終話 伊集院静の恋物語
私は、部活動に行くのがあまり好きではありません。私は伝統ある國與女大学の百人一首部の部長を不肖ながら務めさせていただいておりますが、部員が私しかいないのです。
私が一学年の際、百人一首部は四年生の方達しかおられませんでした。そして、私が二年生になったとき、その方々は卒業され、部員は私一人となりました。
ですがそれは一時的なことであろうと思っておりました。春になれば、新入部員が入ってくださりまた活気ある百人一首部に戻るだろうと思っておりました。
しかし、その私の楽天的とも言うべき目算は外れ、新入部員はお入りになりませんでした。一人っきりの部活。競技かるたを主な活動とするこの百人一首部で、一人で一体何ができましょう。団体戦に参加することもできませんし、何より一人では競技とは成り立たないものなのでございます。
文化部棟の百人一首部の部室へと向かう私の足取りは重く鉛のようでございます。部長という職務が無かったら、私自身も百人一首部の部室から足が遠ざかっていたと思います。ですが、一度引き受けた部長という職責を投げ出すようなことは、許されるはずもございません。
部長としての責任を全うしなければと思いながらも、部活動の時間を一人で過ごすのはとても悲しく、寂しいものでございます。部室へと向かう足は、ゆっくりとなってしまいます。歩幅が小さくなってしまいます。
パチ
廊下を見つめながら歩いていた私の心にその音が響きます。その音の正体は直ぐにわかりました。碁石が碁盤に打たれる音です。父も碁を指すので、その音が私には分かりました。
囲碁部。
國與女大学にも囲碁部があったのだとその時初めて知りました。そして、驚いたのは、扉が開かれ、その奥の部室で囲碁をされていたのが殿方であったことです。國與女大学は名前からも分かるとおり、女子が通う大学です。なぜ、囲碁部の部室に殿方がおり、そして囲碁を打っているのでしょうか。しかも、一人で碁を打っております。棋譜を並べていらっしゃるのでしょうか。
最初は狼藉かとも思いましたが、あまりに堂々とされています。それに、囲碁を一人で打ちながら、サンドイッチを食べているではありませんか。食べ物片手に囲碁を指すというのは、あまり褒められてことではないように思えます。それにパンくずが畳の隙間に入ってしまっては掃除が大変です。せめて、おにぎりを食べられて方が良いのにと思えます。
あの殿方は、狼藉なのでしょうか。しかし、まさか國與女大学の囲碁部に忍び込み、扉をあけっぱなしで、しかもサンドイッチを堂々と食べながら棋譜を並べている方が、狼藉であろうはずもありません。
ただ、その時は、不思議な部活動であろうと私は思いました。
・
孤独な部活動の時間は続きます。國與女大学は、部活動に入れる登録期間というのが設けられており、その期間を過ぎたら部活に入部することができません。つまり、私が2年生の間。そして、3年生になり新入部員の方が入ってくださるまで、その孤独は続きます。
五月の連休明けでしょうか。また、囲碁部の部室から碁石の音が廊下に響いていました。
そして、私もここまでくれば、その方の正体が分かります。答えは、囲碁部の顧問の先生なのでしょう。百人一首部の顧問の先生は国文学者の方で、万葉集などに関する研究に生涯を捧げたなのですが、お年であり、百人一首部の活動にまで参加されることが難しい方です。私も、百人一首部の部長となった時に、研究室にご挨拶に伺ったくらいです。
しかし、囲碁部の顧問の方は、囲碁部の部員がいない部室で、何をなされているのでしょうか。書見台に本を広げているところを見ると、やはり棋譜を並べ慣れているのでしょう。
ですが、部員がいないのに活動をされている顧問の先生というのも大変希有な方のように思えます。囲碁は相手があって初めて成立するものでございます。
……ですが、それは百人一首部でも同じ事。私はその方の姿を見て、はっと気付かされます。百人一首部は私しかいません。しかし、私一人でも出来ることがあるのではないでしょうか。
『名も知らぬ方……。感謝致します』と私はそっと一礼して、部室へと向かいます。そして、私は考えます。一人でもできる活動は何か。
例えば、百人一首の和歌を書き写し、その歌を深く味わうことも良いでしょう。それなら一人でもできるではありませんか。
春は過ぎました。『春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山 』の心境でしょうか。ですが、自分がその景色を眺めて居る心地となって、お茶を飲みながら景色を想像するのも良いでしょう。
百人一首部は、一人でも活動できるのではないでしょうか。それに、百人一首は孤独を歌ったが多くあります。
人生は、百人一首に似ていると思います。喜びの歌、恋の歌、悲しい歌、季節の到来を喜ぶ歌。喜びもあれば、哀しみもあります。そして、その歌を集めていく。取っていく。それが、百人一首部であり、そしてそれが人生であります。浅学非才な私ですが、人生が常に喜びに溢れた春ではないということは分かります。競技かるたでは、たとえ、悲しい歌が詠まれても、切ない歌が詠まれても、それを取らなければなりません。楽しい歌、明るい歌だけを選ぶことはできないのです。そして、それは人生も同じです。そして、それを、名も知らぬ囲碁部の顧問の方は教えてくださったような気がします。
あぁ。今日は、囲碁部の部室にいらっしゃるようです。この方は、三、四週間に一度という周期でどうやら囲碁部の部室に来られるようです。
