第十一話
うねる荒波にもまれて波間を上下する船は、だんだんと武装商船に近づいてくる。所属国を示す旗はない。雨風でマストに張り付いているわけでもなさそうだと、ヨラは大雨の中、目を細めた。降りしきる雨で視界が曇ってよく見えない。
「この嵐の中をもみくちゃにされるわけでもなく、突っ込んでくるかい。海賊だね。いい舵取りしてるよ」
航海士のばあさんは鼻を鳴らしながらそう言うと、くしゃみを一つして身震いをした。
「ヨラ! 大砲撃って、水柱で相手の航路を変えな! まだ当てなくていいからね」
「アイアイサー!」
ヨラは航海士のばあさんの言葉に従って、船倉へと続く梯子を下りていく。あまりの船の揺れに船酔いをしていた船員もいるようだが、ヨラは緊張感でそれどころではない。報告すると砲手は腕まくりをして「アイアイサー!」と鼻の下をこすった。
大砲の前に陣取って、砲手補助の船員が運んできた弾丸を手早く詰め、射角を整える。海に向かって大砲を撃つと、ドォンという激しい破裂音と煙のあと、天を衝くような水柱が上がった。嵐で波打つ海がさらに大きく揺れて、近づいてくる船が見えなくなる。波飛沫と雨が混ざって、海面にざあっと降り注いだ。
「相手の航路、変わったか!?」
「水柱と波で見えない!」
ヨラが小窓から覗き込むと、波飛沫と雨が飛び込んでくる。どちらの水滴なのかわからないまま、ヨラはぐいと顔を拭う。空が不気味に光ったかと思うと、数秒後に雷の音がした。
「雷だか大砲だかわかりゃしないな!」
砲手が不敵に笑って次の砲弾の準備をはじめたとき、海水をかき分けるようにして衝角……ラムの先端が現れる。わずかに残った水柱の向こうから船が突っ込んでくるのがヨラの目に見えた。
「衝角が見えた! 突っ込んでくる気だ!」
「やっこさん、やる気だな! おいヨラ! お前は操舵室の船長に報告!」
「アイアイサー!」
ヨラが甲板へと続く梯子を上ったとき、波飛沫が甲板を襲った。先ほどまで並べていたバケツはすでに片付けられている。船員たちが倉庫にでも入れたのだろう。甲板でロープを引っ張って帆の向きを変える船員たちをよそに、ヨラは操舵室に走り出した。
「船、接近中です! 水柱の中から衝角が……」
「はん、この嵐で大砲の照準が狂うからって、接舷戦に持ち込む気だね!」
航海士のばあさんは鼻で笑うと、舵をとる船長に視線で問いかける。船長は舵を操りながら窓の向こうの荒れた海に目を凝らしている。
「あんた、どうするんだい?」
「おいヨラ、鎖弾の出番だ。引きつけてから撃て」
「アイアイサー!」
雷のゴロゴロという音を聞きながら、ヨラは再び船倉に向かう。砲手は報告を受けると「遂に出番だな!」と目を輝かせて鎖弾をペシペシと叩いた。武装商船を駆け回っていたヨラは、ぜえぜえと肩で息をする。荒れた喉に大砲の煙が沁みるようだ。咽せるヨラをよそに、船員たちが鎖で連結された弾丸を大砲に詰めていく。
「鎖弾の尻尾が当たるかもしれんからな! 撃ったらすぐ離れろよ! 照準やや上! 合わせー! ……撃てー!」
大砲の前に煙がもうもうと立ち込める。ヨラは煙を手で追い払って、その向こうを凝視する。嵐の中に次々と飛び出していった鎖弾は、敵船の衝角のやや上を飛び越えていく。
「外れた!?」
「いや、尻尾が当たる!」
砲手の言葉通り、鎖で連結されたいくつもの塊が衝角に直撃して絡みつく。いくつかの木片が剥がれ落ちて海に落ちていった。
「敵船、損傷軽微!」
「尻尾の弾丸は小さいからなぁ」
砲手のぼやきと共に、破裂音が聞こえた。武装商船が大きく揺れる。敵船からの砲撃が船尾方向に当たったらしい。
「ケツ狙ってるのか! ばばあ、とっとと船を進めろよ! 足止め食ってんじゃねぇぞ!」
砲手は暴言を吐くと、鎖弾をさらに砲身に詰め込む。船尾には舵がある。武装商船といえども、舵を狙われればひとたまりもない。舵が壊れれば船は風や潮の流れに任せて進むしかなくなってしまう。
不安で息を呑むヨラの身体がぐらりと揺れる。船倉のランタンが大きく揺れて、薄暗い船室に伸びる影が形を変えた。敵船からの砲撃ではない。
──急速回頭したのか。
武装商船は大きく進路を変えたようだ。どうやら舵は無事らしい。海中にあるのと、海が荒れているのが幸いしたのだろう。
砲手たちが船倉に並んでいる他の大砲に向けて走り出す。ヨラは少し離れたところから彼らの勇姿を見守る。
「うちの鋼鉄のお嬢さんの尻を追い回すたぁ、ふてぇ野郎だな! 次弾、鎖弾! 照準合わせー! ……撃てー!」
大砲の音で耳がキンキンする。ヨラは開閉式の木製の小窓を押し上げて、海の様子に目を凝らす。発射された鎖弾は敵船の船首付近に当たり、次々と船体にめり込んでいったようだ。駆け寄って報告するヨラに、砲手はいつになく渋い顔をした。
「おいヨラ、覚えとけよ。船同士の戦いは、ケツにつけられたら厄介だ。あの衝角で突っ込まれてみろ。舵に損傷が出ちまう。近づけさせちゃなんねぇんだが……お前、甲板に出て、船尾から大砲撃てるか?」
