7.鼠王
私とローズ様が冒険者ギルドに加入してから初めてとなる依頼の場所は、城壁の外にある倉庫だ。
私たちは臨時でパーティーを組んだベテラン冒険者、ジャックとアレックスと共に、夜間に現地へと到着した。
依頼人のマットさんは、武器を手にした部下たちを引き連れ、倉庫の外で私たちを待っていた。
マットさんの背丈は私の腰のあたりまでしかなく、緑色の肌と突き出した顔立ちをしている。それ以外は、身に纏っている服も普通の商人のものであり、振る舞いも人間とほとんど変わらず、標準語も流暢であった。
ゴブリンと会話をするのは数年ぶりのことだ。私が王都ロゼに着いたばかりの頃、街にはゴブリンが営む店が数軒あったが、後にすべて姿を消した。
彼らは隣国のスパイであったため、全員が捕らえられたのである。
「あの忌々しい奴にずっと悩まされてきたんだ。今日こそ徹底的に解決してほしい!」
「鼠王の扱いは手慣れています。ご安心ください」
ジャックが私たちを代表してマットさんと言葉を交わした。
「鼠王」とは、鼠が変異した魔物である。身体は犬ほどにまで巨大化し、尾は数本に分かれている。その一本一本の先端に別の鼠が生えており、蛇のように活動する。
厄介なのは、鼠王が他の鼠を呼び寄せ、群れとして連携した戦闘を仕掛けることだ。
鼠王は魔法を行使する可能性があるため、パーティーには魔法使いが必要である。
「あいつはわたしの倉庫を出入りし、従業員まで噛まれたのだぞ。多額の治療費がかかった!
これ以上暴れられては、ここが使えなくなってしまう! 必ず追い出してくれ!」
「鼠王を駆除し、さらに鼠除けの魔法道具を設置すれば、完全に解決できます。お任せください」
こうして、私たちは鼠害に見舞われている倉庫へと足を踏み入れた。
◇◇◇
ここは大型の倉庫であり、三階建てほどの高さがあるだろう。造りは非常に堅牢であった。依頼人がこの場所を手放したくないと考えるのも理解できる。
重要な商品はすでに運び出されている。倉庫の中に残っているのは、いくつかの壊れた木箱と鼠に齧られた果物だけである。
窓の角度が合わないので、月光が差し込まない。倉庫の大部分は暗闇に包まれていた。光源は倉庫の中央に置かれた一つの明かりと、私たちが手にしているランタンのみである。
「靴とズボンは十分に厚いか? 開口部はしっかり縛ったか? 鼠に潜り込まれたら厄介だぞ」
「ああ、縛ってある」
ジャックが皆に指示を出す。
「よし。それじゃあ、まずは鼠の穴を見つけて、薬で燻り出す。親玉が姿を現すまで、手下の鼠を殺し続けるぞ」
私とローズ様は薬包を手に取り、鼠の穴を見つけた。
穴の大きさは人間の子供が出入りできるほどであり、付近には大人の人間の掌と同じくらいの大きさの鼠の足跡があった。
鼠王はここから出入りしているのだ。
私は薬包を皿に載せ、穴の入り口に置いた。ローズ様が小さな火球を作り出し、薬包に火をお灯しになった。
煙が立ち昇る。これは人間には無害であり、鼠にだけ苦痛を与える煙である。そのため、私とローズ様が避難する必要はない。
倉庫の他の場所からも煙が上がり始めた。ジャックとアレックスが、他の鼠の穴の入り口でも薬包に火を灯した。
私たちが担当した区域に他に穴がないことを確認した後、私たちは倉庫の中心にある合流地点へと戻った。
倉庫の中央にある明かりの付近に、ジャックとアレックスの姿はなかった。
じきにやって来るだろう。倉庫の中に明かりはこれ一つしかなく、合流地点を間違えるはずがない。
煙が次第に室内へと充満していく。鼠たちが鳴き声を上げ、暗闇の中で蠢いている。
ジャックとアレックスはまだ現れていない。何かあったのだろうか。
突然、私は目眩を感じた。
強烈な眠気が襲い、手足に力が入らない。ランタンを握り続けることも困難であった。
どういうことだ。薬の影響か? しかし、あれは人体には無害であるはずだ。
もしかして、鼠王の魔法か。
「ユーリ? どうしたのじゃ? 汝、気分が悪いのか?」
「どうも……様子が……」
「ジャック! ユーリの具合が悪い! 汝、どこにおるのじゃ? アレックス!」
鼠たちの鳴き声が大きくなっていく。
「ローズ様、いけません……外へ出ましょう。助けを……」
この状況で鼠の群れに囲まれてはひとたまりもない。離脱しなければ。外にはマットさんの護衛たちがいる。彼らと合流し、ジャックとアレックスを救いに戻らなければならない――。
「動くな」
短剣がローズ様の首元に突きつけられた。
剣を手にしている者はローズ様の背後にいた。彼が声を出すまで、私たちは彼が近づいてくることさえ気づかなかった。
「抵抗すれば怪我をするぞ」
アレックスだった。
彼は冷徹な眼差しで私とローズ様を見据えている。
「どうやら薬が効いたのは一人だけみたいだな。ローズちゃんは魔法の防御があるのか? それとも俺たちと同じように解毒薬を飲んでいたのか?」
ジャックが戦斧を提げて暗闇から姿を現し、私の方へ歩んできた。
「これは……いったい……どういう……」
「それはこっちのセリフだ。お前ら、どこまで知っている?」
唐突にそんなことを言われては、答えられるはずがないだろう!