ずっと御姿を拝見していたいのですが、それもままなりません。これは、『めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影 』という歌の通りでしょうか。春はとっくに過ぎ去り、夏も去ろうとしています。秋です。やっと御姿を拝見できたのに、まるで雲が月影を隠すように、ずっとあなたを見ていることなどできはしません。
「囲碁部の見学?」
廊下に立ち止まって、囲碁部の部室を見続けている時間が長すぎたのでしょう。私が部室の中を見つめているのに彼の方が気づいてしまわれました。
「あっ、俺は、この囲碁部の顧問の佐藤健一。囲碁部に興味あるの?」
「いえ……」
私は火照った顔を隠しながら、部室へと逃げ込みます。彼の方の名前は、佐藤健一様。その御名を心に焼き付けます。いえ、焼き付けようと為ずとも、忘れ得ぬ名前です。
・
最後に佐藤様の姿を拝見してから、三週間が立ったでしょうか。久しく佐藤様の打つ碁石の音を聴いていないように思えます。
少し切ない気持ちになっていると、私は、百人一首、五十五番目の歌を思い出しました。
『滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ』
解釈は異なるかもしれません。ですが、私は、あの方が打っている碁石の音を久しく聞かずとも、私の心の中ではその音は聞こえ続けています。そして私を勇気づけてくれているように思えます。
ですが、御姿を拝見したいという思いはあります。どうして、囲碁部に佐藤様は来て下さらないのでしょうか。ですが、『逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし』です。
佐藤様が囲碁部の部室に来て下さらないことをお恨みしてはなりません。ですが、『玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする 』という歌の気持ちも分かります。佐藤様の御姿を拝見できない切なさに、私はいつまで耐えられるでしょうか。
・
私も三年生となり、桜が咲きました。そして、國與女大学は新入生という熱気に包まれています。そしてその熱気は私の心も暖めてくれます。
新入生の部員を勧誘する時期となりました。そして、その期間はどうやら毎日、佐藤様は囲碁部の部室に来られるようです。毎日、御姿を拝見できる。このような幸せがあるのでしょうか。
そして私は浮かれてしまっていたのでしょう。部活動の終わりの時刻がとうに過ぎてしまっているのに、ぼぉっと佐藤様のことを考えてしまっておりました。
もう、振袖から洋服に着替え、そして帰宅せねばなりません。運転手様も私のことを心配していらっしゃるでしょう。
トン
「入るぞ—」
え?
私は着替え途中でございました。そして、あろう事か、それを佐藤健一様にみられてしまいました。
「おい、そろそろ施錠の時刻だ。早く帰宅するように」という声が扉の向こうからきこえました。
どうしましょう。肌を見られてしまいました。しかし、どうしたことでしょう。特に嫌な気持ちが致しません。
『伊集院家の娘は、夫となる者以外に肌を見せてはいけない』
佐藤様になら、見られても良かったのではないかという気持ちになります。そして私ははっきりと自覚致します。あぁ、私は、佐藤様に恋をしているのだと。
・
・
「静。どうしたのです? 今日はあなたの好物の揚げ出し豆腐だというのに、随分と食が細いではありませんか?」
「お母様。どうも今日は食欲が無く……」
「好きになった男でもいるのか?」とお父様がぼそりと言います。いつもお母様に怒られている父上ですが、たまに鋭い時がございます。
私はその言葉があまりに的を射すぎているのに驚き、箸で摘まんでいた揚げ出し豆腐を皿に落としてしまいました。そして、平兼盛 の『忍ぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで 』という和歌を思い出します。百人一首の四十番の歌でございます。恋というものは、顔に出てしまうものなのでしょうか。
ですが、間違い無く、私は恋をしています。
「まぁ」とお母様は嬉しそうです。
「どこの馬の骨だ?」とお父様が言ったのを、お母様がお叱りになりました。そうです。お父様は時として、デリカシーなるものが無いように思えます。
「佐藤健一様でございます。お父様と似たところがあるように思えます」と私は答えます。お母様に叱られて少し背中が小さくなったお父様ですが、お優しいお父様も私は大好きです。そして、佐藤健一様も、お優しい方だと私は思うのです。
「初恋は実らぬと言うがな」とお父様が言ったのに対し、お母様が「私の初恋は成就いたしましたよ」とお父様を見ます。すると、お父様は茹でた蛸のようになりました。
そして、私は言わなければなりません。私は箸を置き、姿勢を正します。
「お父様。お母様。私は、その佐藤健一様に、肌をお見せいたしました」
伊集院家の娘として、そのことははっきりと申し上げなければなりません。ですが、そこまでのことは予想していなかったのか、お父様とお母様も、顎が落ちてしまったかのようになっています。
しばらくの沈黙の後、「あなた」とお母様がお父様に言いました。
「静。添い遂げたいのだな?」とお父様が私に尋ねます。
私は迷わずに答えました。
「無論でございます」




