8.マイルズ・ティマカット
私は解毒薬を飲んで、ジャックの説明を待った。
「マイルズ」
ジャックはそれだけ言うと、口を閉ざした。
誰も言葉を発しなかった。
「反応なしか。どうやら俺の完全な勘違いみたいだったな。改めて自己紹介をさせてもらうぜ。俺の本当の名前は、マイルズ・ティマカット。こっちはアレックス。アレックスってのが本名だ」
「ティマカット?」
あれは隣国ではないか。こいつは隣国の王族なのか。
「お、名字を聞いてようやく反応したな」
マイルズはニヤリと笑った。今の彼は、また気さくな普通のおっさんのように見えた。
「てっきりお前らが、俺を暗殺しにきた刺客だと思い込んでいたんだ。今の様子を見るに、俺の誤解だったってわけか?」
「そうだ」私は頷いた。
「怖い顔をしてるな。ユーリ、まだ怒ってるのか?」
「ローズ様を侮辱したことのケジメは、まだつけてもらっていない」
「俺が? ああ、さっきのあれか。俺はローズちゃんのことを言っちゃいないぜ。俺が言ったのは、この国の王であるエディリオのことだ! ユーリはエディリオの騎士だろ?」
「過去の話だ。私の過去を知っているのか?」
「知っているつもりだったんだがな。どうやら重要な情報がいくつも抜けていたようだ。エディリオのことを汚らわしく醜いと言っても、問題ないよな?」
「問題ない」
「……どうやら、本当に『過去の話』のようだな」
「今はローズ様の騎士だ」
皮膚の傷は殆どが癒えており、戦斧に切り裂かれた脚の傷までも塞がっていた。私は行動能力を取り戻した。
そうして私は立ち上がり、長剣を構えてマイルズを詰問した。
「あなたに問う。ローズ様は世界で最も美しいお方か?」
「その手がきたか」
マイルズは自分の戦斧を一瞥したが、それを拾おうとはしなかった。
ローズ様はニコニコとマイルズを見つめていらっしゃる。
マイルズは片手で自分の顎髭を撫でながら、躊躇っている。
「もしローズ様が世界で最も美しいお方だと認めないならば、ローズ様に対する不敬の罪を犯したことになる。私はあなたを斬る!」
マイルズはしばらく考え込んだ後、答えた。
「いや、世界で最も美しいのは俺の嫁の、エリザベスだ!」
「その手がきたか? まあいい、妻というのであれば仕方がない。何しろ、恋は盲目という理には、世界中の誰も勝てないのだからな。では、ローズ様は世界で二番目に美しいお方だな?」
「いや、二番目に美しいのは俺の娘の、アンナだ!」
「今度は親馬鹿か……」
「お二人とも、もう夜も更けています。早く斬るなら斬って、さっさと引き揚げて、皆に寝させてくれませんか?」
と、アレックスが口を開いた。
「わりぃわりぃ」
「すみません」
ローズ様は、ほんの少しだけがっかりしたようであった。
「簡単に説明すると、こういうことだ。俺はお前がエディリオの手先で、俺を暗殺するために、形ばかり冒険者ギルドに加入したと思い込んでいたんだ」
「なぜあなたを暗殺する必要がある?」
「そこから説明しなきゃならんのか? いいか、冒険者ギルドは、アランダ国にとっては危険な存在だ。そのくらいは理解できるだろ?」
私は、初めて冒険者ギルドのアランダ支部を目にした時の感覚を思い出した――まるで、政府機関だった。
我が国において、冒険者ギルドは不法な存在である。あまりにも多くの犯罪事件に関与し、治安を悪化させているからだ。一方、ティマカットや他の多くの国では、高官への長期にわたる賄賂によって、冒険者ギルドは合法的に運営されている。
冒険者ギルドはアランダ政権を覆し、自分たちの運営を容認する人物に置き換えようと陰謀を企てているのだろうか。
「あのクズの統治下じゃ、この国はいつ崩壊してもおかしくない。その時がくれば、民衆は王を鍋に入れて煮ちまう。人々を動員する力があり、しかも国境を越えた人脈ネットワークを持つ冒険者ギルドが、禁止されるのは当然の話だ」
その言い分は、私の知っている理由とは食い違っている。
「そんな顔をするってことは、お前の中にはまだエディリオの騎士である部分が残っているな」
マイルズの眼差しが、唐突に優しくなった。それは私に対する憐れみであったのだろうか。
「事実として、俺たちがあのクズの敵であることは間違いないぜ。エディリオに迫害された連中が、大勢我が国に逃げ込んできていて、気づかないフリをするのは難しいな。
だがな、俺が冒険者になった理由は、そんなこととは一切関係ないぞ。俺は第四王子で、王位なんて遥か彼方だ。好き勝手にやりたいことをやれる立場だった。そして冒険者こそが、俺のやりたいことだった。そうこうしているうちに、うっかりSランクに上がっちまったな」
Sランクだったのか。道理で強いわけだ。あれは怪物専用のランクなのだ。
「Sランクは人数が少ないからな、ギルドの核心と皆仲が良い。俺はいわば、ティマカットと冒険者ギルドが協力するための主要な窓口だ。だから、暗殺者を送り込んでくるだけの価値はある」
「なるほど、私の過去を調べたから、私がその暗殺者だと思い込んだわけか」
「そうだ。結果は見事な大外れだったな。だが、こっちの方がお前に抱いていた印象にはしっくりくるぜ。焼き肉三皿で簡単に丸め込めるような奴が、暗殺者なわけないからな」
「私はそんなに食べたか?」