今のジャックは、まるで別人のようであった。先ほどまでは気さくな普通のおっさんであったが、今は罪人を裁く王室裁判官のようである。
「答えないか? あんなクズに、そこまで忠誠を誓う価値があるのか? あんな汚らわしく醜いゴミを、命懸けで守る価値があるのか?」
「ローズ様を侮辱することは許さん!」
怒りが湧き上がり、眠気を吹き飛ばした。私は長剣を抜き、「剣技・嵐」をジャックへと叩きつけた!
私の全力の一撃は地面をも砕き割った。飛散した礫が跳ね上がり、倉庫の天井を叩く。
しかし、ジャックは何事もなかった。私の攻撃が開けた穴の中心で、彼が立っている床だけが無傷であった。
彼は防禦に使った戦斧を下ろすと、危険な笑みを浮かべた。
「悪くないぜ。今の一撃はAランク級だろう? 俺を仕留めるための切り札を用意しているなら、さっさと見せな。退屈させないでくれよ」
Aランク級の攻撃を、これほど容易く防いだというのか。ジャックはBランクの冒険者ではなかったのか。彼は一体、本当はどれほどの格の戦士なのだ。
「まだ手の内を隠すつもりか? なら、こちらから行くぞ」
瞬間移動のように、ジャックとその戦斧が突如として目前に現れた。
速い!
私は危ういところで長剣を合わせ、攻撃を凌いだ。だがジャックは身体を捻り、戦斧が私の脚を切り裂いた。
切断を免れたものの、激痛によって構えが崩れた。次の一撃、もう防ぐことは不可能であった――。
「ユーリをいじめるな!」
ローズ様の叫び声と共に、脚の傷よりも激しい痛みが身体の奥底から突き上げてきた。
ジャックは恐慌し、後退する。
というのも、私の身体から、鮮血が噴き出しているからだ。
目、耳、口、そして裂けた皮膚から血が流出する。私は自らの血によって形成された湖の中に、膝を突いた。
「おい、俺たちの薬にこんな効果があったか?」
ジャックはアレックスの方を振り返り、それから恐怖に駆られて叫び声を上げた。
アレックスの短剣が床に落ち、硬い音を立てた。
つい先ほどまで弱い女性であったローズ様が、魔王の異形の姿を取り戻されている。
まるで薔薇の海がこの倉庫を占拠したようだ。輝く甲殻、鋭い爪、無数の光る眼が、ちっぽけなジャックを見下ろしている。
ローズ様は私から不死の呪いの殆どを回収し、魔力の大半を取り戻して、異形の姿へと戻ったのだ。そのために、本来は不死の呪いに抑制されていた致死の呪いが、私を死へと引きずり込み始めている。
「わらわの騎士を傷つけるとは、いい度胸ではないか」
その声は、谷間を吹き抜ける狂風のように鳴り響いた。
アレックスが黒い蔦に縛り上げられ、宙へと吊るし上げられた。彼は必死にもがいたが、逃れることはできなかった。
「『あれ』が、ローズちゃんなのか? 『魔王姫』ってのは、『魔王と姫、二つの顔を持つ存在』って意味だったのかよ」
ジャックは恐怖のあまり、口端を震わせながら笑った。
彼は私の方を見た。「『あれ』には、理性があるか?」
「……ある」私は血を吐き出した。
「降参です。俺と部下を見逃してください」
ジャックは手を離し、戦斧が地面に落ちた。
私の皮膚が癒え始めた。
薔薇の海はゆっくりと女の形へと収束していく。ローズ様は女の姿に戻られた。
アレックスも解放された。彼は地面の短劍を見つめたまま、拾おうとはしなかった。
「ギィッ――」
鼠王が攻撃の合図を出し、鼠の大群と共に私たちへ向かって突進してきた。
「下がれ!」ローズ様が鼠王を鋭く睨みつけた。
「わらわは今、汝らの相手をする暇はない。遥か彼方へと立ち去るがよい! 二度と戻ってくるな!」
「チチィッ――」
鼠王は無条件降伏と撤退の合図を出し、全ての鼠を連れて、全速力で逃げ去った。
そういえば、ローズ様が以前住んでいた死の深淵の付近には、全く魔物がいなかったな……。
ジャックが地べたにへたり込み、長く息を吐き出した。
「ローズちゃん、ユーリ。話し合おうぜ。平和的に、な」
鼠王(ラットキング/Rat King)
複数匹のネズミの尻尾が互いに絡み合い、自力で解けなくなってしまうという稀な現象のこと。
尻尾に粘着性のある汚れが付着したことや、狭い場所で暖を取るために密集したことなどが原因で起きる偶発的な事故と推測されている。
伝承では、鼠王の発生は不吉な前兆とされている。