ヨラはきょとんとして首を傾げた。武装商船の左舷と右舷に三門ずつの大砲があるのは知っているが、船尾にもあるとは聞いたことがない。これまでの船旅でも、スプルース大陸に到着してからの船上生活でも目にした記憶はない。
「船尾に大砲なんてあった?」
「移動式の大砲を、船尾側に設置するんだよ! 甲板の荷物置き場にある! 手入れはあまりしてないから気をつけろよ! 急げ!」
「アイアイサー!」
ヨラはランタンの灯りが不安定に揺れる船倉を駆け抜けて、甲板に出る。嵐で吹きつける海風が荒々しい。
──この雨で湿気るんじゃないのか。
ふと浮かんだ疑問を飲み下してヨラが荷物置き場に駆け寄ると、航海士のばあさんがカカカカッと奇妙な笑い声を上げながら、移動式大砲を引っ張り出すところだった。船員何人かで大砲を押して、船尾に設置する。ロープで足場を固定する者、木箱に入っていた弾丸を詰め込む者と、船員たちは忙しい。ヨラが大砲の射角を整えると、航海士のばあさんがランタンの火を導火線につけた。
「久しぶりの出番だね。暴れてやりな!」
耳をつんざくような爆発音が辺りに響いて、武装商船の船尾につけようとしていた敵船の衝角に弾丸がめり込む。とんがった衝角はボロボロと垢がこぼれ落ちるように、形を変えた。
武装商船の船尾側から大砲を撃つと、反動で海賊船との距離が大きく離れる。航海士のばあさんがマストの向きを変えるように指示したのだろう、武装商船の右舷側から船尾を狙って斜めに突っ込んできた敵船をかわすように、船は進んでいく。
武装商船の甲板の上はめいめいの作業を続ける船員たちの足音がドタバタと響き渡り、ときに雷や大砲の轟音でその音もかき消される。航海士のばあさんは器用に移動式大砲の向きを変えて、海賊船に向かって砲撃を続ける。
「うちのかわいいお嬢さんをつけ回すんじゃないよ!」
嵐の中での戦闘は熾烈を極めている。船倉の大砲とは違って、火薬の匂いと煙は雨風ですぐに押し流されていく。弾丸を詰め込んだ砲身の熱さに、ヨラはハッと手を退けた。雨だか波だかわからない飛沫が飛んできて、ジュッと音をあげた。
「接舷される!」
「しつこいったら、ありゃしない! お断りだよ!」
敵船の船首がぐいぐいと接近してくるのを、ヨラは見下ろした。船によって高さは違う。海賊船から武装商船に飛び移るには、梯子を上らなくてはいけないだろう。
焼けた砲身がわずかなインターバルの後に再び火を吹いたとき、海賊船のマストから大きな網が投げられた。海賊船から直接飛び移ることはできないが、網を渡って海賊たちが押し寄せてこようとしている。人数が多い。
「叩き落としてやりな!」
ヨラは素早く船べりに走って、先日研いだばかりのナイフで網目を作るロープを切っていく。屈強な船員が撃ち込まれた銛を抜いて海賊に向かって投げると、海賊船の投げた網が武装商船の外に落ちていった。網に捕まっていた海賊が何人か、海に落ちていく。
「ヒヤヒヤさせんじゃないよ、まったく! 次弾にブドウ弾、いけるかい?」
「アイアイサー!」
移動式大砲にブドウ弾を押し込むと、航海士のばあさんが手早く火をつける。低く轟く発射音と共に飛んでいった弾丸が海賊船の甲板に落ち、破裂する。弾丸の中に仕込んでいた釘が四方八方に飛んでいって、海賊たちの何人もが倒れたのが見えた。航海士のばあさんは呵呵大笑してみせる。
「こりゃあいい! 次弾もブドウ弾!」
ヨラが武装商船に積んだブドウ弾が、次々と海賊たちを襲う。海賊たちがうめいて動かなくなっていく様子を見下ろして、ヨラは海賊への憎悪で目を細めた。
──ざまあみろ。
他人から奪うことだけを考えてきた連中の末路など、こんなものだ。商船を襲い、積荷を奪い、船員たちをここで死ぬか海賊の仲間になるか迫る──そうやって勢力を得てきた海賊など、軒並み滅んでしまえばいい。ヨラの脳裏をアインツの死に顔がよぎる。
──これ以上、何も奪わせるもんか。これはアインツの仇だ。
ヨラはシャツの裾をぐるぐると手に巻きつけて火傷を防ぎながら、新たなブドウ弾を砲身にこめる。航海士のばあさんは狂ったように笑いながら次々と大砲を撃ち込んでいく。
海賊船の甲板で動く海賊がいなくなった頃、船は大きく進路を変えて、武装商船から離れていった。帆を操作していた海賊がいなくなったのだろう。操縦不能になった海賊船が嵐の大波に飲まれて岩礁に突っ込んだのが見えた。波飛沫が宙に舞い上がる。波や海、雷の音とも違う、メリメリという異質な音が聞こえた。
「はん! しつこいからさ!」
航海士のばあさんは鼻で笑うと、トドメとばかりにもう一発弾丸を撃ち込んだ。海賊船が紅茶に溶ける砂糖の塊のように、もろく崩れ去っていく。武装商船の船員たちがわっと歓声を上げた。
──もしかしたら、あの海賊船にもドリス商会の元船員がいたかもしれない。
そんな愚にもつかないことがヨラの頭をよぎるが、海賊という奪う側に回った元船員は、結局は海賊でしかない。
海賊への憎しみは底がなく、ぐつぐつと煮えたぎったマグマを噴き上げる火山のようだ。
それでもヨラは、武装商船の他の船員たちのように喜ぶ気がしなかった。かつてのアインツの姿が思い出されたからだ。