「食べました」「食べたぞ」
アレックスとローズ様が同時にそう言った。
「俺の話はここまでだ。次は、お前たちの物語を聞かせてもらえませんか? 魔王姫、それと、彼女の騎士さん」
◇◇◇
私はローズ様との出会いの経緯を簡単に説明した。
「死の深淵の付近に緑が戻ったって噂を聞いていたが、そういう理由だったか。魔王があそこにいなくなったからな……」
「エディリオは私の弟を殺した。だから、私が奴のために働くことなどあり得ない」
「了解だ。ってことは俺たちは敵じゃない。平和協定成立だ!俺の武器に触れても構いませんか、ローズ様?」
「わらわが許そう」
マイルズは戦斧を拾い上げ、再び背中に背負った。アレックスも短剣を拾い上げた。
「外に出ようぜ。マットはやきもきしてるはずだ」
◇◇◇
マットさんはマイルズの姿を見るなり、大声で叫んだ。
「ご無事ですか? わたしはもう、中へ突入するつもりでしたよ!」
その態度は、先ほどとは完全に異なっていた。まるでマイルズの方こそが、依頼を出した雇い主であるかのようであった。
「ああっ!」私とローズ様を目にすると、マットはさらに大きな声を上げた。護衛たちが武器を構える。
「問題ない。話し合いは済んだ。こいつらは敵じゃない、ただの普通の新人だ」
マイルズがマットに説明する様子を見るに、この依頼は、最初から私たちに仕掛けられた罠であったのだろう。
マットは少し考えた後、財布を取り出して金貨を何枚か数え、私に手渡した。
「あなたたちの報酬だ。鼠王は、もう戻ってこないだろうな?」
「戻ってくることはあり得ません。ありがとうございます」
少なくとも、鼠王の駆除を必要としていたという部分だけは、真実であった。
私は突如、マイルズが倉庫の中で口にした言葉を思い出した。
“エディリオに迫害された連中が、大勢我が国に逃げ込んできていて……”
「マットさん、この国、アランダについて……そして国王エディリオ陛下について、どのように思っていらっしゃるのですか?」
と、私は思わず問いかけた。
マットさんは私の顔をじっと見つめた。私がその質問をした動機を、確かめようとしているようであった。それから、彼は自身の物語を語り始めた。
「わたしは以前、ロゼに大きな店を構えていたんだ。妻と息子、二人の娘もみんな店を手伝ってくれてな。実直に経営し、誠実さで客の信頼を勝ち得ていた。
ある日突然、わたしたちが外国人と内通しているなどと言い出した連中が現れてな、すべての財産を没収すると要求してきたんだ。
商売をする以上、外国人と関わらないわけがないだろう?
だが、わたしたちは一線を超えるような真似は決してしていない。当然納得がいかなかったからな、法廷に公正な審判を求めた。調査を受け入れ、身の潔白を証明するつもりだったんだ。
結果、息子はどこの誰とも知れん連中に殴られ、二人の娘は髪を丸坊主に剃り落とされた。店には火を放たれ、妻は逃げ出すために二階から飛び降りて怪我を負い、今でも後遺症が残っている。
わたしたちはロゼを逃げ出すしかなかった。ほぼ無一文でな。それから長い時間を費やし、ようやくここに落ち着いたんだ」
マットさんは、私たちが鼠王から救ったばかりの倉庫へと視線を向けた。
それは質実剛健な造りの倉庫である。あの倉庫を建てた人物が、この地で長く事業を営むつもりであったことが分かる。
「ありがとうな。本当に助かったよ」
マットさんは励ましの意味を込めて私の背中を叩こうとしたのかもしれないが、ゴブリンと人類とでは身長に差がありすぎたため、彼は私の太ももを叩くことしかできなかった。
それからマットさんは去った。護衛たちを引き連れて倉庫の中の巡視に入った。
もし冒険者の仕事というものが、民衆の困りごとを解決し、それによって報酬を得ることであるならば、これもまた地に足のついた仕事と言えると、私は思った。
「ユーリ!」
マイルズが私の名前を呼んだ。彼は豪華な馬車に乗り込もうとするところで、ドアの傍らで体を捻って私に向かって大声で叫んだ。
「もしあのクズがそこまで悪党じゃないかもと、まだ疑っているなら、血の呪いのことを考えてみろ! ティマカットじゃ、もう三十年も血の呪いが発生しちゃいないんだぞ!」
確か、ティマカットの人口は我が国の数倍はある。ならば、血の呪いが発生する確率も、我が国の数倍になるはずではないだろうか。
我が国では頻繁に血の呪いが発生しており、しかもその大半が国王エディリオを標的にしたものであった。
私がその事実の持つ意味について考えを巡らせる前に、マイルズは馬車へと入り、去っていった。
「ユーリ、菓子屋は何時に開くのじゃ?」
ローズ様が私の手にある金貨を見つめながら、そう仰った。
「分かりませんね。一度戻って一眠りしてから、また出直しましょう。服も着替えたいですし、風呂にも入りたいです。ああ、マイルズに送らせるべきでした……」
ここへ来る時は、四人で簡素な馬車に乗ってきた。今やあの馬車がどこへ行ってしまったのかは分からない。マイルズは、私たち二人に「帰り道」が必要になるなど、想定していなかったのだろう。
「早朝の散歩か?」
「ええ、散歩です」
ローズ様が私の手を握られた。
二人は共に、私たちの家へと歩き出した。
アンナは今年で6歳。兄が二人います。




