのか。
涙を流す資格は、ヨラにはない。海賊になってしまったアインツの乗る船に大砲を撃ったのは、ヨラなのだから。




